日本地理学会発表要旨集
2020年度日本地理学会秋季学術大会
選択された号の論文の164件中1~50を表示しています
発表要旨
  • 中村 努
    セッションID: 304
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    Ⅰ.はじめに

     本発表では,COVID-19の感染拡大に伴って,地域包括ケアシステムにかかわるアクターの行動がどのように変化したのか,今後の感染防止策を踏まえて,地域包括ケアシステムにいかなる対応が求められるのか検証する。従来,地域包括ケアシステムは,地域内外の資源のネットワークに基づいて形成されてきたが,このことは地域によってシステムの形態にバリエーションを生ずることとなった。この地域差がCOVID-19の脆弱性や対策のあり方を決定付ける,いわば要因となって,地域包括ケアシステムにいかなる地域差を新たに生ずるのか考察する。

    Ⅱ.COVID-19感染症対策にみる国別の合理性のバランス

     COVID-19の感染拡大の時期において,各国政府が採用した3つの合理性のバランスは図のように整理できる。欧米では,感染者の急拡大を受けて,都市封鎖や厳しい外出規制を敷くようになった国が多くみられる。ただし,スウェーデンは厳しい外出規制を敷かずに,集団免疫の獲得という例外的な措置を採用し続けた。ブラジルも同様に経済活動の維持を基本とした戦略を採用している。一方,中国や韓国,台湾では,ICTによる行動監視という医学的合理性の追求が早期の感染収束に貢献したといわれる。ただ,こうした政策の違いが感染拡大の防止の成否を分けたとは必ずしも言えない。この分類はあくまで感染拡大時の政府の対応を大別したに過ぎず,福祉国家論の枠組みでは差異の要因を説明しきれない。それぞれの政策は,国や地域によって異なる歴史的文脈において,固有の政治,制度,文化,経済の各要素が相互に関連しあうプロセスの帰結とみなせる。今後はウイルスと国内外のアクターとの関係の変化を,長期にわたるプロセスにおいて解釈していく必要がある。

    Ⅲ.地域格差の拡大の可能性

     日本政府が採用した政策は,医学的合理性と経済的合理性を両立させるため,都市封鎖を伴わない比較的緩やかな外出規制にとどまった。しかし,社会的合理性の視点の欠如によって,高齢世帯や障がい者,ひとり親世帯,生活困窮世帯などへの従来の支援が損なわれる可能性がある。彼らはリテラシーの欠如や通信環境の整備にかかる費用負担の大きさから,デジタル格差の被害者にもなりやすい。こうした支援の欠如をカバーする,ソーシャル・キャピタルもまた乏しく,特に人口密度の低い中山間地域において,平常時においても孤立する傾向にあると推察される。他方で,人口密度の高い都市部においても,平常時から長期の自宅待機による虚弱化や孤立が予想され,コミュニティ機能の希薄な地域では必要な支援が行き届かない可能性が高い。以上の地理的条件は,自然災害の発生時に,支援格差としてより先鋭化して現れると考えられる。

     医療・介護事業者は非感染患者の外出控えや感染患者への対応を背景に,利益の確保に苦慮している。再び感染症が拡大すれば,閉鎖や倒産による医療・介護崩壊の懸念がある。その空白地域を埋める最後の砦として,子ども食堂や小規模多機能拠点の役割期待がある。しかし,運営者の多くは,COVID-19の感染リスクの懸念と,支援継続の意志との間で揺れ動きながら,十分な支援を実施できていなかった。こうした草の根ともいえる活動団体の運営者とその潜在的利用者もまた,ウィズコロナ政策の被害者といえる。結果として,支援の地域差を伴った地域包括ケアシステムの空間的変容が生じているものと考えられる。

  • 一ノ瀬 俊明
    セッションID: 115
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    ヒートアイランドという言葉で語られることの多い都市の温暖化,あるいは高温化は,建物や自動車からの熱の発生,アスファルトなど都市の表面に熱がたまってしまうことがその原因である.都市の温暖化は電力消費量の増大や,熱中症などの健康影響をもたらしている.こうした影響は,地球温暖化のそれと共通しているものもある一方,対策が異なるものもある.最近では桜の開花の早まりや,ゲリラ豪雨なども話題となっている.2018年は日最高気温が35℃を超える猛暑日が急増し,いくつかの都道府県で40℃以上の気温が観測された.都市の暑さ対策は日本の大都市でも身近な話題となっていて,最近の事例では,東京オリンピックの(旧)マラソンコースの高温化を防ぐ舗装や,東京・目黒川流域の風通しを考慮した再開発などがある.

    都市の温暖化の原因は,建物や自動車からの熱の発生(ビル,住宅,車,工場),水面や緑地の減少,複雑な地表面の形が太陽エネルギーをため込んでしまうこと(日射の捕捉,天空の減少),地表面を構成する材料に熱がたまりやすくなっていること,建物による風の遮断がもたらす熱のよどみなどに整理できる.

    建物床面積のデータをもとに,東京23区のエネルギー消費の一日の変化をマップにした(図1).これらは東京の空気を加熱しているが,気温への影響は+1.5〜2.5℃と考えられる.深夜1時には人間の活動レベルは低くなっているが,朝7時には多くの人が都心に出勤し,エネルギー消費は上昇していく.昼の1時にはそのレベルがピークに達し,人々が帰宅する夕方7時には,住宅の多い周辺部のエネルギー消費が増加する.最近コロナ対策で在宅勤務が奨励されたことにより,自動車交通は減少していたと考えられる.鉄道を含めた交通のエネルギー消費は25%程度であり,在宅勤務奨励の気温低減効果があった可能性もある.こうした都市の温暖化の研究では,気象観測やリモートセンシングによるモニタリング,数値計算による検証と予測,地理情報システムによる解析などが行われている.自然地理や気象など理学の分野では現象の解明,1990年代以降盛んになっているが,土木や建築など工学の分野では熱環境改善技術の開発研究が行われてきた.その対象空間スケールは,都市圏から素材までと様々である.よって当日は,・都市の温暖化の原因と対策,・打ち水や緑化,塗装など建築のスケールでできること,・都市の構造改善など土木のスケールでできることに加え,・次世代の対策として情報技術でできることについてお話する.

    たとえば日射を受けて加熱されたアスファルトなどの舗装面は,夏に50℃以上の高温になることがある.このような地表面に接している空気は加熱され,気温は上昇する.異なるタイプの地表面が気温を上昇させる力の大きさを比較してみると,舗装面のそれが圧倒的に大きいことがわかる.一方,水面や緑地では日射のエネルギーの多くが水の蒸発や植物の蒸散に使われる.この場合,気温は上昇しない.しばらく前から,暑さ対策で打ち水が話題となっている.打ち水をすると地表面の温度は大きく低下する.しかし気温への影響はあまり大きくなく,夏の日中であれば比較的短時間で乾いてしまう.日本の伝統的な習慣としては,日中熱くなった地面に夕方,あるいは朝方に打ち水をし,朝の段階での地表面温度をなるべく下げておく,というのが一般的なものである(図2).

    都市計画への活用を目的とした都市の熱環境研究であるが,ドイツでは気象学者や自然地理学者によって担われてきた.地方自治体政策担当者向けの教科書も出版されている.現在日本では10年前にくらべると,「都市全体の気温を低減しよう」というセンスの政策から,都市のなかにクールスポットを作って,都市の高温化に適応しようというセンスの政策にシフトしている感がある.

  • 黒木 貴一, 池見 洋明, 後藤 健介, 宗 建郎
    セッションID: 402
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    火山噴火に伴う火山灰や溶岩等の火山砕屑物は,土石流や掃流として二次移動し山麓には火山麓扇状地が発達する.火山麓扇状地は,火山活動が盛んな時期に成長し,休止期に開析され段丘化するテフロクロノロジーから判別できる地形変化過程を持つ.一方極短期の地形変化は,空中写真による判読,現地測量,簡易レーザー距離計の活用などで議論される.近年の測量技術の進歩は,火山山麓の地形変化に対し空間解像度と時間分解能を上げる議論の可能性を広げた.ただ防災の観点からは,極短期の地形変化の検討が必要となる.その観点から雲仙東麓において空中写真,UAV,SfMにより1990年以降の地形変化が議論されたが,植生のため精度面での課題が残された.本研究では,噴火が続く桜島の火山山麓に対し空中写真,衛星画像,レーザーデータから地形面区分と標高変化を明らかにし,短期間の地形変化の特徴を検討した.

  • 有馬 貴之
    セッションID: P160
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    Ⅰ はじめに

     第32回オリンピック競技大会(2020/東京)および東京2020パラリンピック競技大会(以下東京2020)が2021年の7月に開催の予定となっている。オリンピックのようなメガイベントは地域や国家の政策にまで影響を与える存在であり、ミクロスケールからマクロスケールまでの空間を扱う地理学の観点からも、その開催効果を検討、理論化する意義は高い。そこで、本発表では、国内のオリンピックと観光の関係に携わる先行研究の動向を整理し、今後の研究における基礎情報を提供したい。

    Ⅱ オリンピック・パラリンピックの開催数

     近代オリンピックは1896年のアテネで行われたオリンピックを第1回としており、その後計28回のオリンピックが世界各地で行われている。パラリンピックはより新しく、1960年のローマが第1回大会となる。参加選手数が最も多いものは夏季オリンピックであり、それに続く規模を要するのは夏季パラリンピックとなっており、1976年大会から冬季オリンピックの選手数を抜いている。

    Ⅲ オリンピックと観光に関する研究

    1) 東京2020開催決定以前における研究の萌芽

     日本におけるオリンピックと観光に関わる論考は、1940年に開催予定であった東京オリンピックに関わるものが始まりであり、当時はオリンピック開催に際し日本のブランディングや各種オペレーション、インフラ整備などが論点であった。その後、1964年の東京オリンピック時には日本人観光者の変化が、長野オリンピック時には事業者や経済面、住民への影響も議論された。その後も諸外国におけるオリンピック開催の都度、日本の研究においてもオリンピックが観光へ与える影響が論じられるようになった。

    2)イギリスの観光政策

     東京2020の開催が決定した2013年以降に発表された研究では、ロンドンオリンピックの研究が際立っている。この時期にはイギリス政府の実施した観光政策などが多く論じられた。そして、東京2020に向けた文脈の中で、これらの知見を東京や日本の政策に生かすという論調が大半であった。

    3)東京2020開催にかかる施策

     また、2013年以降は、東京都を始めとする自治体や観光庁などの政府機関、および民間企業によって、オリンピック開催に向けた取り組みの報告が多くなった。特にICT設備の強化、各種施設等の多言語化、多文化理解、ユニバーサルデザインへの取り組みが報告された。

    4)東京2020を契機とした観光の多様化

     上記の各自治体が対応する事項以外にも、医療、環境、セキュリティ、食、ナイトエコノミーなどに関する研究がなされており、これらの題材を楽しむ観光空間が東京2020以後表出する可能性が示唆される。なかでも、スポーツツーリズムへの言及が比較的多い。これらのように、東京2020の開催決定後研究者は複数の新たな観光形態の出現を予言しており、今後の研究に参考となる点があろう。

    5)東京2020を契機とした観光人材の育成と教育

     東京2020開催に際し、大学等での観光人材の育成も関連した形で議論されるようになった。なお、その多くはおもてなしやホスピタリティ教育の必要性を説いたものであった。

    6)東京2020に対する効果と国民の反応

     東京2020開催の決定によって、既に変化が生じた変化、もしくは各種の効果予測など、実データを用いた研究も散見された。たとえば、東京2020開催に対する日本国民への意識調査が複数行われ、経済効果の算出を行った研究も多い。また、宿泊施設の需要予測や地震発生時への対応予測なども行われている。これらの研究も、開催後に効果を検証する上で参考となるであろう。

    Ⅳ むすび−観光空間の変化を捉える視点

     本研究では、東京2020の開催後の影響を空間的に理解する上での事前知識としてこれまでの研究動向を整理し、政策・施策、観光の多様化、観光教育、経済効果と国民の反応という複数の視点から論考がなされていることが明らかとなった。これらから考えられる地理学的研究視点を本発表時に議論したい。

  • 澤田 康徳, 重野 拓基, 埼玉県熊谷市 政策調査課
    セッションID: P117
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    目的 相対湿度は,飽和水蒸気圧に対する水蒸気圧の分圧の割合として算出され,分母子に関わる都市の高温や低水蒸気圧から多く議論されている.多数の移動・定点観測に基づく季節的特性は,冬季および日中に都市と郊外との差が明瞭である(榊原 1995など).夜間は熱中症と密接で(中井 1993),差が小さくとも暑熱環境を論じる上で重要で,単年度より長期間の資料から相対湿度の都市と郊外との差の季節推移を定量的に捉えておく必要がある.また,経年変化は大都市について調査されており,郊外との差を検討する資料は多くない.本研究では,暑熱地域の熊谷市における暖候期夜間を対象に,相対湿度に関する都市と郊外との差の季節推移および年々変化をとらえる.

    方法 対象期間は,市による観測開始後の2010〜2018年(5月〜10月,1時〜6時)である.水蒸気圧の都市と郊外との差(⊿)は,風速が大きい場合に不明瞭であり,晴天静穏日を対象とする.対象日の選定は,日平均風速が2.5m以下,日照時間が5時間以上,無降水(0mm)期間が1時の前7時間〜全日の日とした.無降水日は,夏季において降水終了7時間程度経過後,気温が晴天日の状態に戻ること(澤田・秋元 2017)を考慮した.資料なしおよび気象台と比較した異常値を欠測とし,欠測が対象期間の20%以上の地点を除いた.アスマンと市の観測(通風シェルター・百葉箱)の器差平均は,気温は−0.6℃・0.21℃,相対湿度は6.76%・5.74%であったが(重野ほか 2020),都市(4地点)と郊外(8地点)との差分を議論する上で,誤差が気温(≦±0.2℃)湿度(≦+2%)とも小さい地点を対象とし,観測値を補正せずに用いた.着目した気候要素は,相対湿度(RH)と気温(T)および飽和水蒸気圧(SVP),水蒸気圧(VP)とそれらの都市と郊外の差(⊿)である.

    結果 相対湿度は,平均的に盛夏期(7・8月)で高く春秋期(5・10月)で低い.⊿RHは,高湿な盛夏期に小さい.また,平均値は全期間負を示し,都市の相対湿度は期間通して郊外より低い(図1).⊿RHと⊿Tが夏季に小さい従前の研究結果は(例えば尾島・岡 1976)),夜間についても同様の傾向を示すことが分かる.一方,平均的に⊿SVPは0.5~1hPa,⊿VPは0~0.5hPaの範囲で推移し,⊿RHや⊿Tの季節推移と対応しない.盛夏期は⊿Tが小さいものの,気温により決まるSVP自体が大きく,⊿SVPも大きいため季節差が生じていない.⊿RHの増減には,都市と郊外および両者の高低が関わる.それらの関係として相対湿度と⊿RHの相関係数は,都市では有意(r=0.64),郊外は有意でない値(r=0.18)を示す(図2).すなわち,季節通して都市より郊外は高湿で,都市の大きな相対湿度の高低が⊿RHに関与している.年々の特徴をとらえるために,都市の相対湿度を高・中・低湿の階級に分けると(表1),都市の高湿年には⊿RHがやや小さく,⊿Tやそれに準じる⊿SVPは若干大きい程度である.一方,⊿VPは大きく,都市の相対湿度は中・低湿年より高い.高湿年は飽和水上気圧が高い都市で水蒸気圧が高く結果として相対湿度が高い値を示すと考えられる.数十年平均では,気温と水蒸気圧の増減の整合が時期や都市により多様であるが(小林ほか 2000),長期変動に内在する年々単位の変化にも相対湿度に対する水蒸気圧の差が確認された.

  • 原 雄一
    セッションID: P161
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    本研究は、失われつつある大阪の記憶の痕跡をクラウドGISに保存、スマートフォンやタブレットに表示させ、個人あるいはグループでその痕跡を訪ね、大阪の歴史や出来事など街の変化の履歴を実際に歩きながら学習・継承し、次世代へ記憶を継承させていくことを目的としている。

     大阪に眠る記憶の痕跡とは、縄文時代から古代、中世、近世、近代、現在にいたるまでの歴史的な出来事や現在私たちの目の前に何らかの痕跡として残っているものを指している。本研究では、痕跡の形状によって3つに区分する。

    ・鉄道の廃線跡、河川の跡、旧街道のように線状のもの

    ・地形・地質や一定の広がりをもつ施設や地域の名称のように面的なもの

    ・歴史的な出来事、事件、地名など点で表現できるもの

  • 中川 清隆, 渡来 靖
    セッションID: S404
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    筆者ら(中川ほか2019)は,郊外より余分な地表面からの上 向きの顕熱フラックス密度による熱源のみを有する Summers(1965)のプルーム型都市混合層熱収支式に,温暖な境界層によるニュートン冷却機構を追加した式を提案し,興味ある結果が得られることを示した.この度,Summers(1965)の熱収支式に、冷熱源としてニュートン冷却の他に水平熱拡散項を加えることを検討した.その結果,プルーム型都市混合層の熱収支式は都市混合層厚の自乗に関する2階微分方程式となることが示された.

  • 菊地 俊夫
    セッションID: S602
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    何故、東南アジア・オセアニア地誌なのか 本報告の主要な目的は、東南アジアとオセアニアをまとめて、ひとつの地域として世界地誌を学ぶ可能性を検討することである。従来の世界地誌では、高等学校の地理の学習や大学の地誌学の講義において、あるいは観光のガイドブックでも、東南アジアとオセアニアはそれぞれ別個の地域として取り扱われている。しかも、多くの高等学校の地理の教科書では東南アジアは比較的最初に学び、オセアニアは最後に学ぶことになり、東南アジアとオセアニアは遠く離れた別個の地域のような印象を与えている。このような地誌の学びは世界を等質地域として区分して、具体的にはある属性(自然や社会・経済、あるいは歴史・文化)の等質性で区分された地域を静態地誌の方法で学ぶことを基本にしてきた。しかし、21世紀の世界は人・モノ・資本・情報がさまざまな境界を越えて即時的に流動する時代に直面しており、それらの流動は従来の地域区分の枠組みにとらわれることなく流動し、新たな地域の結びつきを生み出している。つまり、地域の結びつきに基づく機能地域としての地域区分も世界地誌を理解するために必要になっている。特に、東南アジアとオセアニア(オーストラリア)は人・モノ・資本・情報の交流が1990年代以降に急速に増加し、ひとまとまりの地域として扱うべき地域になっている。

    東南アジアとオセアニアの比較地誌 世界地誌の理解に関連して、東南アジアとオセアニアをともに取り上げる試みは比較地誌でも行われた。例えば、菊地・小田(2014)では、自然環境、歴史・文化環境、社会環境、経済環境の項目に基づいて、東南アジアとオセアニアの特徴をまとめ比較し、項目別に類似性と対照性を明らかにした。例えば、歴史・文化環境に関する項目では、東南アジアとオセアニアには大きな違いがあるが、現在では多文化社会の形成という類似性もある。2つの地域の多文化社会はサラダボール型で特徴づけられ、多様な個々の文化が尊重されていることも類似している。このような比較地誌の試みの多くは、等質地域としてのそれぞれの地域の比較であり、ひとまとまりの機能地域としての議論は不足していた。

    オーストラリアの動態地誌 オーストラリアの観光に焦点を当てた菊地(2009)によれば、オーストラリアのインバウンド観光では20世紀後半までイギリスやアメリカ合衆国、および日本からが中心としていたが、21世紀になると日本・中国・韓国とともに、マレーシア・シンガポール・インドネシア・タイの東南アジアからが中心となっている。観光を介した人の交流とともにモノや資本や情報の交流も東南アジアとオーストラリアで多くなり、機能地域としてひとまとまりの地域としてみなすことができる。このような機能地域で2つの地域を考えると、オーストラリアが「距離の暴虐」を克服するために北を向く姿や、サッカーのワールドカップの予選をアジアで戦う意味、あるいはAPECやTPPのつながりが理解できるようになる。

  • 田部 俊充
    セッションID: S601
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    Ⅰ.はじめに

     本シンポジウムは,日本地理学会2020年度秋季学術大会九州大学大会で第38回日本地理学会地理教育公開講座として発表予定であったものをオンラインで開催するものである。予定は以下のとおりである。

     日時:2020年11月21日(土)9:00-12:00

     主催:日本地理学会地理教育公開講座委員会

     共催:日本地理教育学会

     オーガナイザー・司会:田部俊充(日本女子大)

     講演1:菊地俊夫(東京都立大)「世界地誌学習の可能性としての東南アジア・オセアニア」

     講演2:井田仁康(筑波大)「高校地理探究と東南アジア・オセアニア地誌学習」

     講演3:永田成文(三重大)「生活文化の多様性からみた東南アジア・オセアニアの地理授業」

     コメンテーター: 阪上弘彬(兵庫教育大)

     総括:鈴木允(横浜国立大)「東南アジア・オセアニア地誌学習の現代的意義」

  • 廣瀬 俊介, 唐澤 圭輔
    セッションID: 111
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    都市に残る、自然的環境の生態系サーヴィスを中心とした公益的利益に関して評価を行う。江戸川に面した矢切低地に面積約100haで地域の伝統野菜「矢切ねぎ」が生産される矢切の耕地が形成され、下総台地との境界部に残る斜面林が特別緑地保全地区指定を受けている千葉県松戸市矢切地区を、その対象とする。

    方法としては、特に矢切低地の微地形、土壌、矢切斜面林-矢切低地間の地下水流動といった地域環境条件とこれに対応した土地利用の関係を把握しながら、都市農業振興基本法第3条 (基本理念) にある「農産物の供給の機能」を含む都市農業の「多様な機能」を矢切耕地がどう持つか検討し、その公共的利益を評価する。

  • 坪井 塑太郎
    セッションID: P154
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    Ⅰ.問題所在と研究目的

     わが国では地勢上,台風や前線の影響を受けやすく,各地で洪水災害が頻発している。こうした状況に対し,近年では,水防法の改正(2017年)によるハザードマップの見直しや,避難勧告等に関するガイドラインの改訂(2019年)が行われ,5段階の「警戒レベル」に基づく避難情報の本格運用が開始されるなど行政・住民双方において「新たな対応」が求められるようになってきている。本研究は,2019年(令和元年)10月12日に主に東日本地域に記録的な豪雨とこれに伴う甚大な被害をもたらした台風第19号を対象に,栃木県宇都宮市での状況を事例として,住民の避難およびNPO等による被災者支援の在り方について,一体的に把握・検討することを目的とする。調査にあたっては,被害が集中したJR宇都宮駅前の田川流域を主対象とし,自治会の協力のもと,質問紙調査を実施し,448世帯(763人),回収率36.1%の回答を得た。

    Ⅱ.宇都宮市における被害と避難状況

     令和元年台風第19号による宇都宮市の日降水量は,観測史上最大の325.5㎜を記録した。これにより,市域全体では,住家において床上浸水(607棟),床下浸水(331棟)のほか非住家においても480棟に浸水被害が発生した。また,河川護岸の破損や,農地への土砂の流入等の甚大な被害が発生した。本調査において実施した被災者の災害記憶から取得した「浸水開始時間」では,午後7時台から左岸の河川近傍地域において域内の排水不良等に伴う内水による浸水が発生し始めており,午後8時台には左岸を含む広い範囲に浸水が拡大していることが明らかになった。調査対象地域における「自宅外避難」の割合は,27.2%(115世帯)であり,その多くは,日没後の午後6時以降に避難が行われた。本研究対象地域は,想定降雨確率の見直しに伴い,新たに浸水想定域となったため,これまで避難所・避難場所となっていた域内の小学校等の施設が使用不可となった。そのため,発災前より行政および自治会の協働のもと,浸水域外の避難についての合意と地元説明会等が行われていた。しかし,被災中心地から指定避難所までの直線距離は1〜1.5kmほどあり,既に域内が浸水している中での実際の避難においては二次災害の危険性も有していたことが想定される。

    Ⅲ.NPO等の連携組織による被災者支援

     発災直後より,宇都宮市社会福祉協議会による災害ボランティアセンター(VC)が設立され,一般ボランティアによる被災家屋の泥出しや清掃,被災物の搬出等が行われた。また,これと並行して,宇都宮市を基盤に活動する市内の複数のNPO等が連携して設立した「うつのみや暮らし復興支援センター」では,災害ファンドを活用した専門系ボランティアの派遣や,相談会の開催,被災者の見守り・訪問・定例食事会,および検証調査等,中長期の伴走型支援が実施された。近年の災害対応では,効率的な被災者支援のために「行政」,「社会福祉協議会」,「NPO等」が連携して情報共有・活動調整を行う「三者連携」体制の構築と運用が要されており,今後においては,より実効性のある平時からの市域・県域での体制づくりが求められる。

    Ⅳ.課題

     災害の多くは,被災者にとっては「個人の記憶」となるが,将来に向けて被害を最小化していくためには,これを正しく記録し「社会の記憶(記録)」として共有・議論をしていくための技術や方法論を構築していくことが課題として挙げられる。

  • 鹿島 薫, Nahm Woo-Hyun, Han Min, Kim Buhm-Soon
    セッションID: P105
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    ボンポ湿原は、韓半島島海岸に分布する海岸泥炭地である。そこでは、高層湿原が分布していた。5mの不攪乱コア試料を湿原中央部で採取し、18層準で炭素14年代測定を行い、238層準で珪藻化石および黄金色藻休眠胞子による古環境復元を行った。8.2ka以降の海水準上昇に伴い、7700年前にラグーンが形成された。しかし、砂州の発達に伴い海水流入が中断し、7200年前から淡水-汽水沼沢(低層湿原)が形成された。その後4200年前から、高層湿原となった。これらの湿原-泥炭堆積物中に5回の暴風堆積物が挟まれていた。

  • 荒木 一視
    セッションID: P140
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    1 はじめに

    災害発生時に救援活動を行う拠点の配置のあり方を検討するのが本報告の主題である。昨今の災害においても,市町村役場や学校が救援活動の拠点となったり,避難所となったりしていることは周知の通りである。しかしながら,市町村合併が進み,また,児童・生徒数の減少もあり,学校の統廃合が進む中でこうした施設の地理的な分布が急速に縮小している。また,実際に災害が起こった際に行政が指定した避難所までの移動が困難であることや指定避難所以外での避難者に関わる問題提起もなされている。こうした中で効果的な救援拠点の配置を地理学の立場から検討したい。

    その際,役場や学校などの公的な施設がその役割を果たしていることはいうまでもない。これに加えて,寺社などの宗教施設,特に寺院に着目した。その背景には荒木(2020)において,1953年に紀伊半島で大きな被害を出した7.18水害時の救援活動を検討し,当時の避難所や炊き出しの実施場所として,役場,学校,寺社を確認できたことがある。

    具体的な研究対象地域は和歌山県日高郡域とした。すでに示した荒木(2020)によって,7.18水害時の救援物資輸送の把握を行なった地域であるとともに,近い将来に発生が予想される南海トラフ地震においても,少なからぬ被害が予想される地域だからである。また,和歌山県の山間部は高齢化の進行が著しいだけでなく,輸送ルートの整備においても脆弱性が指摘されているからでもある。こうした地域の救援活動がいかにあるべきかを考えるうえで,妥当な地域と判断した。

    2 現場で設定されている救援活動拠点

     中央防災会議幹事会による「「東南海・南海地震応急対策活動要領」に基づく具体的な活動内容に係る計画 平成19年3月20日」では応急対策活動の拠点として,進出拠点と活動拠点が示されている。また,平成19年版に続き,平成27年3月30日付けで「南海トラフ地震における具体的な応急対策活動に関する計画」を,令和元年5月27日付けで「南海トラフ地震における具体的な応急対策活動に関する計画」を公開している。さらに和歌山県が平成30年3月付けで作成した「和歌山県広域受援計画」によって,現状の公的な救援活動拠点を把握した。これらは南海トラフ地震を想定していることもあり,沿岸部に拠点が配置されている。当地域に甚大な被害を及ぼすことが予想される津波を考慮したであろうこと,人口の多い集落の分布も海岸線沿いにあることから,拠点の多くは御坊平野を中心とした海岸寄りに配置されていることにも一定の合理性があることは事実である。しかしながら,南海トラフ地震の被害は津波だけにとどまらず,家屋の倒壊や道路の閉塞などが各地で発生する事が懸念される。特に紀伊山地の山間部の急傾斜地での土砂災害なども十分に警戒されるべきである。こうした点を考慮した場合,現状の受援計画で果たして十分なのであろうか。日高川をはじめとする当該地域の河川の上流部における拠点の配置は極めて心許ない。

    3 救援活動拠点としての役場,学校,寺院

     そこでこれまでの研究で救援活動拠点として機能したと思われる役場,学校,寺院に着目して,その分布を検討した。その際,市町村合併や学校の統廃合の進展する以前との比較も重要であると考え,明治行政村や藩政期に遡った集落人口の把握にも努めながら,災害時のヘッドクォータ機能を果たすことの期待される役場庁舎の所在地や,多くの住民の収容施設となりうる学校の所在の分布を追跡した。

     その結果,明治,大正,昭和,さらに平成を通じての山間部からの人口流出と沿岸部との格差は顕著であるが,それに対する災害時の救援方策ということに関しては多くの課題が残されているといえる。とくに,山間部における食料生産機能が脆弱なものとなって久しく,日常的に都市からの食料供給に依存せざるを得ないのが今日の山間部の状況である。その意味では山間部の集落に自立的なイメージを求めるべきではない。災害発生時にそれらの地域にどのようにして迅速な救援活動を実施できるのか,また,どのようにして救援物資を供給するのかは今日的な課題として受け止めるべきである。その際に,重要な拠点となる役所や学校はこの数十年で急速に山間部から姿を消しつつある。本来的な機能ではないものの,それらが持っていた災害時の救援拠点としての役割をどのように担っていくのかという議論が求められているとともに,寺院などのいわゆる民間の施設もどのようにその一翼を担うことができるのかを考えねばならない。

  • 澤柿 教伸, 箕輪 昌紘
    セッションID: 105
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    1.はじめに

     氷体の底面における堆積物や基盤地形は,氷河・氷床の変動に大きな影響を与えており,これらを精査することで,過去の氷河変動を復元できる.しかしながら,氷底を直接測定することは技術的な困難を伴うだけでなく,たとえ解氷後に露出したエリアであっても侵食や風化で改変されてしまっている場合が多い.

     パタゴニア氷原から溢流する氷河は近年急速に後退しており,氷河周縁で基盤岩が急速に露出し始めているため,氷体が融解・消滅する直前の底面環境が比較的良好に保存されていると期待され,当時の氷体を復元する良い手掛りとなる.

     その一つであるビエドマ氷河の末端域での現地調査により,炭酸塩沈積物が氷食岩盤表面に固結しているのを発見した(図1).炭酸塩沈積物の存在は,氷底で炭酸塩を溶解した水流がかつてあったことを示唆する.一方,1968と1981年に航空写真が撮影されており,それを使えば,この地表面を覆っていた当時の氷河の形状を数値標高モデルで復元することが可能である.また,現地調査時にはドローンで露岩域を空撮しており,これでDEMを作成できる.氷河表面高度と基盤岩標高から当時の氷体厚を算出し,氷底の圧力場を見積もることで,炭酸塩が沈積する物理・化学条件を検討することが可能となる.

     そこで本研究では,ビエドマ氷河の融解直前の履歴とも照合しながら,当時の氷河の振る舞いを復元し,氷食地形や堆積物の生成過程および氷底プロセスが氷河変動に与える影響を考察することを目的とする.

    2.炭酸塩堆積物

     現地で採取した炭酸塩堆積物は,流線型の氷河侵食痕の表面に数センチメートルの厚さで沈積しており,特に,氷河の流動方向から見て下流側に階段状に落ち込んだlee-sideによく発達している(図1d).ものによっては畝(fullow)の形状を示し(図1h),水流が関与したことを示唆している.

     採取したサンプルを,顕微ラマン分光分析(HORIBA Symophony II; Laser Quantam Co. 532 nm laser)とX 線回折(Bruker AXS)で同定した結果,主にCaCO3で構成されることが明らかとなった.これは,氷河底面での氷融解・再凍結が基盤岩からのCaCO3の溶解と堆積を引き起こすからであろうと考えられる.

    3.基盤地形

     基盤岩にはdrumlin, tadpole rock, muschelbruck, furrow, potholeなどの流線型氷食地形が観察された.これらの超地形を詳細に解析するために,ヴィエドマ氷河前縁の露岩域のおよそ0.3km2 の範囲において UAV(DJI, Phantom 3 Advanced)を用いて対地高度100 m上空から空撮を行った.空撮で得られた写真をAgisoft PhotoScan Pro でSfM処理して高解像度のオルソ画像(2cm/px)とDEM (5cm/px)を作成した.これらからQGISを用いて陰影画像を作成して,目視により小地形をトレースしたところ,計135個の流線型地形が検出された.

    4.氷河表面高度の復元と基盤地形

     1968と1981年の航空写真をデジタル図化機(LPS)で解析し,氷河末端位置と氷河表面標高を取得した.これらと基盤地形DEMとのカップリングによって氷底水ポテンシャル面を復元している.またLandsat5の可視画像を解析することで1986年の氷河表面流動速度場を取得した.

     流線型地形の平均比高,面積,伸長方向角はそれぞれ 3.5m, 181m, N79゚Eであり,これらの伸長方向角は1986年の氷河の流動方向(N30゚E)とは異なる.しかし,復元した氷底水ポテンシャル面から推定される1968と1981年の氷底水流の勾配ベクトルと氷食地形の伸長方向とが一致することが判明した.この結果により,氷食地形が氷底水流によって生成されたことが示唆される.

    5.今後の課題

     今後は,氷河の融解過程に応じて氷河形状を変化させ,氷底水圧,温度,歪み速度を計算し,氷河流動速度を推定するとともに,これらの結果を人工衛星画像から算出した流動速度と比較して氷河 変動に底面プロセスが与えた影響を考察していく予定である.

  • 須山 聡
    セッションID: 202
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    Ⅰ はじめに

     日本の多くの離島では,人口の流出と高齢化に歯止めがかからない。離島に限らず,国土縁辺地域における過疎対策は,行政による公共投資に大きく依存してきた。その結果,過疎地域のインフラは改善されたものの,人口流出を抑止することはできなかった。従来の過疎対策では,過疎の根本的な解決はおぼつかない。

     従来の過疎対策は,国や都道府県の財源に大きく依存し,事業の企画立案もこれらが主体であった。過疎対策は常に「上から目線」であり,過疎地域は国や県の政策メニューを受け入れ,他の過疎地域と奪い合うだけの立場におかれた。こうした姿勢が,過疎地域住民から主体的な判断の機会を奪い,「お上」への依存体質をもたらした。

     人口減少と高齢化を,抑止すべき問題と捉える時期はもはや過ぎた。現状を踏まえれば,問題がこれ以上進行しないよう,つまり住民が住みたいところに住み続けられる方策を考えなければならない。そのためには,住民が主体的にこの問題に関わり合う必要があろう。

     駒澤大学地理学科では,社会学者の徳野貞夫が提案する「集落点検」を援用し,住民の居住継続と生活環境の改善を目的とするワークショップ型の地域調査を,奄美大島の宇検村において実施している。本発表はその実践報告である。

    Ⅱ 集落点検の実践

     集落点検では,集落を対象に住民と研究者・学生が協働して,地域の問題を発見し,その解決方法を考える。具体的には住民とのワークショップとそれに基づく実践である。

     ワークショップは①集落の現状把握,②現状分析と報告,③改善のための提案からなる。ワークショップでは,学生らが住民から聞き取りを実施し,住民の家族構成や職業,他出家族の状況,日常の生活行動を把握する。また過去の空中写真を用い,過去の生活空間を再現する。これらの情報から,学生が簡単な地図や図表をその場で作成し,集落の特徴を指摘する。この発表に基づいて,住民・学生の小グループで集落の問題点を話し合う。抽出された問題点は,翌日以降の地域調査で確認する。そしてワークショップで得られた問題点を解決するための提案を,約半年かけて学生らが立案し,その成果を集落で発表し,実践に結びつける。

    Ⅲ 集落点検で見いだされた空間の問題

     過去4年間で村内5集落において集落点検を実施した。その結果,宇検村における集落の問題点,つまり過疎の根本的な原因は,生活空間の縮小と集落の空間構造の変質に求められる。

     宇検村の集落は広大な集落有林を保有し,山林収入を得るとともに,段畑ではサツマイモなどの自給作物が栽培された。小規模な沖積平野では稲の二期作とサトウキビ栽培が組み合わせられていた。現在では山林は利用されず,集落を取り囲む農地の大半は耕作放棄されている。集落の地域資源に若年層は関心を向けないが,高齢者らにとっては,シマの空間での経験がかけがえのない記憶となり,生まれ育ったシマでの居住を継続する理由となっている。自分たちが住み暮らす空間を熟知し,高度に利用した経験が,現在の居住継続につながる。

     その一方,集落内部では公的空間と私的空間の分離が進行した。奄美の集落では現在でも,ガジュマルの木陰で憩う高齢者の姿を見ることができるが,かつては公的空間と私的空間が明確に分離されず,両者が連続していた。どちらにも属さない曖昧な空間,いわばサードプレイスが集落内に広がっていた。しかし集落点検では,自宅敷地内は私的空間,その外は公的空間とする都市的な空間分割が,奄美のシマにおいても強く意識されていることが明らかになった。空間の分割により,個人や家族が強調され,集落を行動単位とする機会は減少した。また,サードプレイスの喪失は,コミュニケーションの機会を失わせ,とくに世代間のコミュニケーションギャップを顕在化させている。

     宇検村の集落が抱える過疎問題の根底には,集落の空間構造の変容が横たわる。これが集落を不便で息苦しい場所にしてしまった。道路や公共施設といったインフラ整備のみでは集落に内包された問題は解決できない。住民の視線に立ち,集落の空間構造を再構築することが,集落における居住継続,ひいては過疎問題の解決に結びつく。

  • 西 暁史, 日下 博幸, Vitanova Lidia, 今井 優真
    セッションID: S405
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    夜間に極端高温が発生すると,熱中症や睡眠障害などの健康被害や,水稲の成長に深刻な損傷を引き起こす可能性があるため,社会的な問題になっている.例えば,2018年8月23日から24日にかけて新潟平野で極端高温が発生し,夜間にもかかわらず,新潟市では30.0℃以上となっていた.このような夜間の極端高温に寄与した可能性のある要因には,メソスケールでは,フェーン型のおろし風があげられる.一方で,都市ヒートアイランド(UHI)効果もこの極端高温の発生の要因となりうる.ただし,夜間極端高温事例に対して,フェーンとUHIがどの程度寄与したかは,定量的な評価が行われたことはない.そこで,本研究は,2018年8月23日から24日にかけての夜間極端高温事例に対してフェーンとUHIの影響を定量的に評価する.

     当該夜間極端高温事例の特徴を調べるためにAMeDAS地上観測データを使用した.同時に,単層都市キャノピーモデルを導入したWRFモデルを使用した数値実験を行った(CTRL実験).さらに,夜間極端高温事例に対するフェーンとUHIの両方の影響を定量的に推定するために,2つの感度実験,①新潟市の都市を水田に置き換えた実験(NoURB実験),②すべての地形を除去した実験(NoTOPO実験)を行った.

     観測データとCTRL実験の結果から,この夜間極端高温事例では以下の5つの特徴があった.①台風が四国に付近にあった.②事例中は,南東風が継続していた.③山脈の風上側では,風下側と比べ風が弱く,気温が低かった.④山脈の風上に降水があった.⑤等温位線が山脈の風上から風下にかけて大きく下降していた.これらの気圧配置,風,気温,降水量などの特徴はフェーンの特徴とよく一致しており,フェーンが発生していたといえる.一方で,新潟市の市街地における夜間気温(30.0℃以上)が周辺の農村部(27.0〜30.0℃)よりも高いことから,この夜間極端高温事例中にUHIが起こっていたと言える.

     CTRL実験,NoURB実験,NoTOPO実験における8月23日21時の新潟の気温は,それぞれ,31.0℃,27.5℃,28.2℃であった.したがって,この時刻におけるフェーンとUHIの寄与はそれぞれ,2.8℃と1.9℃であった.一方で,8月24日の0時におけるフェーンとUHIの寄与は,それぞれ3.2°Cと0.8°Cであった.つまり,この夜間極端高温事例に対するフェーンとUHIの寄与は時刻によって異なっていた.実際に,フェーンの寄与は深夜に大きく,UHIの寄与は日暮れごろに大きくなった.

     以上の結果から,2018年8月23日夜から24日早朝にかけて発生した夜間極端高温事例に対して,フェーンとUHIの双方が寄与を持ち,その寄与の大きさは時間によって異なっていたことが分かった.

  • 埴淵 知哉
    セッションID: 305
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
    会議録・要旨集 フリー

    新型コロナウイルス感染症(Covid-19)の流行下では、人混みを避けて人との距離を保つこと(Social distancing)が必要とされ、移動や外出の自粛も求められる。この状況が長期化する中で、人との対面接触を基本とする従来型の社会調査あるいは地域調査は、事実上、実施不可能な状態が続いている。国が実施する統計調査にも影響は及んでおり、2020年国民生活基礎調査は中止となった。その一方、Covid-19をめぐる人々の外出状況や予防行動の把握に対しては、スマートフォンの位置情報やLINEアプリを利用したサーベイ(「新型コロナ対策のための全国調査」)など、新たな技術・方法も活用されている。

    このようなCovid-19の社会/地域調査に対する影響は、良くも悪くも、インターネット調査の学術利用に関する議論を活発化させる方向に働く。これが距離を保ちながら人々から情報を得ることができる、数少ない有用な調査法だからである。インターネット調査の強みはその迅速性と廉価性にあり、紙の調査票では不可能であった画像データなどの収集も可能である。標本の代表性や測定の精度に課題を抱えつつも、総調査誤差の観点から従来型調査を補完することが期待されている(埴淵・村中 2018)。

    本発表では、Covid-19流行下で実施されたインターネット調査の事例を紹介するとともに、量的調査だけでなく、フィールドワークやインタビュー調査のオンラインでの実施可能性についても若干の考察を行うこととしたい。

    一つ目の事例は、緊急事態宣言下における外出行動の把握を目的としたインターネット調査である(2020年5月実施、n=1,200、東北大学)。同調査では、過去三カ月の外出状況について、レトロスペクティブな自己申告データと、iPhoneに自動記録されている歩数の画像データが同時に収集された。注目すべきイベント(この場合は緊急事態宣言)の発生後、短期間のうちにイベント前に遡及したデータ収集を行うこの方法は、従来型調査では不可能なインターネット調査の迅速性を生かしたものといえる。

    二つ目の事例は、Covid-19流行下における地域住民の予防行動に関するインターネット調査である(Machida et al. 2020、ベースライン調査:n=2,400、東京医科大学)。ここでは2020年2月から7月の間に4回のインターネット調査が実施されており、短期間で繰り返し追跡調査(同一の参加者による回答)を行っている点に特徴がある。刻々と変化する流行状況とそれに対する人々の行動変化(例えば手洗い実施率の推移など)を詳細に把握しうるこの方法も、インターネット調査の迅速性を有効に活用したものといえる。

    とはいえ、すべての社会/地域調査がオンライン化できるわけではなく、調査手法間には差がみられるであろう。インタビュー調査に代表される質的調査や、現地を訪問して行うフィールドワークがどの程度オンライン環境で実施可能なのか、また翻って考えると、従来型の調査にはどういった方法上の価値があったのかなど、議論すべき課題は多い。「現場の雰囲気」を掴みにくいオンライン調査では、思いがけない偶発的な発見が生じにくいことなどは当然予想される。これらを実証的に探ることが、今後の社会/地域調査法において重要な検討課題になると考えられる。

    埴淵知哉・村中亮夫 2018. 地域と統計—「調査困難時代」のインターネット調査. ナカニシヤ出版.

    Machida M, Nakamura I, Saito R, et al. 2020. Adoption of personal protective measures by ordinary citizens during the COVID-19 outbreak in Japan. Int J Infect Dis. 94: 139-144.

    *本研究はJSPS科研費(17H00947)の助成を受けたものです。

  • 竹本 太郎
    セッションID: S501
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    環境保護主義の源流を帝国の森林管理に見出そうとする研究(Guha1999、Barton2012)が脚光を浴びるなど、イギリス帝国をはじめとする帝国の森林管理への注目が集まり(Sivaramakrishnan1999、水野2006)、Bennet(2016)は植林と保護地域という「保全モデル」を提示してグローバルな近代史をまとめた。日本帝国の森林管理については、研究が少ないと指摘しながら概論を試みたMorris-Suzuki(2013)があるものの、部分的に用いられた統計がミスリードとなる恐れがある。このような議論における日本帝国の森林管理の位置を知るためには、たしかに質的な調査が有効であるが、時間的、空間的に限定された資料によるミスリードを避けるため、まずはマクロ的な量的推移を把握する必要があろう。

     そこで、本報告では、まず日本帝国の領土を、植民地(台湾、南樺太、朝鮮半島)、半植民地(北海道)、内地に区分し、次に、林野面積、所有別面積、保安林面積の推移をそれぞれの地域で把握した。その際に、単位は、たとえば台湾の面積は「甲」という単位で統計が取られているが、このような違いをhaに換算して統一した。期間は、統計が安定してくる1912年から、戦争の影響で不安定になりはじめる1942年までに設定し、3年おきで数値を拾った。

     まず全体像の把握として、台湾と南樺太の土地面積は360万haで九州とほぼ同じで比較的小さく、内地と朝鮮半島の林野面積が1650万haでほぼ同じで大きい。北海道、樺太、朝鮮半島の森林率が約6割となり、内地や台湾に比べて高い。内地と北海道をあわせた日本全体で森林管理を把握している現在とは異なり、日本帝国による森林管理はこれら領土の全体を見渡しつつ地域ごとに行われていたといえよう。次に、木材の移出入についてここでは深く触れられないが、1934(昭和9)年の用材(燃材を除く木材)の移動を針葉樹、闊葉樹別に見ると、台湾や朝鮮半島は用材の移入が超過している一方で、南樺太や北海道は移出が超過している。とりわけ南樺太から内地への針葉樹の移出は600万石(およそ167万立米)と突出していたことが分かる。

     項目ごとの結果を以下にまとめた。

    【林野面積】 林野面積は森林と原野に区分することで内実が見える。内地は原野面積が逓減し1933年に森林面積が150万haになる。北海道は動きが少なく、台湾は大正末期から統計が安定し、森林面積は逓減する。朝鮮半島だけ森林面積を被覆率30%以上と10-30%に区分した推移を追跡でき、30%以上が増加する。南樺太は森林の減少が比較的激しい。

    【所有別面積】 所有別面積は国有、公有、私有に区分する。内地は私有が逓増するが、動きは小さい。北海道は国有が400万ha以上を確保するが、やはり私有が逓増する。台湾は北海道以上に国有が占める割合が高いが公有は殆どない。朝鮮半島は時間をかけて国有が私有に転換され、1930年以降は割合が内地に似てくる。南樺太はすべて国有林野である。

    【保安林面積】 保安林面積は水源涵養、土砂防備、風致、そのほかに区分した。内地は、水源涵養は450万haほどで変化しないが土砂防備が40万から80万haへ倍増する。一方、北海道はほとんどが水源涵養で1930年に全体で70万ha近くに達する。台湾は増加率が大きく、最終的には林野面積の10%以上が指定される。朝鮮半島も台湾同様に増加率が大きいが、最終的な指定率は3%程度に留まる。水源涵養の割合が大きい台湾に対して、朝鮮は殆どが土砂防備で他と比較すると風致も目立つ。南樺太には保安林が殆ど指定されなかった。

     明らかに収奪的な南樺太を除けば、それぞれの地域で必要とされた森林管理が統計に出ていると考えられる。植生は異なるものの北海道と台湾に全体的な類似があり、朝鮮半島は森林率や、所有割合が内地に近づいたといえる。

  • 長谷川 直子, 三上 岳彦, 平野 淳平
    セッションID: P123
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    1.はじめに/研究目的・方法

     長野県諏訪湖の結氷・御神渡り期日は藤原・荒川によってデータベース化されているが(Arakawa1954)元データは複数の出典に分かれている(表1)。、演者らはこれらの記録をもう一度改めて検証し直していることを昨年報告したが(長谷川ほか2019)、本発表ではその続報を報告する。演者らは、入手したデータを1444年からデイリーで入力しデータベース化している。

    2.諏訪湖の結氷記録の詳細とデータ入手の現状

     諏訪湖の結氷記録は出典が様々であり、大きく分けると表1のようになっていることは、すでに2019秋に紹介した。このうち、当社神幸記と御渡り帳は復刻諏訪史料叢書に活字化されており、復刻諏訪史料叢書を入手している。当社神幸記の原本については一部諏訪市博物館に所蔵されており画像で入手はしているが、大部分は紛失しており、原本にさかのぼることは困難であるため、復刻諏訪史料叢書の記載が正しいと仮定してデータベース化を進めている。また、諏訪史料叢書に載っていない諏訪湖御渡注進録は、1893年から1923年のものを入手し、翻刻を進めている。田中阿歌麿データと藤原・荒川データは、いずれも2次資料であり、これらと元データと思われる当社神幸記・御渡り帳・諏訪湖御渡注進録との照合が必要になる。作成中のデータベースの記入例を図1に示す。

    3.出典間の期日のずれの検証

     藤原・荒川データベースは1954年に発行されており、田中(1912)も参照していると思われるが、田中の期日とはずれているケースが目立つ(図1参照)。発表では、全体的なずれの詳細について報告できればと考えている。

    (本研究はJSPS科研費補助金(19K01155:代表長谷川ならびに20H01389:代表三上)を使用した。)

    [文献] (紙面の都合により論文タイトルは省略)

    石黒直子2001. 地理学評論 74巻7号.415-423.

    Arakawa, H. 1954. Arch. Meteorol. Geophys. Bioklimatol. Ser. B, 6,152-166.

    長谷川直子・三上岳彦・平野淳平 2019 諏訪湖・十三湖の結氷解氷記録と冬春季の気候 変動(その1)—諏訪湖結氷記録575年間の再検証. 日本地理学会秋季学術大会(新潟大学

    田中阿歌麿1912 :「湖沼学上より見たる諏訪湖の研究」岩波書店.

  • 研川 英征, 森下 玲, 出戸 雅敏, 榎本 壮平
    セッションID: P111
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    1.はじめに

    令和元年東日本台風の影響により,10月12日から東北地方の広い範囲で非常に激しい降雨とそれに伴う水害が発生した.そこで,国土地理院の空中写真(10/13/・10/20撮影),浸水推定図(10/17作成)の輪郭線(以後、浸水推定範囲とする)や斜面崩壊・堆積分布図(10/24作成)に被災状況の把握を行い12月11日から13日にかけて,宮城県の丸森町及び角田市において現地調査を行い,治水地形分類図や被災前の空中写真等との比較検討をおこなった.

    2.結果

    ①湛水範囲における土砂の堆積

    角田市及び丸森町の明瞭な湛水が発生している地点において治水地形分類図と堆積状況の比較を行った.丸森町の氾濫平野と微高地に分類されている箇所では顕著な土砂堆積が見られたが,角田市の後背湿地に分類されている箇所では土砂堆積の痕跡は僅かであった.

    ②土砂堆積と微高地の分布

    斜面崩壊・堆積分布図によると,五福谷川上流域では斜面崩壊が多発している.五福谷川の急峻な山間から平野に変わる位置においては,これら斜面崩壊の影響によると思われる土砂を伴う氾濫による堆積が顕著である.この一帯は微高地が分布する.また,空中写真で確認出来る氾濫水の主な流下痕跡は旧河道の分布や氾濫平野の分布と調和的である.

    ③局所的な侵食と堆積

    内川の上流域は,空中写真を見る限り土砂供給に繋がるような顕著な斜面崩壊は確認出来ないが,局所的に堆積が生じている.現地において確認したところ,直近の上流側(奈良又川との合流から500m程度の区間)が侵食により表層の土壌は剥がされて礫が露出する様相となっていることから、当該箇所が土砂の供給源と見られる.

    3.まとめ

    本調査の結果,土砂移動を伴う被災状況は,災害前の治水地形分類図と調和的であった.このことは,災害リスクの事前把握において,地形分類が有効であると考えられる.

  • 西村 智博, 室井 翔太, 小野山 裕治, 茅根 創, 須貝 俊彦
    セッションID: 403
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    1. はじめに

     関東平野周辺の地形発達に関しては,貝塚(1964)ら多くの研究者によって様々な模式図が示されてきた.これらにより,多くの人々は関東平野の低地がかつて海であったことを認識している.一方,東京都(2012)は,首都直下地震等による被害想定を実施し,震度分布予測等を公表している.

     ここでは,関東平野周辺で詳細な3次元古地形データを試作した上で,ゆれやすさ等の防災情報をオーバーラップ表示することにより,地形の成り立ちを確認しながら任意地点の災害特性を理解できる学習コンテンツの検討を行った.

    2. 3次元古地形データの試作

     長期的な隆起・沈降量や氷河性海水準標高,旧汀線の分布,沖積層基底面など,地形発達に関連する各種資料を収集し,すべてをGISデータ化した上で,現在の地形と整合するように補正を行った.また,陸域・海域を合成した地形データを作成した.これらを利用して,現在から過去に遡るように地形の復元を試み,現在(明治期),6千年前および2万年前の3次元古地形データを試作した.

    3. 防災関連データとの重ね合わせ

     作成した3次元古地形データ上に,防災情報データを重ね合わせることにより,任意の地点で想定される災害現象と地形の成り立ちとの関係が容易に確認できる.例えば2万年前の地形と現在の地形・土地利用に,地震時のゆれやすさの想定結果や明治期の海岸線・土地利用を重ねることにより,表面的なハザードマップに留まらず,地形発達に起因する土地の脆弱性を,首都圏の住民やそこに通う学生の居住地や生活圏に拡大して理解することができる.

    4. 今後の展開

     本検討では,3次元古地形データを利用することにより,地形の成り立ちを素因とする災害特性の理解が容易となり,防災コンテンツとして有用であることが示せた.

     関東平野周辺については,遠藤(2017)等により精力的な研究が行われており,3次元地形モデル化が進められている.このような成果が広く利用できるようになれば,災害特性の理解や地形の成り立ちへの関心がより高まると期待される.

  • 原 将也
    セッションID: P142
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
    会議録・要旨集 フリー

    ザンビアには現在まで、伝統的権威であるチーフ(首長)が存在する。間接統治の時代に、チーフは植民地行政の末端に組み込まれ、実質的に地方行政や地域開発を担った。現在ザンビアには73の民族が存在するといわれ、それぞれの人口規模や社会構造は異なるが、民族ごとに複数のチーフが存在する。現在の農村部ではチーフが政治リーダーとして影響力を保持しつづけ、チーフの意向に沿って、行政や地域開発がおこなわれることもある。チーフの権力が強まることで、よそ者に対する圧力や不利益につながり、チーフの民族とは異なる民族の排除につながる危険性をはらんでいる。ザンビアの農村部では地域によって実態は異なるが、多数派であるチーフの民族にあわせた行政がおこなわれることが多い。その反面、地域をよく知るチーフによって、地域の実情に合わせた行政サービスの提供や地域開発の遂行が可能になるという指摘もある。

     本発表では、ザンビア北西部のカオンデという民族のチーフCが治める地域を取り上げる。チーフC領は他民族の領域と接しており、民族どうしの境界に位置する。民族境界地域において植民地時代以降の住民の移入経緯とそのときのチーフとのかかわりに着目し、多民族構成の地域が形成されてきた経緯を報告する。

     カオンデは16〜19世紀に、コンゴ盆地南部に存在したルバ王国からクランごとに現在のザンビアに移動してきた。カオンデは親族を中心とした村をつくる。10〜30村をまとめて地区とし、10地区ほどをひとりのチーフが治める。チーフが領域内の地区長や村長を統括し、チーフと地区長、村長は世襲である。カオンデには複数のチーフがおり、もともとクランの長であった。集権的な統治のしくみではなかったが、植民地政府によって他民族の集権的なしくみを模して、チーフ全体をまとめるシニア・チーフがつくりだされた経緯がある。また植民地時代に、政府によってカオンデのチーフ18人が治める領域が定められた記録が残っている。植民地政府がチーフの数を管理しており、カオンデのチーフは行政の末端に組み込まれていた。

     チーフC領には1940年ごろより、ポルトガル領西アフリカ(現在のアンゴラ)、ベルギー領コンゴ(現在のコンゴ民主共和国)、隣接するカボンポ県からカオンデ以外の民族が次つぎと移入してきた。移入者の多くはチョークウェだったが、そのほかルンダやルバレ、ルチャジといった民族も含まれていた。移入者はカオンデとは分かれて民族ごとに村をつくった。チーフCが領域外からカオンデ以外の民族を受け入れ土地を分け与え、居住や新しい村の創設を許したのである。これ以降カオンデ以外の人口は増えていく。

     たとえばルンダのK氏は、1948年に親族からの妬みを避け、領外の村からチーフC領に移動してきた。頼るところのないK氏が、あてもなくさまよっていると、チーフCの側近と出会った。K氏が事情を説明すると、チーフCと謁見することとなり、領内への移住の許可を得ることができた。K氏はチーフから指定された移住先で、みずからの名前を冠した村を創設し、後年には新しくできた地区をまとめる地区長を務めた。ザンビア北西部のカオンデのチーフC領では、地域を統治するチーフがみずからの判断で、地域内の事象に対して柔軟に対応しており、領域外からの他民族を受け入れたことで、多民族地域が築かれ、現在まで保持されている。

  • 轟 博志
    セッションID: P143
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    新羅における郡県など基礎行政区域に関する研究は、制度やその変遷、地方豪族との関係、山城等の軍事施設との関係など、多様なアプローチで研究が蓄積され、新羅史研究の重要なジャンルの一つであった。その中で、近年には交通路との関係性に言及する研究も増加してきた。例えば金昌錫は広域州の登場と物資移動経路としての交通路の関係の重要性を初めて言及した。しかし軍事行動との関係は重視せず、また基礎行政区域との関係も言及しなかった。郡単位の行政区域と交通路の関係を初めて指摘したのは朴省炫で、三国統一以降、郡治が平地へ、また交通至便なところへの移動が行われたことに言及した[2] 。だが、これも具体的な幹線駅路の検証を前提としておらず、道路との関係を推定するにとどまっている。交通路と行政区画の関係そのものを正面から論じている研究は、管見の限り存在しない。

    そこで本稿では、統一新羅時代の郡について、その領域や治所の位置と、筆者がこれまで比定した交通路の関係について、広域州と同様の密接な関係性が見出せるかについて、歴史地理学の立場から検討する。それによって、逆に行政区域の地理的態様から、史料が絶対的に不足している駅路復原の手掛かりとする可能性を追求し、同時に両者が密接な関係を持った理由について、既に研究が進んだ新羅の地方統治制度とも関連付けながら、一定の仮説を導き出したい。

    広域州の正確な領域については、史料の制約から九州五小京画定後の状況しか把握できない。五通駅路に代表される幹線駅路の経路及び流域圏などの地形に影響されることと、朔州のように駅路が続いていれば流域をも無視する場合があることなどが理解された。駅路の発達や州の改廃は三国時代の軍事行動とも密接に関係していたので、統一後に画定した細長い広域州の領域も、その形成起源は統一前の軍事活動に求められよう。

    郡の場合も同様に、駅路にある程度規定されたと思われる細長の行政区画が、王京周辺を扇の要として放射状に広がっていることが、特に北海通・北?通・塩池通方面で多く確認された。また六世紀に制度化された郡の領域は、当初旧小国などの伝統的な地域社会単位で設定されることが多かったのが、新羅の急速な領土拡張に伴い、三国統一を前後して駅路中心の領域設定に変容していった可能性が、一部の越境地の存在などから推測された。

    郡や県の治所も、従来は小国等の王宮の所在地であったり、山城などの軍事的拠点に依拠していたりと、地域内で完結した形での立地原則を取っていたものが、統一後に、または該当する郡地域が平定され、前線ではなく後方地域となってからは、前線に向かう兵站の拠点として、さらには王京を中心とした中央集権的な統治の拠点として、徐々に駅路と密接な関係をもって再整備された。その結果として少なくない邑治は平地に移転し、時には九州五小京のように条坊を伴って拡大された都市域を持った。従って行政区域や駅路の変容は一気呵成に行われたのではなく、前線の進捗に従って徐々に行われた。そのため、国家制度上の性格は新羅の統一前と統一後に分けられるが、空間構成上のそれは、6世紀から8世紀にかけて、地域差を伴って徐々に起こったと捉えるべきだ

    以上のような仮説は、本研究では限られた史料と事例のなかで、推論に推論を重ねて暫定的に示したに過ぎない。しかし今後この仮説を精緻化するために事例研究を重ねるにあたって、一定のアプローチを示せたと考える。

  • 水野 祥子
    セッションID: S507
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    1. イギリス帝国と林学

     英領インドでは19世紀後半から、アフリカやカリブ海の植民地では20世紀に入ってから、植民地政府が近代林学に基づき森林を管理する制度が展開した。森林局や森林法が整備され、政府所有林に画定される森林面積が拡大するにつれ、焼畑や放牧、燃料の採集など現地住民の慣習的な森林利用が制限されるようになった。インド森林史の先駆者R・グハに代表されるように、こうした中央集権的な森林管理制度は現地社会のシステムを破壊し、激しい抵抗を引き起こすものと捉えられてきた(Guha 1989)。これに対し、支配と抵抗、西洋と非西洋、近代科学と伝統的慣習という二項対立の構図からは見えてこない植民地政府と現地社会それぞれの内部の多様性や変化、また、両者の「遭遇」によって生み出されたものに目を向ける必要性が唱えられている(Sivaramakrishnan 2008)。他方、帝国というマクロな視点から林学の展開を考察する研究では、知の生産と普及のあり方が議論されてきた。ドイツ林学を基盤としてインドで森林管理制度が確立し、その後イギリス帝国各地へ広がったという一方行的な知の普及モデル(Barton 2002; Rajan 2006)に対して、東南アジア各地の経験とヨーロッパの林学やアメリカの生態学が相互に影響しながら新たな知が生み出されたと指摘する研究が出ている(Vandergeest and Peluso 2006)。これらの研究成果を踏まえて、本報告では、イギリス帝国の森林管理官と現地住民の遭遇によって生み出されたハイブリッドな森林管理方法「タウンヤ(taungya)」がイギリス帝国林学のなかでいかに位置づけられたかを明らかにする。

    2. 林学・焼畑・タウンヤ

     一般的に焼畑は広範囲にわたって森林に損害を与える浪費的な方法として問題視されていた。しかし、ビルマのペグー山地に居住するカレン人に対しては、樹木を伐採、火入れした土地で1〜数年の間のみ農作物を栽培することを認める代わりに、木材として有用なチークの苗木・種子の植栽、除草などを義務づけるタウンヤと呼ばれるシステムが1850年代後半から始められた。林学において防火は基本原則の一つであり、インドの政府所有林内では焼畑や火入れを伴う放牧が禁止されていたため、ペグー山地のタウンヤは人口が少ない奥地で林業労働力を確保するために採用された例外的な方法であった。ところが、20世紀初頭になると、ビルマやベンガル北部、アッサムの森林管理官のなかに、焼畑の禁止(火入れの排除)が徹底された地域で生態環境が改変され、常緑種との競争に負けてチークやサラノキの更新が成功しないという問題を指摘する者が出てきた。かれらの間で火を更新の手段として利用すべきか否かについて論争が巻き起こったが、同時期に発展した生態学の影響もあり、従来は有害とみなされていた火がチークやサラノキの更新に必要だという認識が広がっていった。こうして1920年代までにインド北東部にタウンヤが導入されたのである。

    3.帝国林学ネットワークとタウンヤ

     英領インドで生み出されたタウンヤは帝国林学のなかでどのように位置づけられたのだろうか。1923年に開催された第2回帝国林学会議では、焼畑の全面的な禁止を求めるグループと、適切に管理するという条件つきで焼畑を容認するグループがあり、焼畑への対応が帝国内で二分していた。しかし、1935年の第4回帝国林学会議では、ある種の森林更新に火の利用が有効であることに同意が得られるようになり、タウンヤのような焼畑を利用した造林法がビルマ、ベンガル、アッサム、連合州など英領インドに加え、ケニア、タンガニーカ、さらにナイジェリア、ゴールド・コースト、オーストラリア(クイーンズランド)などイギリス帝国内に広がったことが明らかである。また、タウンヤとともに、森林管理官の監督のもとで住民が火入れを行う「初期火入れ(early burning)」が帝国内に広がったことにも注目すべきである。これは、放牧のための火入れを条件つきで許可するというものであった。これらの方法は植民地の森林管理官と現地の生態環境や現地社会との接触によって生み出された管理方法であり、ローカルな経験が帝国林学会議という場で交換され、共有されるなかで、現地住民の慣習的な土地利用を取り込んだ新たな林学が帝国内で展開したといえる。この点に注目すれば、イギリス帝国における林学とは、ヨーロッパ林学から派生したものというよりも、各地の実践に立脚したさまざまな林学モデルが森林管理官のネットワークのなかで交換され、相互に影響しながら構築されていくハイブリッドなものとしてとらえることができよう。

  • 水野 一晴
    セッションID: S202
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    1.京都大学自然地理研究会の発足とその目的

     京都大学に自然地理研究会が発足したのは2001年4月である。演者が1997年より京都大学の全学共通科目(一般教養)にて自然地理学の授業を担当すると、次第に、自然地理学を京大で学べる場を作って欲しいという要望を受けるようになってきた。当時、文学部と総合人間学部に地理学教室があったものの、教員がすべて人文地理学の教員であったため、とくに学部生が自然地理学を学べる場が一般教養以外になかった。その当時、演者は大学院アジア・アフリカ地域研究研究科の教員であった。自然地理学はとくにフィールドワークを重要視しているため、野外実習を行う場を設けるために、自然地理研究会を発足させることにした。会員制ではなく、登録をすると毎回案内が送られ、参加したいときだけ参加するという緩い組織である。参加資格に制限はなく、他大学や一般社会人の参加もある。計画は7〜8人からなる世話人を中心として、すべて学生が行い、演者は相談にのったり、参加するだけである。

    2. 自然地理研究会の活動

    自然地理研究会は、毎年春から夏まではほぼ毎月、秋〜冬は数ヶ月に1回程度、野外実習を実施してきた。2001年4月から始めたので、今年で20年目になる。当初は自然地理学に関する実習を中心に行っていたが、しだいに、実習の場所が決まると、そこでの自然地理学と人文地理学の両面から実習を行うことが多くなってきた。

    コロナ汚染の影響でしばらく活動を自粛していたが、2020年7月に、第144回 自然地理研究会「琵琶湖疎水の歴史と周辺の地形」の実習を行った。琵琶湖疎水取水口と三井寺にて、疎水の成り立ちや琵琶湖周辺の地形について、インクラインと南禅寺にて、京都市の近代化について、琵琶湖疎水記念館にて、疎水の歴史を、主に世話人からなる数人の案内者の解説とともに現場で観察しながら学んだ。

    3. 自然地理研究会の活動例(2016〜2019年度)

    2019年度:「愛宕山の歴史と自然」「下鴨・上賀茂神社の社叢林:植生観察と都市緑地としての役割」「賤ヶ岳・余呉湖周辺の自然と歴史」「京大周辺の自然観察:大文字山と東山連峰」

    2018年度:「京都御苑での冬の野鳥観察」「中池見湿地に生育・生息する動植物」「保津峡の入口と出口における歴史的・地質的観点からの考察」「京大周辺の自然観察:比叡山の地形・植生」

    2017年度:「晩冬の京都で観られる季節の野鳥と植物の観察:方法と実践」「奈良盆地の形成と里山の棚田景観-古代の都・明日香村探訪-」「桂川の地形の観察と巨椋池の歴史」「京都で観られる季節の野鳥と植物の観察:方法と実践」「京大周辺の自然観察:大文字山と東山連峰」

    2016年度:「自然地理研究会第100回記念〜白浜巡検〜」「海にせりでた伊根の舟屋集落とその成立要因」「都市大阪・凸凹地形散歩」「西の湖一周でわかる内湖とヨシ原の環境」「京大周辺の自然観察:比叡山の地形・植生」「京都:身近な京都の自然・文化・歴史をみる、きく、あるく」

    写真:第144回 自然地理研究会「琵琶湖疎水の歴史と周辺の地形」(2020年7月撮影)

    研究会のURL: http://jambo.africa.kyoto-u.ac.jp/cgi-bin/spg/wiki.cgi

  • 植木 岳雪
    セッションID: 401
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    四国南東部,高知県室戸市の佐喜浜川上流部には,「加奈木のつえ(加奈木崩れ)」と呼ばれる大規模な崩壊型地すべりが分布し,その発生時期と誘因は,1707年(宝永4年)の宝永地震とされている.加奈木のつえのせき止め堆積物のボーリング調査を行った結果,せき止め堆積物から約21,700年前の14C年代が得られた.加奈木のつえの初生年代は,江戸期後期ではなく後期更新世の約21,700年前以前であり,江戸期の崩壊の規模は大幅に過大評価されている.

  • 松尾 卓磨
    セッションID: P146
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    1.背景・目的・方法

     英国におけるジェントリフィケーション研究の文脈においては地域社会に根差した伝統的な小規模店舗群がジェントリフィケーション(以下GFと略)の新たなフロンティアとして位置づけられている(Gonzalez and Waley, 2013)。しかし、一方ではそうした消費空間の変化がGFの過程において果たす役割についての検討が不十分であるということも指摘されている(Hubbard, 2018)。他方、英国の主要メディアの記事でも首都ロンドンの特定地域の消費空間とGFの関連性に言及されており、その典型例として「食通たちの目的地」や「南ロンドンのヒップスターのための社員食堂」と形容されるブリクストンヴィレッジ、GFの進行やその影響に触れられているブロードウェイマーケットを挙げることができる。以上を踏まえ本研究ではロンドンのGF進行地域の小規模店舗群であるランベス区のブリクストンヴィレッジ(81店舗)とハックニー区のブロードウェイマーケット(64店舗)の2箇所を対象とし、両店舗群の各店舗の基本情報を整理した上でその現状や変化を明らかにする。なお本研究の考察は主に2019年3月と2020年2月の現地調査の際に収集した各店舗の位置、店舗名、業種、営業状態に関する情報に基づいている。

    2.結果

     ブリクストンヴィレッジは約400の店舗や商業施設によって構成されているブリクストン地区の中心商業地区の東部に位置しており、アーケードが備え付けられた屋内型の小規模店舗集積地となっている。一方ブロードウェイマーケットは本研究で調査対象とした店舗群によって構成されている一本の通りであり、自動車での通行も可能な一般道路である。この2箇所の店舗群を構成している店舗の業種の中で最も大きな割合を占めているのは飲食業であり、全体の30%程度を占めている。また飲食業、食料品販売、衣料品販売の3業種の合計が両店舗群において全体の50%以上を占めており、飲食業、食料品販売、衣料品販売が主要な業種となっている。さらにブリクストンヴィレッジではカリブ海諸国やアフリカ諸国にルーツを持つ顧客向けの食料品販売店や、民族衣装の一部として使用される布製品の販売店を複数確認することができた。2019年と2020年の1年間でブリクストンヴィレッジでは10軒、ブロードウェイマーケットでは6軒において店舗の営業状況やテナントの状況に変化があった。いずれの業種においても1軒もしくは2軒の増減に留まっており特定の業種に大きな変化が見られたわけではないが、両店舗群において全体の1割程度の店舗に状況の変化が見られ、具体的な変化としては新規テナントの出店、テナントの入れ替わり、テナントの撤退に伴う空き店舗化等が生じていた。またそうした営業状況やテナントの変化以外にもブロードウェイマーケットではテナントが従来のままで店舗の内装や外装に改修が施された店舗を2軒確認することができた。両店舗群においてはいずれの調査時点でも3〜5軒が非営業状態(改修中、閉鎖中、工事中)であり、ブリクストンヴィレッジでは1軒、ブロードウェイマーケットでは3軒が2019年から2020年の両時点で非営業状態のまま変化が見られなかった。

    3.結論

     これまでGF研究やメディアの記事では特定地域の小規模店舗群の変化とGFの関連性に言及されてきたが、そこで言及されている小規模店舗群に関してその店舗構成や業種といった基本的な情報は必ずしも詳細に記述・記録されてこなかった。その点に関して、ロンドンを代表するGF進行地域の小規模店舗群を対象として2019年と2020年の2時点における各店舗の情報を記録したこと自体に一定の意義を見出すことができる。本研究を通じて明らかとなった飲食業、食料品販売、衣料品販売の3業種が主要な業種であるという事実は、他の小規模店舗群の実態把握や比較検討の際に一つの参照点となり、さらに小規模店舗群におけるGFの進行を把握する上でもこれらの主要な業種の店舗の変化が一種のバロメータになると捉えることも可能となった。加えて、調査を実施した2時点において両店舗群で全体の1割程度の店舗で営業状況に変化が見られたということは、1年間という短期的なサイクルでも一定程度の状況変化が生じていることを示しており、この点はGFの進行や小規模店舗群全体の変化を記述する上では短期的なサイクルでの変化を記録する必要があるということを示唆している。なおテナント料や客層、商品やサービスの内容等、各店舗のより詳細な情報を収集しGFとの関連性を検証することが今後の研究の課題である。

    [謝辞] 本研究には日本学術振興会科学研究費補助金(特別研究員奨励費:課題番号18J23295)を使用した。

  • 熊原 康博, 番匠谷 省吾, 岩佐 佳哉
    セッションID: 415
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    1.作成の経緯と目的 2020年3月頃からの新型コロナウィルス感染症の拡大により,高校や大学では自宅待機もしくはオンライン授業となり,教室での対面授業を行うことが難しくなった。4月中頃に全国地理教育研究会の柴田祥彦氏(国分寺高校指導教諭)よりGoogle Earth Projectを使って地理教材を作成できることを教えて頂いた。そこで,だれでもいつでも見られる地形学習の教材を作成することとした。当初は,貝塚爽平著「空から見る日本の地形(岩波書店)」で取り上げている地形を紹介していたが,途中から高校地理で扱う地形を中心に取り上げるようにした。その結果,外国の典型的な地形も取り上げた。

    2.Google Earth Projectとは  Google Earth Projectは,web版のGoogle Earth上で自分だけの地図や解説(Google earth Projectではストーリーと呼ぶ)を作成できる。任意の地点に印を付けて,テキスト,写真・画像,動画のリンクがつけられる。1スライドにつき写真・画像は6枚まで添付できる。作成には,GoogleアカウントとChrome ブラウザが必要である。プロジェクトのリンク先を配布すれば,だれでも見られる。

    3.プロジェクトの概要 「空から見る日本の地形」プロジェクトは,https://t.co/7t1i1SOevy?amp=1から見ることができる。トップ画面で赤色マーカーをクリックすると(図1),その地形を最も理解しやすい鳥瞰イメージに拡大した後,情報ボックスで地形を示したGoogle Earthのスクリーンショット画像(図2)や地理院地図を用いた解説,当該地形の地理院地図のリンク,地形図作業の課題などを見ることができる。青色マーカーは,今後解説をつける予定の地形である。現在までに整備したスライドは以下に示す。高校地理で扱う地形はほぼ網羅する。ただしの地形は高校地理では必ずしも扱わない。

    扇状地(伊吹山南麓,百瀬川,甲府盆地,大間々扇状地,黒部川など);天井川(旧草津川,百瀬川,養老山地小倉谷など);広島土砂災害と扇状地氾濫原(岩木川,加須市北川辺);河跡湖(石狩川,天塩川),海岸平野(九十九里平野);台地(下総台地);河岸段丘(片品川);海岸段丘(室戸岬,足摺岬);三角州(小櫃川,ミシシッピ川,ナイル川,宮川,テヴェレ川など);氷河地形(マッターホルン,クンブ氷河,日高山脈);V字谷とU字谷(飛彈山脈,黒部川);周氷河作用・谷頭侵食(宗谷岬);河川争奪(上根峠,西目屋村,高島市など);カルスト地形(秋吉台);活断層と地震断層(布田川断層);活褶曲(東頸城丘陵);カルデラ(阿蘇山,箱根山,姶良カルデラなど);穿入蛇行と環流丘陵(日高川,大井川);先行谷(吉野川,最上川など);裾礁(池間島,石垣島);堡礁(ボラボラ島など);環礁(モルディブ);隆起環礁(南大東島);卓礁(沖ノ鳥島);リアス海岸(三陸海岸志摩半島,スペインリアス海岸,若狭湾など);砂嘴(野付半島,美保松原);砂州(天橋立,弓ヶ浜);潟湖(サロマ湖,十三湖など);陸繋砂州(函館山,海ノ中道など)

    4.プロジェクトの意義 1) Google Earthは鳥瞰からの視点で地表を3Dイメージで観察できるので,地形の特徴を視覚的に捉えやすいこと,2) 様々なスケールに変えられるので,当該の地形の地球上の位置を確認しやすいこと,3) Google Earthは操作が容易であり,自ら操作を視点や縮尺を変えることで,地形を身近に感じられること,4) 地形をイメージした上で地形図の学習をすることで,地形図の読み取りが容易になること,5)地形解説の図を著者自身が作成しているので,学校現場などで再利用しやすいこと,6) 高校地理未修者が多い教員養成系大学・学部の学生用に高校地理の教材を提供できること。

    5.今後の方針 2022年度からはじまる「地理総合」では自然災害の内容を数多く含むが,現状ではこれらに関するスライドが不十分である。今後拡充していきたい。

  • 中田 高, 近藤 久雄, 後藤 英昭
    セッションID: 404
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    日本の活断層マッピングで培われた独自の判読にもとづいて新たなトルコの活断層図を作成し,既存の活断層図との比較検討を行なった.その結果、既存地図と変わらないところも多い一方で,数多くの新たな知見を得たので報告する.

  • 後藤 秀昭
    セッションID: 405
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    1.はじめに  陸上沿岸に分布する海成段丘は,地形学的時間スケールで隆起を示す重要な地形である。これに基づき,日本の陸上沿岸域では数千〜数万年単位の地殻変動について地域差が明らかにされ,要因が検討されてきた。一方で,海成段丘の分布しない地域や,南西諸島のように点在する島々に断片的に分布する地域では議論が難しかった。

     2000年以降,マルチビーム測深調査が本格的に進み,海底の高解像度な地形データが収集され,深海のみならず,浅海底の地形についても具体的なデータを基に地形の特徴や発達について検討が進みつつある(Kan et al., 2015;Goto et al., 2018など)。海成段丘とともに浅海の海底段丘の分布やその高度・深度分布に基づき,広域的な地殻変動を検討できる可能性がある。

     本研究では,沖縄本島北部から与論島とその周辺の海域海底に分布する海底段丘を区分し,対比を試みた。その結果,本部半島沖から伊平屋伊是名諸島,与論島周辺の浅海底には海底段丘が広く分布し,4段に大別されることが解った。また,本部半島から伊江島の周辺では海底段丘の深度に大きな違いはないが,伊平屋伊是名諸島周辺では伊平屋島を挟んで東西で顕著な違いが認められた。

     細長く延びる伊平屋島には小規模な海成段丘しか分布しないが,浅海底の海底段丘からは伊平屋島の長軸に直交する東向きの傾動が読み取れた。海底段丘の旧汀線高度を用いた地殻変動の検討は,浅海が広がる地域で広く適用可能であり,浅海底の詳細な地形データの取得と検討が望まれる。

    2.資料と地形アナグリフの作成  本研究では,多様な機関で計測されてきた海底地形の情報を統合して研究に用いた。浅海は安原(2013)による1.44秒(約44m)間隔のデータを主に用いた。その周辺については,荒井ほか(2013)のマルチビーム測深データ(0.65秒(約20m)間隔)やJAMSTECの航海・潜航データ・サンプル探索システム「Darwin」から取得した測深データ(2.03秒(約63m)間隔),日本水路協会の等深線をもとに作成したメッシュデータ(2.04秒(約64m)間隔),J-EGG500の約300m間隔のメッシュデータを補助的に用いた。

     これらをSimple DEM viewer ®に読み込み,後藤(2015)の方法に従って浅海底の細かな地形が観察できるように調整した傾斜角による地形アナグリフとした。また,これに等深線をテクスチャマッピングし,深度を確認しながら実体視をして地形を判読し,この画像に結果を記載した。

    3.海底段丘の区分と分布  対象地域には-120m以浅の地形が広く認められ,最終氷期には現在よりも広大な陸地が広がっていたと考えられる。海底地形を細かく観察すると複数段の平坦面が認められ,海底段丘と考えられる。多段化の著しい場所では4段に大別され,浅い方からT1,T2,T3,T4とした。伊江島周辺で,T1は-30〜-45m,T2は-55〜-70m,T3は-80〜-100m,T4は-100m以下に分布する。

     T2とT3は広く分布しており,T1とT4の分布は一部に限られる。T2とT3の境界の急崖(-80m付近)は最も連続性がよく,認識しやすい。T2の平坦面の縁辺部で凸型斜面をなし,その直下の急崖を挟んでT3に連続するという共通の特徴をもつ(iT3と呼ぶ)。T1とT2の縁辺部には基部よりも数m高い地形が段丘崖付近に取り巻くように分布するところもあり,沈水サンゴ礁の可能性がある。

     南西諸島の浅海底を検討した堀・茅根(2000)は-50m程度と-80m程度に傾斜変換線があることを指摘し,-50m付近の急崖基部は約10〜11kaの海面上昇が弱まった時期に形成され,水深50〜70mの平坦面はこの時期に形成されたとした。また,Arai et al. (2016)は宮古島沖で-56mに沈水したサンゴ礁を報告しており,T2の地形的特徴から推定した結果とも調和する。

    4.海底段丘からみた地殻変動  iT3の深度を比較した結果,本部半島から伊江島の周辺では-80〜90mであり,系統的な地域差は認められなかった。また,島棚中軸部に位置する沖縄本島北部や与論島では精度が良くないが約-80mであった。一方,伊平屋島では東沖で-80m程度であるのに対し,西沖で-70m程度と,西側の局地的な隆起が読み取れた。伊平屋島の西に北東-南西方向の海底活断層が延びており,逆断層運動による局地的な変形の可能性がある。

     対象地域のなかで,海成段丘の分布が断片的でかつ,MIS5eの分布高度の低い地域(町田,2001)で,海底段丘から活発な地殻変動が推定された。海底地形情報の収集と分析は地殻変動の検討に重要な情報を提供するといえる。

  • 深見 聡
    セッションID: 209
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    わが国における観光産業は、2010年代の急速な訪日外国人の増加、過疎地域における交流人口・関係人口の拡大、団体と個人・小グループといった形態の選択肢の多様化など、21世紀の基幹産業としての成長が期待されてきた。そのようななかで、2019年末に中国武漢市での報告に端を発する新型コロナウィルス感染症は、2020年3月にWHOはパンデミック相当との見解を表明した。本稿提出の同年7月末現在、わが国でも経済活動の停滞をはじめ「新たな生活様式」の登場など、その渦中にある。

     2020年4月、政府は新型コロナウィルス感染症緊急経済対策の一種として、「Go Toトラベル」キャンペーン事業を打ち出し、7月22日より東京都を対象から外して開始された。星野佳路氏の造語であるマイクロツーリズム、すなわちスモールツーリズムの伸長や、持続可能な観光への後押し効果を期待する論調もある(古田,2020)。また、自治体首長などからは、経済活動の回復への理解や、感染拡大を懸念する声といった賛否両論の声も挙がっている。

     そこで、本報告は、観光産業への依存度が高い島嶼部に焦点をあて、「Go to トラベル」がもたらす効果と課題を、奄美群島の与論島を事例として予察的な検討を加えていくことを目的とする。

  • 永田 玲奈, 三上 岳彦, 平野 淳平
    セッションID: 101
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
    会議録・要旨集 フリー
    電子付録

    北太平洋高気圧の変動により,日本の夏季には猛暑や今年7月に発生した「令和2年7月豪雨」のような大雨が引き起こされる.本研究では,日本の夏季気温や降水量に影響を与える北太平洋高気圧西縁の東西及び南北変動を示す指数を1901〜2000年の期間で定義し,その長期変動と日本の気温・降水量との関係について明らかにした.この結果,北太平洋高気圧は20世紀に南西方向にシフトしており,20世紀後半にその傾向が顕著であることがわかった.また,この変化に伴い20世紀後半には日本の夏季気温に対する高気圧の影響が大きくなっていた.さらに,高気圧の東西変動と降水量の関係が強い地域が20世紀後半には南西方向にシフトしており,北太平洋高気圧は20世紀後半における九州と四国の降水変動に大きく寄与していることが明らかとなった.20世紀後半の傾向が21世紀も続いていれば,今後も九州付近での豪雨頻度の増加が懸念される.

  • 加藤 一郎
    セッションID: S703
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
    会議録・要旨集 フリー

    筆者が所属する埼玉県高等学校社会科教育研究会地理部会(高社研地理部会)では,臨時休業中にコロナ感染拡大を軸にした教材の共同開発を行った。本稿では教材開発の取り組みと,開発した教材を用いた授業実践について述べる。

  • 花木 宏直
    セッションID: 205
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    日本の本州と四国に挟まれた瀬戸内海には727の島嶼がある。瀬戸内海では近代以前より島嶼ごとにさまざまな出稼ぎ形態がみられ,近代以降は海外移民を多数送出した。これは島嶼地域の生産基盤の脆弱性ゆえやむを得ない選択ではなく,むしろ歴史的に常態化した島嶼地域特有の生計のあり方として捉えることができよう。本報告では,瀬戸内海の島嶼における出稼ぎから海外移民への展開とその要因について,大工の出稼ぎやマニラ移民が多かった大三島を事例に検討する。

     大三島は瀬戸内海中部,芸予諸島の中ほどに位置する。面積は64.58平方キロメートルで,瀬戸内海の島嶼では5番目に大きい。島の全域が愛媛県今治市に属し,口総地区をはじめ近世の藩政村に由来する13の地区がある。大三島を含め瀬戸内地方の地形は多島海であり,島の大半が傾斜地となっている。

     平地の少ない大三島では,19世紀にはすでに諸職への従事や出稼ぎが盛んに行われていた。江戸時代に大三島を領地としていた松山藩が作成した「諸願控」によれば,諸職従事者は大三島のすべての村でみられた。職種は大工や船大工,桶師,綿打などに細分化が進んでいた。一方,出稼ぎ者は諸職従事者より多かった。出稼ぎ先は島内だけでなく,大三島の周辺島嶼や本州,四国へ展開した。ただし,職種の大半は日雇であり,諸職従事者ほど細分化がみられなかった。出稼ぎ者のいない村もあり,村ごとの人口の多寡や縁故関係の有無が特定の村に出稼ぎ者の集中した要因と考えられる。

     20世紀前半については,口総地区を含む4地区を管轄していた岡山村が1920〜23年に作成した「岡山村勧業統計」によれば,大工や船大工,木挽,桶師,鍛冶,石工,瓦工,左官,杜氏などの諸職従事者が存在した。大三島では19世紀より諸職への従事や出稼ぎが常態化し,20世紀前半もこの状況が維持された。

     20世紀前半の出稼ぎとマニラ移民の実態について,口総地区を事例に検討する。口総地区でもとくにマニラ移民の多かった山腹の区域では,1935年頃に全98戸中26戸でマニラ移民が出された。主な職業は農業よりも大工や船大工が多く,これらの諸職に従事する世帯にて戸主や後継者とその家族がマニラへ移住する事例が多かった。大工や船大工以外の諸職に従事する者や,マニラだけでなく因島や大崎上島,呉,今治などの国内各地や大連など中国大陸への出稼ぎ者もみられた。

     口総地区全域からのマニラ移民53家族に注目すると,戸主の続柄は長男ないし後継者の比率が高かった。マニラ移民同士で親戚や姻戚関係者が多く,血縁や地縁などのつてで移住した。移住年次が新しいほど家族を口総地区に残しての渡航や単身世帯が多かった。戸主の経歴をみると,マニラ移住前には大三島周辺や国内各地,中国大陸で大工や船大工などの諸職や出稼ぎに従事していた。マニラ移住後については,1920年代前半までの移住者はマニラに長期間居住し経営者となった事例や,短期間居住したのち国内各地で経営者となった事例が多かった。1920年代後半以降の移住者は,先発移民が経営する洋家具店や造船所に就業した。マニラ移民は出稼ぎより高収入といわれていたが,送出世帯では必ずしも生計の向上がみられなかった。マニラ移民は第二次世界大戦の発生もあり,1940年代前半までに口総地区へ帰郷したが,帰郷後も大三島周辺で諸職に従事する者や近畿地方などへ再移住する者がみられた。

     口総地区や大三島の事例から,戸主やその家族が送出地域を基軸としつつ超域的に居住地移動しながらさまざまな職業に従事するという,瀬戸内海の島嶼や沿岸地域特有の生計のあり方がみいだせる。そして,歴史的に島内での就業や全世代同居に固執してこなかった様子が認められ,現代の離島の過疎化やその対応を検討する上で多くの示唆を与えてくれる。

  • 堀内 雅生, 山口 隆子, 内田 裕貴
    セッションID: P114
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    1.はじめに

     夏季を中心として山地の斜面より冷風を吹き出す風穴は,蚕種・食物などの貯蔵庫や体験小屋などの見学スポット,寒冷地に生息する生物の隔離分布地になっている。風穴の気温は,周辺の気温などの条件に左右されるため,地球温暖化に伴って風穴気温の上昇が生じると考えられるが,これは風穴利用や,周辺に生息する生物へ悪影響を及ぼす。そこで,風穴の機能の維持や生物の保全を行う上で,まずは適切な影響予測が重要となる。 

     そのためには,幅広い気候条件下において風穴の観測を行い,周辺気候と風穴気温の関係を明らかにすることが有効であると考えられる。筆者は,四国地方において風穴の比較研究を進めているが,今年度,新潟県津南町において風穴観測を行う機会があったため,2020年6月20日より長期観測を開始している。本地域は豪雪地帯であり,比較的温暖な四国地方の結果と併せて考察することで,より幅広い気候条件での考察を行うことができると考えている。

     本発表では,長期観測結果の一部のほかに,対象風穴が苗場山麓ジオパークの見学スポットとなっていることから,風穴の暑熱ストレス緩和効果の評価結果の報告も行う。

    2.現地調査

     観測は,ジオパークのジオサイトに指定されている2風穴(山伏山,800.4m;見倉,767.9m)と,全国農村景観百選に選ばれている石垣田に隣接した結東風穴(609.9m)において行った。いずれの風穴も冷風を体験できるように整備されている。長期測定項目は冷風穴内部気温(Tc)および,冷気が及ばない地点の気温(To)である(RTR-502;2020年6月20〜21日測定開始)。なお,Tcは風穴内部の最も気温が低い部分にセンサを挿入した。夏季の集中観測としては,結東風穴にて風速(AM-4214SDJ),山伏山・結東風穴において,風穴内外の気温・湿度・黒球温度(いずれもTC-310)を測定した。

    3.調査結果

     Tcは6月21日17:00時点では,山伏山で0.2℃,見倉で3.3℃,結東で2.4℃を観測した。なお,山伏山風穴の石垣内には雪が残っていた。その後温度は上昇し,7月19日17:00の時点で,山伏山で0.6℃,見倉で4.2℃,結東で3.3℃を観測した。山伏山での温度上昇は0.4℃であるのに対し,他の2風穴は0.9℃の上昇がみられた。

     風速は,外気温の変動に連動しており,6月20日〜21日の結果では,気温が低下する夜間では0.4ms-1前後であるのに対し,気温が上昇する日中は0.5ms-1であった。

  • 町田 知未
    セッションID: P155
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    1. はじめに

     高度経済成長期には,国主導による画一的な大型施設の整備やリゾート開発などが多く行われた結果,地域の不均衡な発展をもたらし,大都市以外の多くの自治体,特に都市部から離れた地域では基幹産業の衰退や少子高齢化が急速に進行した。こうした中で,これまでの画一的な地域振興策を見直し,地域独自の自然・人文環境などの地域資源を保全し,地域の魅力を高めてこれを活用することによって,地域外から人を呼び込み,地域内外の交流を促進して,地域経済を活性化させる地域づくりのあり方が模索されている。しかしながら,地域づくりに係る既往研究においては地域特性の差異が十分に考慮されておらず,一般論的に議論が進められてきた。それゆえに,地域の個性を活かした地域づくりを目指すためには,地域特性の違いを十分に考慮し,それぞれの地域に適した地域づくりの形を検討することが不可欠である。地域資源を活かした地域づくりの研究には,地域資源の地域資源化のプロセスに着目した研究,地域住民の意識に着目した研究,来訪者の意識に着目した研究があるが,地域づくりを評価するにあたっては,地域特性を十分に把握し,以上の3つの視点を結び付けて議論する必要があると考える。

     本研究の目的は,北海道中川町を事例として,地域資源の地域資源化のプロセスを明らかにしたうえで,地域資源を活かした地域づくりに対する地域住民の意識と,地域外からの来訪者の行動と地域資源に対する意識を併せて分析することによって地域資源を活かした地域づくりの意義と課題を明らかにすることである。

    2. 研究地域の概要と研究方法

     研究地域である北海道中川町は,入植以前に鉱物調査が行われて以来,地質学的に重要なフィールドとして認知されてきた。1950年代後半より基幹産業が衰退しはじめ,人口減少が進んだ中で,1991年に国内最大級のクビナガリュウ化石が町内で発見され「化石の町」として脚光を浴びたことが,化石をはじめとする地域資源を活かした地域づくりを行う契機となった。1997年,中川町役場に化石の里づくり推進室が設置され,化石の里づくり構想が提唱され地域資源を活かした地域づくりが本格的に始まった。1999年には化石の里づくり構想を中川エコミュージアム構想と改め,町全体を博物館とみなした地域づくりが目指された。2002年には,廃校になった佐久中学校の空き家を活用して構想の中核施設中川町エコミュージアムセンターが開館した。

     研究では,地域住民の意識を把握するために,中川町の地域づくりに携わる主要組織である役場,教育委員会,商工会,観光協会において聞き取り調査を2019年9月に実施した。また,中川町への来訪者の意識を把握するために,中川町内の主要施設においてアンケート調査を2019年6月から9月に実施した。

    3. 調査結果

     聞き取り調査によると,中川町では化石以外の地域資源を活かした取り組みも様々な組織によって行われていた。現在化石にかかわる取り組みを行っているのは教育委員会のみにとどまっている。

     アンケート調査結果より来訪者の意識をみると,来訪者の多くが都市部から訪れており,道北の市町村を周る傾向がみられた。また,中川町内の特定の区間の交通量が多いことが分かった。来訪回数によって関心のある地域資源が異なり,来訪回数が少ない者の目的は化石にあるが,来訪回数が増えると温泉やオートキャンプを目的として中川町を訪れる傾向がみられた。

     これらのことから,来訪者の特性に応じた取り組みが有効であり,周辺市町村と合わせて一つの地域としてとらえ,連携していく必要があると考えられる。また,化石を目的として訪れた来訪者の関心を化石以外の地域資源に向けるような仕掛けが有効であると考えられる。

  • 三上 岳彦, 長谷川 直子, 平野 淳平, Batten Bruce
    セッションID: P124
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    弘前藩御国日記には、江戸時代の弘前における毎日の天候が記載されている。そこで、11月〜4月の冬春季における降水日数と降雪日数から、毎年の降雪率(降雪日数/降水日数)を求めて、1705年〜1860年の長期変動を明らかにした。同じく、弘前藩日記に記載された十三湖の結氷日と解氷日から結氷期間(日数)を求めて、その長期変動特性を明らかにした。次に、冬春季における弘前の降雪率と平均気温との関係を考察するために、観測データ(AMeDAS弘前)の得られる最近数十年間について、毎年の降雪率と冬春季の平均気温との関係を分析した。

    1705年〜1860年の156年間における十三湖の結氷期間と弘前の降雪率の変動傾向は、年々変動、長期傾向(11年移動平均)ともに類似している。すなわち、十三湖の結氷期間が長い年や年代は寒冷で、降雪率が高く、結氷期間が短い年や年代は温暖で、降雪率が低い。長期トレンドで見ると、十三湖の結氷期間は100日間前後で一方向の変化は見られないが、弘前の降雪率は18世紀前半から19世紀前半にかけてやや減少傾向にある。1740年代と1820年代に、結氷期間と降雪率がともに低下した時期があり、一時的な温暖期と考えられる。とくに、1810年代から1820年代にかけての降雪率の顕著な低下については、従来の研究では指摘されたことがないので、さらに分析を進めたい。

    観測データ(AMeDAS弘前)の得られる1983年〜2020年の38年間について、毎年の降雪率(11月〜4月)と平均気温(12月〜3月)の関係から、両者の間に負の有意な相関があることがわかった。これにより、十三湖の結氷期間や降雪率から、弘前の冬春季の平均気温変動を復元することが可能となろう。

  • 秋本 弘章
    セッションID: S702
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    新しい学習指導要領では、長年地理学界の要望してきた高校における「地理」の必履修化が実現することになった.次なる課題は,必履修科目となった「地理総合」をいかに実践するかである.日本地理学会地理教育専門委員会ではこれまで「地理総合」が有意に実践されることを期して,その目的や意義,方法に関する講習会,「GIS」についての講習会を実施してきた.

     本稿は,「地理総合」の柱の一つである「地図・GIS」の活用に焦点を当て,教育実践の方法について検討することを目的とする.「異文化理解」や「ESD」,「防災・地域調査」等において「地図・GIS」を活用した教育の実践上の成果と課題を整理し,「地図・GIS」を用いた教育の可能性を具体的な事例を基に検討する.

  • 桐村 喬
    セッションID: 307
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    I 研究目的・方法

    日本では2月下旬以降にCOVID-19の感染拡大が進み,3月には「行動変容」が求められるようになり,大都市を含む都道府県を中心に,知事による週末の外出自粛要請が行われた.4月には日本政府による緊急事態宣言が出され,罰則のある外出禁止ではなく,“自粛”という形で,人々の移動が実質的に制限されてきた.5月以降,感染者の増加が弱まってきたことで,5月25日には緊急事態宣言が解除され,6月19日からは政府による都道府県間の移動の自粛要請も撤廃されたが,7月に入って再び感染者が大きく増加してきている.

    そこで,本報告では,位置情報付きTwitterデータを利用して,2020年1月以降の日本におけるTwitterユーザーの移動状況の時系列変化の実態を明らかにし,それによって「行動変容」をはじめとする人々の日々の移動に関する変化の一端を示すことを目的とする.分析に用いるデータは,米国Twitter社が提供するAPIを通して収集できた,日本国内の位置情報が付与されたTwitterデータのうち,2020年1月6日〜7月26日までのデータである.

    II 都道府県別のTwitterユーザーの移動状況

    同一市区町村内でのみ移動するTwitterユーザーに注目し,Twitterユーザーに関する市区町村内移動ユーザー率を1日単位で求める.市区町村内移動ユーザー率は,ある1日において,1つの市区町村内でのみ投稿しているTwitterユーザーの数を,その市区町村内でその日に投稿したことがあるTwitterユーザーの総数で割ることによって算出される.ただし,1日の投稿件数が2件以上のTwitterユーザーを分析対象に絞る.市区町村内移動ユーザー率は,都道府県を含めた複数の市区町村で構成される空間単位で算出することもできる.

    図1は,2月上・中旬の日曜日である2日・9日・16日の都道府県別の市区町村内移動ユーザー率の平均値を1としたときの,各日の値の比を示したものである.3月29日には,埼玉県,東京都,神奈川県,山梨県,大阪府で1.50を超え,市区町村内移動ユーザー率の上昇が,外出自粛要請が行われた地域を中心に生じていることがわかる.5月6日の時点では,全都道府県で2月上・中旬よりも高い状況は続いている.都道府県間の移動自粛要請の撤廃後の6月21日には1.00を下回る都道府県も増えてきたが,大都市圏の都道府県では依然として高く,7月26日には大阪府で1.44,東京都で1.39となっている.

    III 東京・京阪神大都市圏でのTwitterユーザーの移動状況

    東京・京阪神大都市圏における市区町村内移動ユーザー率をみると,特に東京において平日に低く,休日に高いパターンとなっている.2月下旬以降の両大都市圏では,休日を中心とする市区町村内移動ユーザー率の上昇が確認でき,いずれも平日に低く,休日に高いという明瞭なパターンが確認できる.3月29日から5月下旬までは,おおむね京阪神よりも東京のほうが高い傾向にある.5月16・17日を最後に,両大都市圏の市区町村内移動ユーザー率が80%を超えることはなくなっており,平日に低く,休日に高い傾向を維持しつつも,徐々に低下してきている.

    次に,昼間を11〜16時台,夜間を0時台と19〜23時台として,それぞれの大都市圏全体と,各大都市圏内のうち,2015年の昼夜間人口比率が100以上の市区町村(中心地域)とそれ以外の市区町村(周辺地域)ごとに求めたユーザー数をもとに,夜間ユーザー数に対する昼間ユーザー数の比率を求める.2020年第2週(1月6〜12日)の平日を100とした指数を求めると,東京では第10週(3月2〜8日)に上昇し,周辺地域では中心地域よりも高い値を示した.第14週(3月30日〜4月5日)以降,特に周辺地域において大きく上昇し,昼間のユーザー数が相対的に多くなってきたものと考えられる.第22週(5月25〜31日)以降は低下傾向に転じているが,第30週(7月20〜26日)の時点では,まだ第2週の水準にまでは戻っていない.京阪神については,おおむね似た推移を示しているものの,値の上昇は東京ほどではない.

  • 伊藤 有加, Ouyang Mao, 徳永 朋祥
    セッションID: 106
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    千葉県、九十九里平野の南部に位置する茂原市では、過去に繰り返し水害を経験してきた。最近では、2004年、2013年、2019年10月の台風によって、市の南部を流れる一宮川が氾濫しその中流域に位置する市街地が浸水した。また、この地域は地盤沈下が著しい地域としても有名である。そのため、地盤沈下による微地形変化の発生に伴う排水不良なども懸念されてきた。本地域の水害が地盤沈下の影響かどうかを適切に判断するためには、どのような条件が水害に影響を与えている可能性があるのかを検討していく必要がある。本研究では、実際に水害が発生した年の降水量、蒸発散量、および表面流と地下水流、地形、地質を考慮した洪水モデルを開発し、2004年、2013年、2019年の洪水範囲および浸水深、河川水位、地下水位を計算することによりこの地域の浸水特性について検討した。これらの結果から、この地域の浸水は、局所的な地形条件と地下水の特性が主に影響している可能性があることが示唆された。

  • 井田 仁康
    セッションID: S603
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    「地理探究」の位置付け

     高等学校では、2022年から「地理総合」が必履修科目となり、その履修を踏まえて3単位の「地理探究」が設置される。今回改訂の学習指導要領では、中学校から高等学校までの学習の連続性が強調される。すなわち、中学校社会科地理的分野では、地誌や系統地理の基礎的な学習(見方・考え方)がなされ、高等学校「地理総合」では、中学校での基礎的な学習を踏まえ、主題的に地理的事象を分析する。さらに深化した分析や考察をするためには、地誌的および系統地理的な学習が必要とされ、「地理探究」へとつながる。「地理探究」では、地誌や系統地理に関するより一層深い知識を習得するだけでなく、それらの知識や地理的技能を活用する能力の育成も求められている。

    「地理探究」における地誌

     「地理探究」では、「(2)現代世界の諸地域」で地誌が扱われる。その地誌で幾つかの地域に現代世界を区分し、①地域の多様な事象を項目ごとに整理して考察する地誌、②地域の特色ある事象と他の事象を有機的に関連付けて考察する地誌、③対照的又は類似的な性格の二つの地域を比較して考察する地誌の3つの地誌の考察法が求められている。①は静態的地誌学習、②は動態的地誌学習、③は比較地誌学習といわれる。従来の地誌学習は静態的地誌学習であったが、この学習は平板で羅列的な学習となりやすく、暗記科目といわれ批判されることも多かった。そのため、事象間の関連性がみやすい、いわばストーリー性のある地誌とすべく動態的地誌学習が導入されるようになった。また、地域の特徴(共通性や特殊性)は、地域を比較することで明確になる。そのため比較の概念が重視される比較地誌学習も採用された。中学校社会科地理学習では、動態的地誌学習が学習され、地域における事象間の関連性が重視されるが、「地理探究」では、より一層多様な地誌学習が展開される。

    地理的な見方・考え方(空間的相互依存作用と地域)を働かせた東南アジア・オセアニア地誌

     今回改訂された学習指導要領では、地理的な見方・考え方といった、いわば地理の観点が明確に示され、その観点を働かせて、学習内容が展開される。「地理探究」の「(2)現代世界の諸地域」では、空間的相互依存作用と地域という概念が主に働かせる地理的な見方・考え方である。

     空間的相互依存作用とは、それぞれの地域間でモノや人を補完するなどして、地域間のモノや人の交流のもとに、それぞれの地域が成り立っているという観点である。まずは、世界を区分する際に、資源の豊富さという指標で地域区分すると東南アジア・オセアニアといった一つの地域が画定することが可能となろう。この観点は、「意味のあるまとまりのある空間的範囲」という定義による地域という概念である。これにより画定された東南アジア・オセアニア地誌は、豊富な資源を他の地域に輸出し、この地域では十分に生産できないモノなどを輸入して地域を維持している。さらには、地域という概念を働かせることで、地域の資源がどのように活用され、その資源がどのように諸事象と関連しあい、変化していくのかといった考察につながっていき、この地域での資源活用の方略、将来を見通そうと将来構想、つまりはこの地域の持続可能な社会を考え、提言していくことになる。こうした地域の変容は、他地域との空間的相互依存関係にも影響を与えるものとなろう。

    まとめ

     東南アジア・オセアニアを一つの地域として学習することで、生徒たちは自分たちがもっていた世界観とは異なった観点からの世界を見ることになり、それにより新たな世界観を構築していく機会となろう。この地誌学習のアプローチとしては資源を中核とした動態的地誌学習のアプローチとなってこよう。

  • 高橋 日出男, 菅原 広史, 瀬戸 芳一, 中島 虹, 伊東 佳紀, 常松 展充
    セッションID: S406
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    はじめに

    都市境界層は大きな地表面粗度や下層からの加熱に起因して鉛直方向によく混合され,そのため田園郊外域では夜間に接地逆転層が発達する一方で,都市域では中立に近い混合層となっているとされる。これにより都市ヒートアイランドの形成と境界層との関係の概略は理解されるが,そもそもの逆転層や混合層の高度,都市の境界層に与える田園郊外域の大気成層状態の影響などともに,陸風や山風と都市ヒートアイランド循環との相互作用など,具体的な都市を考えると観測的に把握が十分でない多くの課題が存在する。本研究プロジェクトは,温度プロファイラ等を用いた境界層の鉛直気温分布の連続観測と稠密地上観測(広域METROS)から,日中と夜間,夏季と冬季の東京を中心とする都市大気構造の観測的理解を目的とする。本発表では冬季の夜間(前日18時から09時)を対象に東京都心から西郊にかけての境界層の温度構造について報告する。

    観測と解析の概要

    東京都心(飯田橋)と都区部西部(杉並)では,地表(標高約8mと約45m)からそれぞれ約98mと約20mの建築物屋上に温度プロファイラ(Attex社製MTP-5H)を設置し,設置高度から上空1000m(都心)と600m(都区部西部)まで50m間隔の気温を10分間隔で計測している。東京西郊(田無)では地表(標高約64m)から10m,20m,40m,60m,90m,125mの6高度の気温を自然通風式シェルタに格納した温度ロガ(日置電機社製LR5011,温度センサLR9601)により5分間隔で計測している。これらの観測値に50分移動平均を施したうえで,3地点における最下層100m間の鉛直温位傾度(乾燥断熱減率により気塊を海面高度に降ろした場合の温度を温位(℃)とみなす)や,都区部西部と都心については観測最下層から逆転が認められる場合に,逆転層上端高度や逆転層内の鉛直気温傾度の最大値とその高度などを求めた。対象の冬季として,最下層の鉛直温位傾度が大きくなった2019年11月から2020年2月までとした。解析にあたり,都区部西側の地上気温分布にみられる気温急変域(高橋ほか 2014)を挟む気温差などを求めるために東京都常監局の1時間値を使用した。

    冬季夜間における鉛直気温分布の特徴

    夜間における都区部西部の逆転層上端高度は,逆転層内の鉛直気温傾度(逆転強度)が小さい場合は地上100m以下が多いが,気温傾度が少し大きくなると,地上250-300mに明瞭な頻度の極大が現れる。ただし,気温傾度が最大となるのは最下層が最も多い。都心については最下層からの逆転事例は減少するが,気温傾度が大きい場合には,逆転層上端高度の高い事例(地上400m付近)の割合が大きい。また,最下層温位傾度最大値の起時を地点間で比較すると,気温傾度がある程度大きい場合には同時性が確認できる。さらに,最下層温位傾度最大値の地点間相関を求めると0.8以上の高い正相関が得られた。ここで,最下層温位傾度最大値の起時に同時性が認められた34事例を対象に,都区部西部および都心について最下層温位傾度最大値の起時における各高度の温位傾度と,東京西郊の最下層温位傾度最大値との相関を求めると,都区部西部は300m付近まで,都心では400m付近まで危険率1%で有意となり,都心の方が上空まで正相関が大きい。以上から,都心域においても東京西郊の逆転強度を反映した逆転層(安定層)が存在しており,鉛直混合により逆転強度は小さくなるが逆転層上端高度が高くなっていると考えられる。なお気温急変域を挟む気温差についても同様の相関係数の高度分布が得られた。

    都心と都区部西部との気温鉛直分布の比較

    上記の同時性が認められた事例のうち,都区部西部で最下層温位傾度が大きい17事例を抽出し,都心と都区部西部の気温鉛直分布を比較した。気温急変域を挟む地上気温は都心側で平均2.2℃高いが,高度250-300m付近を中心に最大1.5℃ほど都心より都区部西部の気温が高い顕著なクロスオーバーが400m程度の厚さで認められた。これはBornstein(1968)などと比べて大きく,都区部西部の顕著な逆転層には逆転層上端付近の過大な高温の関与が想定される。各事例の気温高度時間断面(付図)によると,都区部西部では残存する日中の高温層の地上側から気温低下が始まり,逆転層は上方へ発達するが,夜半以降は高度300m付近に高温層がとどまる。この高温層の気温は昇降を繰り返し,昇(降)温があった場合に最下層の逆転が強(弱)まっている。温位の高度時間断面を描くと,高度300m付近の昇温は上空の高温位空気の高度低下に対応している。すなわち,下降流に伴う逆転層上端付近の気温上昇によって接地層の逆転強度が増大していることが考えられ,ヒートアイランド循環の関与も示唆される。

  • 山本 裕稀, 貞広 幸雄
    セッションID: P150
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    本研究では,2016年7月執行の東京都知事選挙を事例に投票結果を東京都1840投票区(島嶼部を除く)における社会・経済的指標と関連付けて説明することを試みた.分析単位を従来の投票率研究で扱われる市町村よりもより詳細な投票区にすることで,有権者の属する環境をより精緻に分析することが可能になった.また,地理的荷重ポアソン回帰(Geographically Weighted Poisson Regression)による分析を行うことで,説明変数の地域的差異を把握することができる.

  • 乙幡 正喜, 小寺 浩二, 猪狩 彬寛
    セッションID: P131
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    Ⅰ はじめに

     埼玉県内の新河岸川流域は、かつて水質悪化が顕著な地域であったが、近年は流域下水道や親水事業で水質が改善しつつある。しかし、狭山丘陵に位置する支流の上中流部においては依然水質が改善していない地域も存在している。2年間にわたり狭山丘陵周辺において河川を調査した結果をもとに、汚染源の特定について追加調査を実施し水質を中心とした水環境の特徴を考察する。

    Ⅱ 対象地域

     狭山丘陵は、東京都と埼玉県の5市1町にまたがる地域である。丘陵の周辺地域では高度経済成長期に都市化が進んでいる。河川のほとんどは新河岸川水系に属する支流で、狭山丘陵はそうした水流の源流部である。今回の追加調査は、柳瀬川水系の六ッ家川上流部と空堀川中流域の2ヶ所である。

    Ⅲ 研究方法

     2017年11月から2019年10月まで合計24回実施した既存調査の整理と検討を行った上で、汚染源の特定のため2020年6月と7月に6地点の追加調査を実施した。現地では、水温、気温、電気伝導度(EC)、COD、pHおよびRpHを計測し採水して研究室に持ち帰り、再度CODの計測を行った。Ⅳ 結果・考察

     既存調査においてECは、全体として100−300μS/cm前後の地点が多かった。(図1)柳瀬川水系の六ッ家川上流部と空堀川中流域の新宮前一の橋では、一時期2500μS/cm以上の高い数値を示してため、この2流域の調査を行った。

     六ッ家川上流の北野天神前橋(YM1)ではECが497μS/cm、CODは3.0であった。ECが高いため川の最上流部を調査したところ、一般廃棄物最終処分場が設置されていた。この処分場は2007年に埋め立てが終了してメガソーラーが設置されていた。最上流部は、この処分場の排水溝からの流出水であった。排水溝のECは674μS/cm、CODは3.4であった。この水質は、所沢市が公表している数値と近いものである。

     空堀川流域では、河川の湧水地点である野山北公園(K1)・番太池(KN1)では100μS/cmを下回る良好な水質を示し、空堀川の上流域では200μS/cm前後である。中流域は水量が少なく、新宮前一の橋(K5)・上橋(K6)・上水橋(K7)で平均900μS/cm前後の高い数値となっている。そこで周辺のEC値の調査を行った。(図2)中流域の中砂橋 (KH1)で151μS/cm、中砂の川橋 (KH2)で148μS/cmであり、この下流の東芝中橋で1985μS/cmを示した。さらに下流では、新庚申橋で1955μS/c,、新宮前一の橋(K5)で1620μS/cmという高い数値あった。CODは中砂橋で3.0、中砂の川橋で4.0、新庚申橋で8.0東芝中橋で8.0、新宮前一の橋で4.5であった。調査の結果、東芝中橋の脇に放流口があり、これは市内にある乳製品製造工場の排水であることが認められた。この排水は、環境基準を満たしているとのことである。

    Ⅴ おわりに

    狭山丘陵の周辺河川では全体として都市域であるためEC及びが高い地点が点在する。六ッ家川上流では廃棄物最終処分場の水質がECに影響し、空堀川では中流域でEC,TOCが乳製品工場排水の影響で負荷が高まっている。今後も継続調査を行い、主要溶存成分の分析結果を研究に反映させたい。 

     参 考 文 献

    森木良太・小寺浩二(2009):大都市近郊の河川環境変化と水循環保全—新河岸川流域を事例として—.

    水文地理学研究報告, 13, 1-12.

  • 卯田 卓矢
    セッションID: 208
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    近年,星空を新たな観光資源と捉え,交流人口の拡大を図る自治体を各地でみることができる.例えば,長野県阿智村の「天空の楽園・日本一の星空ナイトツアー」や,鳥取県の「星取県」プロジェクト(2017年開始)は星空を活用した代表的な観光振興策と位置づけられる.日本の都市部の夜空は明るく,多くの星を眺めることができない.それゆえ,満天の星空を観望することは「非日常的な体験」=観光対象となる.とくに,都市から遠く,光源の影響を受けない列島縁辺地域では星空は有用な観光資源になりえるといえよう.一方,星空はこうした地域の住民にとって身近過ぎることで観光対象と認知されず,資源化の取り組みが浸透しない傾向にある.また,星空は暗い夜空を見上げれば「誰もが自由に(無料で)」観望できるという性格をもつため,観光振興を進める際は観望の「付加価値化」を図ることが重要となる.

    本発表は以上の課題を踏まえ,沖縄県の八重山諸島を事例に,列島縁辺地域の離島における「観光資源としての星空」の可能性を検討する.八重山諸島を含む南西諸島は緯度の関係上本土と比して多くの星を観望することができる.その中で,石垣島は先進的に星空ツーリズムを推進し,官民一体となった取り組みを展開している.本発表ではこの石垣島に注目し,発展のプロセスとその特徴を明らかにしたうえで(卯田・磯野 2020),八重山諸島への星空ツーリズム拡大の可能性を「すみ分け」という観点から考察する.

  • 山田 周二
    セッションID: P108
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    日本の山の険しさを評価するために,約30 mメッシュのDEM(数値標高モデル)を用いて,山頂を抽出して,その山頂周辺の起伏と平均傾斜を計測した. それらの結果を基に,日本のどこに険しい山があるのか,を検討した.

    約30 mメッシュのDEMである SRTM1を用いて,日本の主要4島(北海道,本州,四国,九州)にある山頂を抽出した.ある一定の半径の円内の中心点が,その円内で最も標高が高い場合に,その中心点を山頂と定義し,ここでは,その半径を1 kmとした.そして,山頂から半径1 kmの円内の最低点と山頂との標高差を起伏とした.また,30 mのセルごとに,隣接するセルから傾斜を算出して,山頂から半径1 kmの円内にある全てのセルの傾斜の平均値を,平均傾斜とした.なお,円内のデータ欠損や海が10%を超える場合は,分析対象外とした.

    日本の主要4島には,分析対象とした山頂は35,552あり,起伏や平均傾斜が大きい山頂ほど数が少ない傾向があった.全山頂のうちで,起伏が750 m以上のものは52(0.1%)あり,500〜750 mのものは2161(6%)あった.平均傾斜が35°以上のものは45(0.1%)あり,30〜35°のものは904(3%)あった.

    山頂周辺の起伏および平均傾斜の分布を見ると,いずれも,飛騨山脈および赤石山脈に,大きな値の山頂が集中する.起伏が750 m以上の山頂は,その73%が飛騨山脈および赤石山脈に分布しており,残りの27%は,石狩,日高,越後,木曽,両白,紀伊,四国山地に散在している.平均傾斜が35°以上の山頂は,その87%が飛騨,赤石山脈に分布しており,残りの13%は,日高,紀伊,四国山地にみられるのみである.それらに次いで険しい,起伏が500〜750 mの山頂や平均傾斜が30〜35°の山頂は,上記の山地とその周辺に分布は広がるものの,中国以西の内帯の山地,東北日本の太平洋側の山地,北海道の日高,石狩,北見山地を除く山地には,ほとんどみられない.

  • 水本 匡起
    セッションID: P112
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    1.はじめに

     現代の生活は,数年以上の長い時間間隔で繰り返す自然災害に対応できていない.よって今後は,これらの繰り返し間隔の長い自然災害から命を守る方法の確立に加えて,災害伝承などが風化せずに継承される仕組み作りが重要となる.本発表は,北上川下流域の水害と共に生活してきた宮城県河南町(現在は石巻市の一部)の町史に書かれている一般的な日常生活の中に自然との関わり合いを読み解くことにより,「繰り返し間隔の長い自然災害」を「日常生活の中に違和感なく取り入れて生活していた先人たちの自然観」を見出すことができることを示す.そして,防災や自然災害を特別視しない生活こそがまさにレジリエントな災害文化として存在し,災害伝承や災害文化などが風化せずに次世代へ継承されるシステムとしても機能していることを提示する.

    2.郷土史の記載からわかる豊かな災害文化

     北上川下流域で生活する人々は,沖積平野を構成する自然堤防,旧河道,後背湿地等の微地形をそれぞれ「ソネ」」「フナミチ」「ヤチ」と呼んでいた.そして各々の形態的特徴だけでなく,地形を構成する表層地質や水分状態を見極めた上で,その場所に最適な稲の生育方法を考えることが常であった.洪水で土手が決壊した跡の沼を「オッポレ」と呼び盛んに魚取りを行っていた事実は,再び起こる洪水を想定していたことを示している.また,毎日の干満変化によって川水(淡水)が押し上げられることを利用し水田の用排水を行っていた人たちは,異常潮位をもたらす急激かつ非日常的な自然の動き(=自然災害)に敏感だったことがわかる.一方,当地の山間部の生活では,斜面を構成する微地形から水環境,植生に至るまで,常に変化し続ける山の自然環境を知ることが必然であった.そして同時に,命を脅かす山の恐ろしさを理解していたからこそ,特定の日に山仕事を休んだり山の神に感謝したりしていた.特に結いや助け合いには,道普請や橋普請など数年に一度行うものから,萱の葺き替えや家の建て替えなど数十年〜百年ごとに行うものまであるが,百年を超えた結いと助け合いが成立していることは,後世の代まで在地で生き抜く強い意思と知恵が共有されていることを示す.同時に,これら百年後の未来を見据えた生活感覚が,繰り返し間隔の長い自然災害にも対応可能な自然観を育んでいる可能性を示唆する(水本, 2019a).

     このように,自然災害の種類や前兆現象等も含めて,現代の防災教育で学ぶような自然環境とその変化に関する知識は,郷土史に記された日常生活の中に全て含まれている.そしてその変化が大きい時には,命が脅かされる事を察することのできる自然観がすでに日常生活に織り込まれていることがわかる.以上のことから,特に防災などと意識せず,自然の恵みを上手に利用しその地域で生きるための工夫に富む日常生活では,自ずと自然の動きを察知する能力や地形を見る能力が養われ,防災の知恵や豊かな災害文化が育まれ,結いや助け合いとともに,自然災害から命を守る方法が孫の代まで確実に受け継がれるシステムが成立しているとみなすことができる.

    3.防災教育に必要な地域の生活システムの理解と郷土史の位置づけ

     先人の自然観を育んだ平野や山などの中地形は現在も同じ風景を形作っているため,当地に住む人たちは今も先人の自然観をイメージしやすい.よって人々は自身の経験等を通して,郷土史に書かれているような身近な土地の成り立ちや自然と関わり合いのある生活を比較的容易に認知できる.同時に,今も変わらずに続いている当たり前の文化や習慣,生業の中に,すでに防災が含まれていることの意味や価値に気づくこともできる.そして,日常生活に埋没しがちな地域の自然観や,先人から受け継いだ生活文化の中に改めて「防災」という新たな価値を見出し,現代の生活に沿った形で違和感なくそれらを組み込んでいくことにより,結果として数年以上の長い間隔で繰り返す自然災害にも対応することが可能となる.ただし,防災教育と称して,地域の生活システムから都合の良い部分だけを取り出し,非日常的な自然の動きや理論を一方的に紹介しても,それらは地域の日常生活から離れた不自然な事象であるために,結局は当地の人々に受容されず,継承もされにくい.地域ごとの特性を十分に踏まえた持続的かつ効果的な防災教育を実践していくためにも, 防災の観点から見た“郷土史の新たな価値と重要性”には,今後さらに注目していくべきだろう.

    【参考文献】◆水本匡起 2019a. 地理総合における防災教育の新たな手法と展開. 宮城県高等学校社会科教育研究会地理部会報 47:15-29. ◆水本匡起 2019b. 防災を意識しない生活に潜在する豊かな災害文化. 地域構想学研究教育報告10:1-14. http://id.nii.ac.jp/1204/00024041/ 

  • 岩佐 佳哉
    セッションID: 407
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    1.はじめに 広島県では,平成26年8月豪雨,平成30年7月豪雨(以下,西日本豪雨と呼ぶ)をはじめ,豪雨に伴う土石流の被害が何度も発生してきた。中でも,1945年9月に広島県を直撃した枕崎台風は,明治以降に広島県で発生した土砂災害の中で最多となる2,012人の死者を出した(国立防災科学技術センター,1970)。枕崎台風は第二次世界大戦の終戦から約1ヶ月後の混乱期に襲来したため,被害の詳細は明らかになっていない。土石流分布も一部の地域を除いて不明である。呉市では土石流の分布が示されているが(広島県土木部砂防課,1951),崩壊源の詳細な分布や正確な位置を読み取ることができない。

    枕崎台風の襲来時期は,米軍により空中写真が多数撮影された時期と重なるため,写真判読によって土石流の分布を詳細に把握できる利点がある。この土石流の分布を明らかにした上で,その要因を検討することは,土石流の発生メカニズムや今後の土砂災害に対する防災を考える上でも重要であると考える。

    土石流分布の要因について,西日本豪雨では地質条件の違いよりも降水量の多寡に関連していることが指摘されている(Goto et al., 2019)。枕崎台風時の降水量分布は広島県土木部砂防課(1951)に示されているが,各観測点の降水量を読み取ることができなかった。

    本発表では,広島県南部を対象に,枕崎台風に伴う土石流分布を明らかにし,その分布要因を検討した。その際,各種資料に基づいて降水量分布を復元し,土石流分布と比較することで,土石流分布の要因を検討した。

    2.研究方法 1947年から1948年にかけて米軍が撮影した空中写真の実体視判読を行った。判読に使用した空中写真の縮尺は約3,000〜30,000分の1である。判読の際には,谷の中に認められる白い筋を土石流が流下した跡であるとみなし,その最上部を崩壊源としてマッピングした。

    土石流分布の要因を検討するために,当時の日降水量データを復元した。具体的には広島気象台編(1984)や中央気象台編(1985),広島県土木部砂防課(1997),気象庁webサイトを参照して,降水量分布を新たに検討した。作成した降水量分布や地質図と土石流分布を比較することで,土石流分布の要因を検討した。

    3.土石流分布の特徴 対象地域において,枕崎台風に伴う土石流の崩壊源は,少なくとも4,025箇所で認められた。土石流は江田島市・呉市から東広島市にかけて多く分布し,分布密度の高い範囲が,幅20kmにわたり北東−南西の方向に延びる。一方,広島市中心部や竹原市,三原市では土石流の分布は疎らとなる。分布密度の高い範囲は台風の進路の右側にあたる危険半円にあたる。

    4.土石流分布と降水量との比較 対象地域では,呉や黒瀬の観測点において200mmを超える日降水量が記録されている。日降水量が160mmを超える範囲では,土石流の分布密度が高くなっており,枕崎台風でも降水量の多寡が土石流の分布に関連している可能性がある。

    発表時には,地質との関係や西日本豪雨の土石流分布との比較についても言及する。

    文献:国立防災科学技術センター(1970)日本主要自然災害被害統計; 広島県土木部砂防課編(1951)『昭和20年9月17日における呉市の水害について』; Goto et al. (2019) Distribution and Characteristics of Slope Movements in the Southern Part of Hiroshima Prefecture Caused by the Heavy Rain in Western Japan in July 2018; 広島気象台編(1984)『広島の気象百年誌』; 中央気象台編(1985)『雨量報告7』; 広島県土木部砂防課(1997)『広島県砂防災害史』

  • 櫛引 素夫
    セッションID: P147
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    1.はじめに

     郊外に立地する整備新幹線の駅は、アクセス面や都市計画上の課題を抱える例が少なくない(あおもり新幹線研究連絡会・2020、櫛引・2020)。このような状況を克服し、新幹線駅を新たな協働の拠り所とする営みを目指して、発表者は2019年度、東北新幹線・新青森駅と周辺を対象にニュースレター「はっしん! 新青森」を創刊、10カ月に10回発行した。経過は2019年の日本地理学会・秋季学術大会で報告した。事業は2020年度も継続したが、コロナ禍が世界と国内を覆うに伴い、年度初めから事業の中断や活動の変更を余儀なくされた。本研究では、地元のネットワークづくりに及んだ影響と、その克服へ向けた取り組み、およびこれらの過程に対する考察について報告する。

    2.2019年度から2020年度への経緯

     2019年の秋から冬、ニュースレター発行は順調に推移した。2020年12月に東北新幹線全線開通・新青森開業10周年を控え、節目を祝いながら開業以来の足跡と地域課題を見直す機運が生まれる一方、多様な市民がイベントに参加し始めていた。

     2019年11月には、地域連携DMO法人・信州いいやま観光局から講師を招き、青森西高校で「おもてなしフォーラム」を開催。青森西高校生や青森大学生、新青森駅長はじめJR東日本社員、青森県や国土交通省青森運輸支局の職員、住民など約70人が参加した。

     しかし、2020年2月には外国人観光客が減り始め、青森西高校の生徒たちが「おもてなし活動」の舞台としてきたクルーズ船の寄港中止が報じられるようになった。2月下旬から3月にかけて、ニュースレターに毎回、記事を掲載してきた三内丸山遺跡センターや青森県立美術館のイベントが中止になり、印刷が終わった紙面の修正と再印刷を余儀なくされたりもした。

     3月下旬には県内初の感染者が確認され、ニュースレター配布に協力を得ていた施設が相次いで閉鎖されたため、完成していた4月号の配布を断念せざるを得なくなった。続く5月号は当初から制作を諦めた。

     既報の通り、北陸新幹線の上越妙高駅(新潟県上越市)周辺でも、姉妹紙となるニュースレターの刊行構想が生まれ、現地セミナーや試作を経て刊行を目指していたが、コロナ禍が一因となり実現していない。

    3.発信の継続と活動の再起動

     ニュースレターはFacebookとInstagramで関連アカウントを運用してきた。また、青森西高校生は「おもてなし活動」の機会がなくなったことから、ねぶた衣装を二次利用したマスクや感染拡大防止を呼びかけるポスターを制作していた。そこで、紙面作りは諦めたものの、これらの活動をネットの独自コンテンツとして、主にFacebookで報じ続けた。この間、記事の閲覧回数が前年の1.5〜2倍に増加する現象もみられた。

     やがて、緊急事態宣言が解除されたことから、青森西高校と新青森駅のコラボによる「開業10周年カウントダウン企画」がスタート、活動が徐々に再起動した。並行して、ニュースレターを6月に復活させた。

    4.考察と展望

     地元では「ウィズ・コロナ」時代に向けた模索が始まっている。例えば、青森県立美術館の「コレクション展2020-2:この世界と私のあいだ」は「ソーシャル・ディスタンシング」が意識され、「物事の境界・空間」「これからの距離」をキーワードに構成されたという。さらに、インターネット上でギャラリートークを公開するなど、豊富なコレクションを今までとは異なる形で「社会にひらいていく」ことを志向しているという。

     社会全般において あらためて「ウィズ・コロナ」におけるDX(デジタル・トランフォーメーション)の必要性が浮上している。上記の取り組みは、その一例と言えよう、とはいえ、人間社会のさまざまな動きや連携は、やはり「ネット」「デジタル」だけでは完結させようがない。空間的にも、社会的にも、さまざまな関係性を再構築していく上で、リアルとネットをつなぎ直す「起点」やアイテムが不可欠であろう。一方では、新たな観光や旅行、移動の在り方を根本的につくり直す営みが不可避である。

     これらの状況を俯瞰すれば、新幹線駅やその周辺を対象とするニュースレターは、広域的なネットワークと地域、そしてリアルとネットを結ぶ「二重の結節点」として、今まで以上の価値を持ち得ると考えられる。

    参考文献:あおもり新幹線研究連絡会(2019)「九州、北陸新幹線沿線の変化の検証に基づく、北海道新幹線の経済的、社会的活用法への提言」(青森学術文化振興財団・2018年度助成事業報告書)、▽櫛引素夫(2020)「新幹線は地域をどう変えるのか」(古今書院)▽櫛引素夫(2019)「郊外の『ポツンと新幹線駅』、集客をどう図るか」(東洋経済オンライン記事、2019年10月19日)

  • 山形 えり奈, 小寺 浩二, 猪狩 彬寛
    セッションID: P132
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/12/01
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    Ⅰ はじめに

    福島県,宮城県を流下する阿武隈川の支流には,電気伝導度(EC)が高い地点があり,生活雑排水の混入や田畑への施肥による影響を受けたものと考えられている(山形ら,2020).本研究では,支流の水質と土地利用の関係および水質組成の分析結果を報告する.

    Ⅱ 研究方法

    2019年10月から2020年7月にかけて月一回,計10回の現地調査を行った.調査地点は本流支流を合わせ計61地点(一部欠測含む)であり,現地では気温,水温,比色pH,比色RpH,ECを測定した.

    Ⅲ 結果と考察

    主な支流では,亀田川,逢瀬川,東根川でECが高く,変動係数も大きかった(図1).反対にECが低い支流は,摺上川,内川,雉子尾川であり,変動係数も小さかった.流域の土地利用割合と比較したところ,右岸の支流のECは,土地利用割合のうち建物用地,田,その他の農用地の割合を足したものと正の相関がみられた.建物用地,田,その他の農用地以外は森林の割合が多くを占めるため,これは同時にECと森林割合との負の相関も示している.左岸ではECと土地利用との相関は見い出せないものの,森林の割合が高い支流でECが低かった.

    右岸の支流の水質組成は,東根川を除きCa-HCO3型で,典型的な日本の河川水に分類された(図2).東根川はNa-Cl型で,寄与因子は不明である.左岸の支流ではCa-SO4型およびCa-HCO3型が多く,一部Na-Cl型を示し,特に陰イオンに差があった.左岸には奥羽山脈が連なり,荒川や松川など火山に水源をもつ河川がCa-SO4型に分類された.高ECを示す2河川がNa-Cl型に含まれ,これは生活雑排水等からのNaClの混入によるものと考えられるが,同じNa-Cl型に低ECを示す摺上川が分類されている.摺上川流域は森林面積が流域の約9割を占め,上流には摺上川ダムとその下流に温泉街があることが特徴であるが,水質形成要因は今後検討が必要である.

    Ⅳ おわりに

    水質と土地利用の関係が右岸の支流で明確に示されたが,今回の比較では流域面積や地質は考慮されていない.それらもふまえて水質特性を解明することが今後の課題である.

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