日本地理学会発表要旨集
2018年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: P209
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発表要旨
九十九里浜平野,片貝村における1703年元禄関東地震による津波被害
*小野 映介佐藤 善輝矢田 俊文
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抄録
Ⅰはじめに
本研究の目的は,1703年元禄関東地震時の津波によって九十九里浜平野の片貝村で生じた被害の特徴を史料(文書・絵図)と地形・地質調査の両面から解明することにある.研究対象とした片貝村(現在の千葉県山武郡九十九里町片貝付近に相当する)については,津波による被害を記した文書と,被害を受ける前と後の時代に描かれた絵図が存在する.
今回の発表では史料を紹介するとともに,2枚の絵図の現地比定の結果を示す.加えて,津波が遡上したと推定される地域における地質調査の結果を提示する.
Ⅱ史料の概要
以下,矢田・村岸(2016)に基づいて史料の内容を紹介する.
史料1:楽只堂年録 百三十四「長谷川伊兵衛知行所上総国山辺郡之内」
片貝村の長谷川伊兵衛知行所において,津波による流家は88軒,死亡者は81人,損馬は3疋であり,田畑に海水が入って荒れ田になったことが記されている.
史料2:楽只堂年録 百三十四 「松平豊前守知行所」
松平豊前守知行所は,中里村・片貝村・新井堀村の3か村にあり,このうち片貝村では,津波による死亡者が19人(男10人・女9人),流家8軒,浜納屋流6件であったことが記されている.
史料3:天和2年(1682)9月22日上総国山辺郡荒生村片貝村溜池境割絵図・相論裁許状(写)
片貝村と荒生村との境界論絵図で,裏書に相論裁許状(写)がある.この絵図には,境界争いの場となった湖沼が描かれているほか,道・集落・河川(水路)・田・畑などが示されており,津波を受ける21年前における当地の様相を知ることができる.
史料4:安永4年(1775)7月上総国山辺郡片貝村御四給絵図大積
片貝村の土地利用を示した絵図である.元禄関東地震による津波を受けた72年後に作成されたもので,道・集落・湖沼・河川(水路)・田・畑などが描かれている.
Ⅲ絵図の現地比定
史料3に描かれている道・湖沼・河川(水路)は,ほぼ同様の位置・形状で史料3に描かれている.史料4には集落名が記されていないが,史料3とほぼ同位置に集落が描かれており,道・湖沼・河川(水路)との位置関係から史料3と4の集落を同定することができる.一方,史料4には,史料3に記されていない海側地域の情報が盛り込まれ,道・集落・新田が描かれている.
Ⅳ予備地質調査の結果
史料3・4の東西南北は,旧版地形図(1965年発行)に対して時計回りに45度ほどずれている.それを補正すると,史料3・4と旧版地形図の道・集落・河川(水路)の位置関係には大きな矛盾がないことが分かる.史料3・4と旧版地形図との比定結果について,当地域の地形分類結果と比較すると,史料3・4に描かれた集落は浜堤に立地していると判断できる.また,史料3の「芝間」と史料4の「山入会」(いずれも松が記されている)については,ほぼ同じ位置に描かれていることから,同意と考えられ,その形状については当地域の浜堤列群と酷似する箇所がみられる.
史料3に描かれた「芝間」と「しも」・「やかた」といった集落は,現在の九十九里町役場の内陸側に北東―南西軸で発達する浜堤列群,「なや」は役場の海側の堤間湿地に相当すると推定される.また,史料1に「田畑に海水が入って荒れ田になった」ことが記されていることから, 史料3の田畑が描かれている地域,すなわち現在の九十九里町役場付近までは津波が遡上したと考えられる.
以上の推定結果を検証するために,津波堆積物を確認するための地質調査を計画している.ここでは,その予備調査の結果を示す.
Ⅳ予備地質調査の結果
現在の九十九里町役場近くの堤間湿地(35°32′12.70″N;140°26′34.36″E;標高約0.7 m)においてハンドコアラーを用いた掘削を実施した.この地点は,史料2の「なや」,史料3の「私領新田入会」に相当する.深度0.9~0.4 mにヨシが集積した砂層が認められ,同層を覆って泥~砂層が堆積している.ヨシが集積した砂層の最上部からは1,687-1,731,1,808-1,895,1,903-1,927 cal AD(2σ)の放射性炭素年代値が得られた.層相と年代値からは,0.4 m以浅の泥~砂層が津波堆積物に相当する可能性が高いと考えられる.
今後,予備地質調査地点周辺においてジオスライサーを用いた掘削調査を行い,堆積物の層相を詳細に検討するほか,堆積物の珪藻分析を実施し,津波堆積物の特徴を明らかにする予定である.
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© 2018 公益社団法人 日本地理学会
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