日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 708
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発表要旨
生活行動からみる境界空間の構築
中英街地区を事例として
*周 ブンテイ
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抄録

1. 研究背景と目的  
   我々は境界線による分断された世界に生きている.境界線に関する既存研究をみると,これまでに国境線における形態論や発生論,機能論,境界線画定の意思決定の行動論といった境界線の政治性に関わる研究が多く蓄積してきた.しかし,境界線が法的・政治的な概念であるのに対して,境界線は社会的・文化的な産物であると指摘されている(Kramsch,2007).国境線に関する政策や経済的利益などに焦点を当てた研究は十分蓄積されてきたが,ほかのスケールの境界線や境界線の周辺に生活している住民に関する研究は端緒についたばかりである.

   本研究は深センと香港の間の境界−中英街地区を事例として,中英街地区の住民が,中国本土と香港からの異なる政治的・社会的・経済的・文化的影響を受けながらも,自らの生活空間を能動的・受動的に変化させるそのプロセスを明らかにする.その上で,境界線と住民が互いに影響し合うことは,いかに境界空間の再構築につがなるかを明らかにする.  
2.対象地域  
   中英街地区の由来は19世紀の中英のアヘン戦争に遡る.中英街は英国領であった当時の名残から「中英街」と呼ばれる通りで,現在では中国と香港の共同管轄下にあり,全長268m,幅3~6mである.香港返還後,社会主義と資本主義の二つの制度が混在する世界で唯一の通りであり,免税商業街としての性格を有している.
3.中英街地区の歴史的変遷
   (1)境界線の画定による住民生活行動の変化(1899-1949)  当時,中国と香港間の人の移動の自由を認めており,沙頭角(中英街は沙頭角の真ん中に位置している)が二つの国に分かれても住民の生活に影響は少なかった.
   (2)境界線の閉鎖による住民生活行動の変化(1949-1978)  境界管理が厳しくなり,沙頭角での往来は通過証が必要となったことや,定期市の店舗は境界線沿いに集中するようになったことは,住民生活に多大な影響を与えた.
   (3)改革開放後の中英街地区の発展 中英街地区の空間的拡大に伴い,その人口構造も変化した.原住民に加え,香港人や中国大陸人もこの地区に居住し始めてきた.  
4.中英街の観光地化とその影響  
   1983年,中国と香港の間で「開放中英街協議」が発効した.中英街は香港製品や外国ブランド品などを直接に購入できるため,中国本土の観光客に「買物天國」として親しまれていた.しかし,香港返還後,中英街における香港との窓口としての機能は徐々に低下するようになった.  1980s,1990sの中国本土は物資不足の時代であり,中英街は中国政府からの優遇策により物資が安く,豊かであったため,原住民にとってメリット感が大きかった.しかし,香港返還後,密輸活動の急増により,境界管理が強化され,人やモノの移動が厳しく制限されてきた.  
5.おわりに
   深センと香港における社会的・経済的格差を背景に,境界住民の生活行動が境界線の障壁効果に制限されながらも,生活需要のもとに日常的に境界線を越えて生活している.特に彼らの生活行動における境界線の「道具化」に着目する必要がある.境界線と境界住民が互いに影響し合い,そのインタラクションは境界空間を再構築し得る鍵となる.

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© 2017 公益社団法人 日本地理学会
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