日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 333
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発表要旨
岩手県の港湾におけるコンテナ航路開設過程とその地域的背景
*山田 淳一
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抄録

1.問題の所在
1990年代を中心に推進されてきた日本の地方港における外貿コンテナ港化については、既に多くの先行研究による成果がある。このうち、コンテナ港と後背地との関わりについて論じた従来の研究には、貨物流動や荷主企業を指標とするアプローチが多いように思われる。
しかしながら、地方港の港湾管理者がコンテナ港化を推進した背景にある地域経済・社会の要求や諸条件には地域差があると考えられることから、地方港を取り巻く地域経済・社会が、さまざまな条件や制約下でコンテナ港化に向けて如何に対応したのか明らかにする必要があろう。
そこで、本研究では、岩手県の港湾におけるコンテナ航路の開設過程を事例として、コンテナ荷役機械の整備やそれに関わる団体の設立の経緯を指標として、コンテナ港化と後背地との関わりの分析方法を検討する。

2.岩手県の港湾へのコンテナ航路の開設過程
2016年12月現在、岩手県においてコンテナ定期航路の開設されている港湾は、宮古港、釜石港、大船渡港の3港である。いずれも重要港湾に指定されており、岩手県が港湾管理者となっている。
岩手県の港湾へのコンテナ航路の開設過程をみると、まず、1998年に宮古港において、県内初となるコンテナ定期航路が横浜コンテナラインによって開設された。この航路は横浜港でコスコ、IALと接続する国際フィーダー定期航路であった。しかしながら、日本全国で外貿コンテナ港の整備が進められる中で、岩手県は国内で唯一、外貿コンテナ航路が就航していない状況であった。その後、2007年になって大船渡港に県内初の外貿コンテナ航路が就航した。この航路は興亜海運による中国・韓国航路であったが、2011年の東日本大震災の影響で休止となった。
東日本大震災後は、2011年7月に釜石港において井本商運の国際フィーダー定期航路が、2013年には大船渡港において鈴与海運の国際フィーダー定期航路が開設され、それぞれ京浜港との間に就航した。さらに釜石港には、2016年12月からSITCの国際フィーダー定期航路も参入し、1港2社体制となる。コンテナ取扱量も増加していることから、岩手県は釜石港に県内で初めてガントリークレーンを整備することを決定した。

3.コンテナ荷役機械の整備と関連団体の差異
宮古市においては、宮古港への多目的クレーン設置を岩手県に要望していたが、見込まれるコンテナ取扱量が少ないことから認められなかった。そこで、地元港湾・運輸関係企業4社によって宮古ターミナルサービス事業協同組合が設立され、宮古市から費用の半額の補助を得て、コンテナ荷役機械が購入された。
釜石港においては、2008年に釜石港物流振興株式会社が、釜石港における物流振興を図るため、コンテナ荷役機械の整備、賃貸・維持管理に関わる事業を営むことを目的に設立された。同社は、設立当初の資本金100万円のうち90万円を釜石市が出資する第3セクターであった。
大船渡港においても、大船渡商工会議所が1990年代から岩手県にコンテナ荷役用クレーン設置を要請していたが、採算の問題から地元の負担が求められた。大船渡市が実施した貨物需要調査などを踏まえ、2005年に大船渡商工会議所は独自にコンテナ荷役機械を調達することを決定し、翌年、荷役機械の設置運営を目的とする大船渡国際港湾ターミナル協同組合が設立された。同組合は大船渡市や周辺市町に立地する食肉加工業、建材卸業、菓子製造業、小売業、酒造業など民間16社が出資し、直接的には輸出入に関わらない企業も含まれていることが特徴である。

4.まとめ
3港におけるコンテナ荷役機械の整備やそれに関わる団体の設立の経緯には地域差があった。このことから、コンテナ港化における後背地との関わりの分析にあたっては、後背地を広義に捉え、貨物流動や荷主企業などの従来の分析に加えて、地域経済・社会の対応も考慮する必要があるといえよう。

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