日本地理学会発表要旨集
2018年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 717
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発表要旨
ハワイ島コナ地域における日本人移民の移動と定着
*平川 亨
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抄録
ハワイへの日本人の移民は1868年(明治元年)の「元年者」の153人を嚆矢とするが,本格的に大量の移民が始まったのは1885年,明治政府と当時のハワイ王国との条約による「官約移民」の開始によってであり,その後の移民会社による「私約移民」,アメリカの準州となり契約労働移民が禁止となってからの「自由移民」,1908年からの日米紳士条約による移民の大幅な規制のなかでの「呼寄移民」と,その移民の類型が変わりながらも日本からのハワイ移民は1924年まで続けられ,その数は20万人を超え,そのおよそ半数がハワイに定着したとされている。これまでの地理学におけるハワイ日本人移民研究では主に出移民中心で,定着に関する研究は乏しい。またその地域もホノルルなどの都市に限られており,ハワイのそれ以外の地域に目を向けられる機会は非常に少ない。そこで本発表では,ハワイ島コナ地域を対象として,コーヒー栽培農家という定着性が強いと思われる職業への変遷,また定着化を進める要因でもあり結果でもある家族形成に着目して,ハワイへの国際移動の後の移民地内での国内移動の要因,定着への過程をあきらかにする。

 調査対象地としたハワイ島コナ地域は島部の南西にあり,貿易風の風下にあたり降水量が少ない。そのため,移民のプル要因であるサトウキビ・プラテーションの数,期間,規模などがわずかであり,初期の段階では直接の移民地ではなかった。しかし,コナはその地理的隔離性から,奴隷的な労働を強いられたプランテーションを逃げ出した移民たちの「逃れの場所」であった。また契約労働を終えた移民にとっても,コナへの移動は,自由と独立,経済的好機を得るための再移動であった。コナ地域は,コーヒー栽培が盛んとなり,小分けした土地を農家にリースしての半独立的な農業経営が行われるようになっていたからである。コーヒー栽培農家の多くは日本人移民とその家族で,1930年代には日本人移民(日系人)の居住者が地域人口の半数を超えるという,他の地域では見られない特徴があった。本研究の基礎のひとつとなっているのはコナ地域にある日本人墓地の悉皆調査である。墓標に記された名前,戒名,出身地,死亡日,年齢などを記録し,その数は合計2,700人以上におよんだ。次にハワイで発行された日本人移民のいわゆる「人名住所録」(居住地ごとに名前,出身地,職業などを記載)をデータ化した。また移民の渡航資料を調査しその結果をそこに加えた。最後に,コナまでの来歴やコナでの活動を知るため,各出身県の「布哇在留略歴帖」を利用しての質的調査を行った。この研究により,ハワイの日本人移民の移民地での研究において,プランテーションとは異なる産業を要因として日本人移民が卓越した人口構成を持つ地域の研究という新たな視点と知見を得ることができるものと考える。

 まず1909年発行の林三郎『布哇實業案内』にある「布哇在留日本人名鑑」と,1934年発行の中島陽『コナ日本人實情案内』の二つの「人名住所録」を使用して,コナ地域への定着の実態をみるため,出身地別の構成と定着者数を出し,次に職業別と家族持ちと独身の世帯数の比較と変化をみた。そして,墓地調査の結果を反映させた職業別の定着数を割り出した。その結果として,やはりコーヒー栽培農家,そして家族形成をした者の定着が強いことがわかった。しかし,その値は「死亡という定着」を入れてもコーヒー栽培農家は41.8%(他は22.8%)であった。つまり,25年というスパンで6割弱の農家がコナを去ったのである。また定着をほぼ終了した時代と思われる1934年時点での世帯主に墓地の情報を入れると,およそ半数がコナの墓地に葬られてはいない,という結果が出た。また1909年,1934年両方のデータにない被葬者の存在も明らかになった。

 この結果をさらに詳しく調べるため,25年の間を埋める資料と,1934年以後から大戦前の1941年までの資料を8冊選び,合計10冊の「人名住所録」を使用して,個人名によるコナへの移動と定着,もしくはコナからの再移動を把握する資料を作成した。その結果は4年から7年のスパンのなかで,1920年代では流入,流失とも4割から5割という高い値を示し,日本人移民の大量の流入と流失が起きており,コーヒー栽培農家と世帯主全体の値の違いもほぼなかったことがわかった。これはおそらく,コーヒー栽培農家は農業との適性,初期資本の有無などの要因により定着する者と定着できなかった者に二分されたのではないだろうかと考えられる。つまり,農家に転身できたとしてもその後の農業経営のなかで,適性のあるものは定着していき適性のない者が去る,という対流のような動きが絶えずあったのではないだろうか。しかし,その流入と流出は予想よりもはるかに大きいものであった。
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