日本地理学会発表要旨集
2020年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 703
会議情報

発表要旨
災害研究の人文地理学的アプローチの成果と課題
*内山 琴絵
著者情報
会議録・要旨集 フリー

詳細
抄録

1. 背景

 本報告では,人文地理学的災害研究の主要な概念的枠組みを扱った理論的研究をレビューすることで,何が問題とされてきたのかについての視点を整理する.そのなかで残された課題に対して,今後どのようなアプローチが可能であるのかについて展望する.

 近年頻発する自然災害,気候変動に伴う異常気象や,周期的に発生するとされる巨大地震・津波が,日本のみならず海外でも社会的課題としてますます認知されるようになり,適切な災害対策が求められている.地理学においても,他の社会科学的知見を取り入れながら,被害発現形態や対応行動の空間的側面に着目する研究が蓄積されてきた.とりわけ近年では,(1)災害発生要因の理解,(2)災害発生要因の除去,(3)主体性への着目という3つの概念的枠組みが交錯している状況にある.こうした研究動向は,「災害に対する脆弱性」1を鍵概念として説明することができる.以下では,上記の3つの枠組みを概説する.

2. 3つの概念的枠組みの検討

(1)災害発生要因の理解

 被害発生要因の1つとして脆弱性に注目し,被害発現形態の地域差を,脆弱性によって説明しようとするものである.災害を,単発的なイベントではなく,多層的なスケールで展開される社会プロセスとして捉えようとする動きとして位置づけられる.

 欧米での議論は,個人や集団の災害危険性の認知および適応行動に着目する認知・行動論から始まり,1970年代には新マルクス主義的構造主義へと移り変わった.こうした関心の変化は,個人の知覚や認識を超えた,社会の権力関係や社会経済的要因などによって脆弱性を説明する考え方の支持が背景にあり,マクロな社会構造批判へとつながる.

 日本では,欧米の議論に先行して,戦後経済地理学によって構造的アプローチが採用されており,地域経済の生産構造に基づいた災害論が展開された.しかし当時は,被害発生構造を日本資本主義および階級によって説明する論調が強かった(石井1981).

 ここでの成果は,地域を脆弱にする構造的要因を明らかにしたことである.しかし,ミクロな視点の欠如ゆえに即時的・具体的な対策に結び付きにくいことが課題である.

(2)災害発生要因の除去 

 社会内部の構造的不平等の問題として脆弱性が認識されるにつれ,災害に対する脆弱性をいかに評価し,空間的に特定するかという動きもまた生まれた.特にアメリカ社会の社会経済的地位,エスニシティによるセグリゲーションと居住環境の関係から,ローカルな地域の住民の属性に基づいて脆弱性の空間的分布,差異,時間的変化を明らかにする手法が開発された(Cutter et al. 2003).こうした脆弱性の高い地域を指標化・地図化する手法は,アメリカにおいて実際の防災政策に採用され,世界各地を対象とした事例研究の蓄積がある.しかし,脆弱性の形成メカニズム,住民などによる災害に対する主体的行動への着目がなされていないことが課題として挙げられる.

(3)災害を受ける主体,防災を実践する主体への注目

 人々は被害を受けるだけの弱い主体だけではなく,災害に対する行動を実行する主体でもある.災害が発生することを前提として,個人や集団がいかに被害を最小限にするか,地域が災害からいかに回復するかという点への着目も近年なさなれている.より地域の主体性を重視する点で,「レジリエンス」という用語で説明されることもあるが,長らく「災害文化」として議論されているものもここに含められるだろう.具体的には,災害発生直後の避難行動や,移転・再建とその合意形成プロセスなど中長期的復興について明らかにされてきた.しかし,逆説的ではあるが,復興過程においても,地域の脆弱性が形成・増大することがある.この点に関する議論の蓄積は少ない.

3. 今後の課題

 以上の3つの枠組みの成果と課題をふまえて,今後はある地域において脆弱性が形成される構造的要因と,住民の主体性の両者に着目しながら,長期的な時間スケールでみた地域の脆弱性の変化(脆弱性が生じたり,軽減されたりするプロセス)を明らかにする必要がある.

 ハザードへの理解の深化,法律による規制強化,他地域・外部団体による支援の動き,防災教育の蓄積,技術による脆弱性の軽減策の実施などが進む一方で,地域の主体も変化している.とくに日本において,都市部と中山間地域では異なる人口変化,社会変化を経験している.一部の地域で人口が集中する一方,人口減少や高齢化,住民の多様化が進行している.こうした状況をふまえて,過去に被災を経験したローカルな地域において,現在までにいかなる空間の変化と社会変動を経験してきたのか.いかなる主体的行動がとられてきたのか.そのなかでどのような矛盾があるのか.これらを明らかにすることで,現在のローカルな地域における防災の課題を提示することが出来ると考える.

著者関連情報
© 2020 公益社団法人 日本地理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top