日本地理学会発表要旨集
2018年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 818
会議情報

発表要旨
宗教的祭礼が促進する家畜交易
ネパールのカトマンズにみるヒンドゥー教の秋祭でのチャングラ山羊
*渡辺 和之
著者情報
会議録・要旨集 フリー

詳細
抄録

ヒマラヤでは、山で生産される農牧林産物のうち、畜産物や林産物は比較的都市にまで流通する。特に畜産物の場合、祭礼による需要が交易を促進している側面が大きい。南アジアでは、しばしば宗教的差異に応じて異教徒間で国境を越えた家畜の交易が見られる。このような家畜の交易のことをヒマラヤの家畜回廊と名付け、調査をおこなっている。
 ダサインは、ヒンドゥー教の秋の大祭である。この祭りでは、第9日目に水牛、山羊、羊などの家畜の供犠がおこなわれ、10日目に祝福のティカを受けるため、親族が相互訪問する時に、その肉を食事としてふるまう。カトマンズ盆地では、ダサイン期間中、チベットからチャングラという山羊が国境を越えてやって来る。本研究は、このチャングラ羊がどのような需要のもとで、どこから流通するのか明らかにすることを目的に、2017年9月に調査をおこなった。
 まず、仮説として、チャングラは不足する山羊の供給を補うためにこの時期のみチベットからもたらされると考えた。ダサインはインドではダシェーラやドゥルガプジャと呼ばれており、全インドのヒンドゥー教徒の間で祝われる。このため、首都カトマンズで供犠獣の需要が増すこの時期は、日常の食肉市場の供給地である国内産地や北インド都市からの需要では足らず、仏教徒が多くダサインを祝わないチベットからチベット系の山羊チャングラがもたらされるのであろうとの仮説をたてた。だが、実際に調査してみると、少なくとも現在に関する限り、そうではないことがわかった。
 たしかにかつては、「チャクグラ山羊はあまりうまいものではない」という認識がカトマンズではあった。チャングラは普通の山羊よりも脂身が少ないため、かつてはこの点で評価が悪かった。だが、現在では「健康に良い」と見直されている。「ヒマラヤの冬虫夏草を食べて育つのだから身体に悪いはずはない」とのことである。
 実際、値段も普通の山羊よりチャングラ山羊ははるかに高い。チャングラ山羊の場合、切り売りはなく、丸ごと1頭の購入となる。しかも、ダサインの期間前後しか市場にやってこない。いわば季節限定の縁起物である。
 流通経路としては、現在カトマンズに来るチャングラ山羊のほぼすべてがすべてムスタン経由である。その数は、カトマンズに2500頭位と言う。この数はダサイン期間中にカトマンズの中央家畜市場で取引される山羊のごく一部にしか過ぎない。普通の山羊の半数は国内産で残りはインドからの輸入である。
 現在、カトマンズでダサインを祝う人々のみなが山羊を買うわけではない。伝統的にも、家畜の供犠をおこなわず、もっぱら親族を訪問した時にご馳走になるだけの人もいた。くわえて、今日では、村から持ってきた肉でダサインを祝う人もいれば、肉屋で切り身を買って供犠をしない人もいる。供犠も肉屋でお祈りなしで済ませ、解体も肉屋にまかせることもある。
 こうしたなかで、チャングラ山羊は近年では限られた熱心な人々を対象に、もっぱら季節限定の高価な健康食材となっていることが調査の結果わかった。

著者関連情報
© 2018 公益社団法人 日本地理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top