抄録
本発表では、北アルプスの事例から、「人新世」における山岳地域の変化の分析を提供し、動的な自然の保護保全の課題について討論する。「人新世」とは、地球環境の全体において人為的改変が著しく進むことによって完新世がすでに終わり、新たな地質年代が始まっている、という概念のことである。つまり、これまで「自然環境」と見なされた全ての景観や現象の中に人為的改変の影響があることを認め、現在その複合的システムがどのような変化過程にあるかを検討しなければならない。山岳地域は、このような急速な人為改変の影響が最も早く表れる地域の一つであり、山岳地域の地形・生態系的特徴をもたらす氷河、降雪などの自然的メカニズムがすでに著しく変化していることが多くの研究から指摘されている。また、20世紀の経済開発の影響でそれまで広域にまたがっていた自然的なプロセスや生物の生息地がされ、山岳地域の自然環境そのものの健全性を始め、山岳地域からもたらされる多くの生態系サービスの劣化が進んでいるという指摘も少なくない。このような状況を受け、山岳地域の環境をどう保護すべきであろうか。保護策が地域によって異なることも当然であろうが、最終氷河期以降の山岳地域の環境の成り立ち・変化メカニズムと、その平衡状態(equilibrium)からの「ズレ」の本質についての理解がまず大事だと思われる。さらに、これまで「安定的」や「極相的」と思われてきた景観は長い地質年代の中でどう形成されてきたか、つまり、「プロセス」としての景観の特徴を把握する必要がある。日本列島の北アルプス地域は急速な隆起と活発な侵食が繰り返してきた動的な環境が見られ、特に完新世においてその特徴が大きく変わった地域である。また、20世紀以降の経済開発や観光振興によって生態系の分断化が著しく進んだ地域でもある。現在中部山岳国立公園としてその景観が保護されているとはいえ、過去の人為的改変の影響が未だ残っており、観光利用などによって自然環境へのストレスが複雑化しているところも少なくない。発表では、上記のような長い時空間スケールにおける変化に照らして北アルプスの最近の変化を分析し、当該地域の動的自然の保護の課題の複雑性を述べた上で、解決策の可能性を探求する。