日本地理学会発表要旨集
2018年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 814
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発表要旨
深圳市のムスリム関連施設の分布と特徴
*高橋 健太郎
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抄録

中国では、1980年代以降、商工業の発展にともなって、沿海部、特に華東、華南地方の都市へ多くの人々が移動している。同様に、西北、西南地方などから沿海部の都市へ回族やウイグル族などのムスリム少数民族も移動している。また、2000年頃より多くの外国人ムスリムが沿海部の都市に滞在するようになった。そのため、これらの都市では、ハラールのレストランや食料品店の増加などで地域に変化が生じている。さらに、モスクやムスリム用の墓地が不足しているなどの問題も表面化している。
 このような先行研究を踏まえて、筆者は2017年8月に広東省深圳(Shenzhen)市において聞き取りや資料収集を行ない、各ムスリム関連施設の経緯や現状、課題について調査した。本発表ではその成果の一部を報告する。

 地域調査や資料で把握することができた限りでは、深圳市のムスリム関連施設としては、モスク(清真寺)が八つ、ハラールの給食を提供する幼稚園が一つ、ムスリム用墓地が一つ、およびハラールのレストランや食料品店が多数ある。
 1979年に市制が施行され、1980年に経済特区が設けられて工業が急速に発展する以前は、深圳市にはほとんどムスリムはいなかった。深圳市でもっとも早い1984年に開設されたムスリム関連施設は、ムスリム賓館というホテルである。これは、甘粛省臨夏回族自治州政府が開設したもので、当該政府の深圳駐在事務所も併設されている。また、礼拝のための部屋も備え、それはのちにモスクとして利用されるようになった。香港との境界に近い羅湖区文錦に立地し、開設当初は市内で唯一のハラール・レストランを備えたホテルであったため、深圳市を訪れた中国内外のムスリムが定宿とした。
 流動人口が多く正確に把握することが難しいが、調査時現在、深圳市のムスリムの人口は10~12万人といわれ、そのうち本市の戸籍を持つ人は1.3万人である。深圳市のムスリム人口が増えるにつれて、より大きなモスクが必要となり、市政府との交渉の末1998年に福田区梅林に簡素なモスクが建てられた。2000-2010年代を通して梅林モスクの規模拡大が検討され、2016年、地下1階、地上5階建ての大規模なモスクに改築された。
 2000年代前半より深圳市にハラールの牛肉ラーメン屋が増え、その多くは西北地方などから来たムスリムが経営している。このような外来ムスリムの増加にともない、モスクも増加するが、多くはビルの一部を利用した簡素な造りである。
 文錦モスクと梅林モスクの周辺には、ハラールのレストランや食料品店が数軒あり、ムスリムが集まるモスクが周辺地域の経済活動や景観に影響を与えていることが確認された。ただし、モスク周辺へのムスリムの集中的な居住は確認できず、市内各地に分散して居住している。
 H幼稚園は、ハラールの給食が提供されることと初歩的なイスラーム文化を学習できることが特徴である。しかし、園内は宗教的な雰囲気は薄く、漢族などの園児も受け入れており、マイノリティであるムスリムの立場が反映されている。なお、深圳市内ではハラールの食堂を備えた小中学校は確認できなかった。原則的に土葬で、葬送儀礼も非ムスリムと異なることから、ムスリムは死後、専用墓地に埋葬される。深圳市のムスリム用墓地は1999年に開設され、深圳市に戸籍があるムスリムのみが使用できる。約300区画のうち半数はすでに使用されており、今後用地が緊迫することが予想される。

 1980~1990年代に深圳市に移り住んだ中国人ムスリムのなかには地方政府の職員や会社員などホワイトカラー層が多く、市政府と交渉してモスク建設を実現した。深圳市が国際都市としての性格を強めるなかで、「世界三大宗教の一つ」であるイスラームを市政府も重視するようになり、モスク建設を支援した。2000年代以降、レストランなどで働くために深圳市に移り住む中国人ムスリムが増え、ムスリムと非ムスリムまたはムスリム間の摩擦が増えた。加えて、欧米でムスリムを危険視する潮流の影響も受け、ムスリム関連施設の管理が強化されている。さらに近年、深圳市において国内外のムスリムの定住化が進んでいることから、モスクや墓地、ムスリムに配慮した教育施設などへの需要が高まっている。

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