地理学では南米における日系人に関して,ブラジル移民,沖縄出身者,また戦前を対象とした研究が蓄積されてきた.これら以外の近年の動向を明らかにすることが課題であり,ブエノスアイレス近郊の日系農家による花卉栽培の展開を明らかにすることを本研究の目的とした.
研究対象地域は,ブエノスアイレスから約40km南東に位置するウルキッサ移住地と,第一・第二ラプラタ移住地の周辺である.この地域には,約300世帯1,000名の日系人が生活しており,日本語学校や日本の食材等を販売する店舗,日系人が中心となって1998年に開設した花卉市場であるメルコフロールMercoflorなどがある.現地調査は2019年の8月後半から9月初めにかけて行い、資料収集に加え、日系農家へ対面方式による聞き取り調査を行った。
聞き取り調査を行った日系農家の世帯主の世代は二世が多く,全体の平均年齢は55.9歳である.日本における出身地は西日本が中心であり,日本からこの地域に直接移住した世帯は少なく,多くは1950年代から1960年代の初めに一度パラグアイやボリビアなどに移住し,5年から10年の後にアルゼンチンに再移住している.直接移住,再移住にかかわらず農家の多くは,それまで花卉栽培の経験がなく,最初は親戚や知り合いの農家に従業員として入り,花卉栽培のノウハウを身に付け,2〜3年ほどで独立したという.現在は本人と配偶者が農作業の中心を担い,数人のアルゼンチン人やパラグアイ人を従業員として雇用している農家が多く,次の世代が現在の経営にかかわっているケースは少ない.
経営方針は大きく二つに分けられる.一つは切り花の栽培,もう一つは鉢物の栽培である.切り花の栽培はこの地域で古くから行われていたものである.かつてはカーネーションが主流であったが,現在では特定の品種への特化は見られない.また,栽培品種も頻繁に変化する傾向がある.一方,鉢物を扱う農家もかつては切り花の栽培を行っていた.鉢物への切り替え時期は,1990年代から2000年代の前半が多いが,これから鉢物栽培を行おうと考えている農家もある.鉢物への需要の高まりに加え,切り花よりも効率的に作業を行うことができることが切り替えの主な理由である.なお,切り花と同様に鉢物でも農家ごとに多様な品種が栽培されている.
栽培された花卉のほとんどは,メルコフロールで販売される.近隣では,ほかの大きな市場は首都にもあるが,首都からも多くの顧客が訪れている.メルコフロールの資料によると,顧客の80%以上は,首都と10kmほど離れたブエノスアイレス州の州都であるラプラタ市を中心とした州内の販売業者となっている.まれに遠方の顧客とのやり取りがあるが,国外への輸出はほとんど行われていない.顧客の多くはその日の価格や状態によってさまざまな日系農家から買い集めていくが,日系農家は固定客も持っており,中には50軒以上の固定客を持っている場合もある.
ブエノスアイレス周辺で日本人移民の花卉栽培が始まってから約100年を経た現在でもこの地域の花卉栽培は首都や州内に大きな影響を与えているといえる.一方,農家の平均年齢は上昇し,現在の経営に次の世代がかかわっている農家は少数である.長い歴史を持つ花卉栽培を次の世代にどう引き継ぐかの課題もある.