日本地理学会発表要旨集
2018年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 316
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発表要旨
アメリカ合衆国におけるテンサイ糖工場の立地と移動
*矢ケ崎 典隆
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抄録
アメリカ合衆国では19世紀前半にヨーロッパからテンサイと製糖技術・製糖機械類が導入されて、テンサイ糖産業が発展を開始した。アメリカ合衆国におけるテンサイ糖産業の展開は次のように時期区分することができる。すなわち、ヨーロッパのテンサイ糖産業の導入期(1830~1887年)、研究開発の進展期(1888~1897年)、アメリカ型テンサイ糖産業の確立期(1898~1913年)、テンサイ糖産業の不安定期(1914~1933年)、保護政策による安定期(1934~1974年)、そしてテンサイ糖産業の衰退期(1975年以降)である。

 本発表は、製糖工場の立地と移動に着目して、アメリカ合衆国におけるテンサイ糖産業の展開を検討することを目的とする。そのための資料として、アメリカ合衆国農務省(USDA)が1961年に刊行した『アメリカ合衆国のテンサイ糖工場』(United States Department of Agriculture, Community Stabilization Service, 1961, Beet Sugar Factories of the United States, Washington, D.C.)を使用した。これは、製糖工場の開設・閉鎖等の情報を年次ごとに記載するとともに、1961年における製糖会社および製糖工場の現況を記した貴重な資料(カリフォルニア大学バークリー校図書館所蔵)である。

 最初の小規模なテンサイ糖工場は、1838年にミシガン州ホワイトポイントとマサチューセッツ州ノーザンプトンに開設されたが、どちらも2~3年創業した後に閉鎖された。1853年にはモルモン教会がソルトレークシティにイギリス製機械を導入して製糖工場を建設したが、これも失敗して2年後に閉鎖された。1870年代末までに建設された14か所のテンサイ糖工場はいずれも短命(最長で8年間操業)に終わった。

 この時期に成功した唯一の砂糖工場は、カリフォルニア州アルヴァラド(現在のユニオンシティ)に開設されたカリフォルニアビートシュガーマニュファクチャリングカンパニーであった。機械類はウィスコンシン州フォンデュラクの製糖工場(1866~1870年操業)から移設された。アルヴァラド工場は、解体、再建、増設を繰り返しながら、1961年時点で操業していた。

 USDA資料には、1961年現在で操業中の63工場を含めて、169工場がリストされている。州別にこれらの分布を見ると、ミシガン州(25工場)、カリフォルニア州(24)、コロラド州(21)、ユタ州(19)、アイダホ州(11)への集中が明らかである。設立年次に着目してテンサイ糖工場の立地を分析すると、特にコロラド州サウスプラット川流域、ユタ州北部からアイダホ州南部、カリフォルニア州への集積過程が明らかである。

 製糖工場の立地と移動には、砂糖資本が重要な役割を演じた。地元資本による砂糖工場に加えて、モルモン教会、グレートウエスタンシュガーカンパニー、クラウス・スプレックルズ、オックスナード兄弟、アメリカンシュガーリファイニングカンパニーなどが大きな影響力を及ぼした。閉鎖された砂糖工場の機械類は別の工場に運ばれて再利用された。なお、1974年に砂糖法が廃止されると、テンサイ糖産業は衰退し、廃墟と化す砂糖工場も増加した。
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