抄録
I 研究の背景・目的
日本における都市の居住地域構造に関する研究は,おおむね1970年代以降を対象としてきており,多くの研究蓄積がある.一方,それ以前の時代に関しては,分析に必要となる小地域統計資料が利用できる都市,年次に限って分析が行われてきた(上野1981).しかし,1970年よりも前の時期を含めて分析することで,新たな疑問点も指摘されている.梶田(2018)は,東京において1970年代後半以降維持されてきたセクター構造は,1965年時点ではまだ明瞭な形で出現していなかったとし,戦後から1960年代前半の分析を課題として示している.これに加えて,空襲による断絶があるとはいえ,戦前の居住地域構造からの変化についても検討する必要があると考えられる.
居住地域構造の長期的な変化を分析するためには,様々な居住者特性が把握できる過去の小地域統計かそれに代わる資料が継続的に利用できる必要がある.しかし,職業や年齢など,居住地域構造を分析するのに必要となる属性が把握できる資料は限られており,資料が得られても特定の都市のみの分析に止まってしまうこともある.本研究では,戦前における特定の職業についてのみ把握できるが,都市間比較が可能である資料として電話帳を用い,1935年の東京市における会社員の居住地分布を示して,戦後のホワイトカラーの分布と比較する.この時期には,大阪市や京都市などでも職業が記載された電話帳が発行されており,数年程度のずれが生じるものの,都市間比較も可能である.
II 1935年発行の『職業別電話名簿』
本研究で利用するのは,東京逓信局に認可され,日本商工通信社が編集・発行した『職業別電話名簿』のうちの第25版(1935年発行)である.掲載区域は東京府全域であり,1935年7月時点の調査に基づく電話番号と使用者氏名,住所が職業ごとに掲載されている.このうち,「会社重役及会社員(商店員)」(以下では会社員と総称する)欄に掲載され,東京市内の住所となっているものを分析対象にする.
東京市における1935年の電話加入者数は124,391人であり,世帯数は1,191,939世帯であることから,世帯数基準の加入率は10.4%となる.収入などの点から,当時の会社員の電話加入率は他の職業よりも高いと考えられるが,会社員のなかでの加入率の地域差はそれほど大きくはないと仮定して,東京市内における会社員の分布パターンの検討を行う.
III 町丁目別にみた会社員の居住地
会社員の電話加入者数を町丁目単位で集計し,国勢調査による1935年時点の普通世帯100世帯あたりの加入者数を求めた(図1).東京市内のうちで多いのは,現在のJR山手線の内側の地域と南西セクターであり,西北部や東部にはほとんど分布していない.個別の町丁目では,駒込西片町,青山南町6丁目,白金三光町,高輪南町,五反田5丁目,田園調布3丁目などで多く,「山の手」や郊外の住宅地に多いことが確認できる.
1965年の事務関係従事者数の割合の分布と,1935年の会社員の分布とを比較すると,田園調布などの周辺地域にも割合の高い地域が広がるとともに,現在のJR山手線の範囲内と郊外住宅地との間を埋めるように,割合の高い地域が広がってきている.
IV まとめ
本発表では,1935年の電話帳を利用し,東京市における会社員の居住地分布を示した.1935年の会社員の居住地は,山手線内側の地域と田園調布などの郊外住宅地などに集中する傾向が認められたが,1965年ほど西部に面的かつ広域的に分布するものではなかった.この間の変化の検討については十分な資料が得られていないため,ここでは十分に考察できない.しかし,大阪市や京都市においても1930年代の電話帳が利用できることから,今後は他都市との比較を通じて,その要因を吟味していきたい.
参考文献
梶田 真 2018. 東京特別区居住者の社会-空間パターン変化(1965~1980). 地学雑誌127(1): 53-72.
上野健一 1981. 大正中期における旧東京市の居住地域構造-居住人口の社会経済的特性に関する因子生態学研究-. 人文地理33(5): 385-404.
本研究は,JSPS科研費16H01965の助成を受けたものである.
