日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 517
会議情報

発表要旨
都市近郊中山間地域における就業動向からみた農地利用の維持基盤
―石川県能美市舘集落を事例に―
*庄子 元吉田 国光
著者情報
会議録・要旨集 フリー

詳細
抄録

農業従事者の高齢化と減少は,日本農業をめぐる今日的課題の一つに挙げられる。農業従事者が減少するなかで,離農した農家の跡地を継続的に利用し,耕作放棄を抑制することが求められている。離農者が増加する一方で,「定年帰農」による新たな担い手が生まれている。農業従事者が減少するなかで世帯内および世帯間でどのように労働力を調整し,いかに農地利用が継続されてきたのかを解明することは耕作放棄地の問題を考えるための基礎的理解につながると考えられる。 そこで本報告では,都市近郊中山間地域に位置する能美市舘集落を事例に,農業従事者が減少するなかでいかに農地利用が維持されてきたのかを,世帯員レベルの就業動向を,とくに年代や性別に注目して分析し,対象地域の就業動向が農地利用にどのように作用してきたのかを考察することから明らかにすることを目的とする。  研究対象地域である舘集落は,能美丘陵に位置する中山間地域であるものの,金沢市や小松市に通勤可能な地域である。舘集落の農業は水稲作が中心であるが,農地の排水状況は悪く,生産性は低い。そのため専業農家は少なく,第2種兼業農家が農地利用を担ってきた。  しかし,就業形態が変化してくなかで,農地利用形態も変容してきた。1934年以前に生まれた「昭和1ケタ世代以前」の就業先は,舘集落周辺か小松市であり,比較的近距離であった。また,1970年に農地の基盤整備が行われ,その際に各農家は水稲作の機械化を進めた。就業先の近接性と農業機械の導入による水稲作の省力化によって,昭和1ケタ世代以前では各農家が農外就業に従事しつつ,水稲作を自家で完結させながら農地利用を継続していた。一方,昭和1ケタ世代以前の子どもにあたる「子ども世代」では,就業地が舘集落周辺となる者は減少し,小松市と金沢市に通勤する者が増加した。さらに,就業形態が恒常的雇用労働へと移行したことで,子ども世代が水管理などの日常的な農作業を担うことは困難となった。子ども世代が担う農作業は,農業機械の操作や操作補助といった季節作業に限定された。また,昭和1ケタ世代以前の孫にあたる「孫世代」の就業地は,石川県南部で広く展開し,石川県外への転出も増加した。そのため孫世代に基幹的農業従事者はおらず,農業機械の操作を担う者は2人のみである。日常的な農作業を担っていた昭和1ケタ世代以前が農業からリタイアすると,離農する世帯が増加していった。  こうしたなかで舘集落では,集落外の農事組合法人への農地貸付によって農地が利用されるようになり,農地利用の主体が個別世帯から広域化していった。この要因として,集落内の農家や地縁集団が農地を請け負える余力を有していなかったことが挙げられる。舘集落における農地利用は他集落の法人によって継続されてきたが,他出していた子ども世代が2010年に定年帰農し,これ以降に離農した世帯の農地は,定年帰農した世帯に貸し付けられるようになった。新たな農地利用の主体は再び狭域化していった。さらに農業インフラの管理作業には,集落の環境や景観を維持するという目的から移住してきた非農家も参加している。  以上のことから,農業機械の普及以降,農地利用は世帯内で世代を通じて継続される事例は少なかった。農地の農業的な利用は,その利用主体を個別世帯から集落外の法人,集落内の定年帰農者と移行し,継続されてきた。さらに,農地を保有していない移住世帯も,農業インフラの整備に携わることで農地利用の維持を支える主体となっていた。集落内外の農家・法人が農地の農業的利用,集落内の農家・非農家が農業インフラの整備と,それぞれの役割を果たすなかで農地利用が維持されてきたといえる。他方,農業機械を操作できる住民や他出子は着実に減少しており,将来的には担い手が不足する。そのため,現在の農地利用の維持基盤に継続性はなく,今後の対策を考えていく必要はあろう。

著者関連情報
© 2017 公益社団法人 日本地理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top