日本地理学会発表要旨集
2020年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 221
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発表要旨
戦後期における観光都市の発展と中央政府の役割
-大分県別府市を事例に-
*中山 穂孝
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抄録

1. はじめに

 大分県別府市(以下、別府)は、豊富な温泉資源を活用した温泉観光業を基幹産業として市制を施行した数少ない都市である。別府に限らず、これまで多くの観光地を対象とした研究が蓄積されている。こうした研究は、主に交通網の発達や観光業の集積、労働力の調達などの観点から観光地の形成過程を明らかにしている。しかし、観光地の形成に関与した主体の動向に注目した研究は少ない。特に、観光政策を立案し、国内観光業に強い影響力を持つ中央政府は、観光地形成を明らかにする上で、重要な要素である。

 以上のことから、本報告では、戦後期の別府を対象に、中央政府がどのような形で別府の観光発展に関与し、発展を遂げたのかを明らかにしたい。

2. 戦後復興と国際観光振興

 敗戦による植民地の喪失は、国土計画の大転換をもたらした。そして、観光事業が戦後復興事業に組み込まれた。

 そのなかで、中央政府が、最も重要視したのは国際観光事業であった。国際観光事業は、外貨獲得の重要な手段であり、日本の戦後復興を欧米諸国にアピールするための手段としても考えられていた。

 こうした流れを受けて、各観光都市に対する個別的な開発構想がつくられた。その1つが、別府を対象に、1950年に制定された別府国際観光温泉文化都市建設法(以下、別府法)である。

3. 国際観光都市別府の発展

 別府法制定後、別府国際観光港と九州横断道路の整備が実施され、陸上・海上の交通網が拡充された。これら2つの交通インフラストラクチャーの整備は、県外資本の積極的な別府進出をもたらし、戦後期別府の発展を促した。戦後期の別府に進出した県外資本のなかでも着実に観光開発を進めたのが近畿日本鉄道であった。近畿日本鉄道は、別府の数少ない観光開発の空白地帯である「奥別府」に目を付け、鶴見岳に別府ロープウェイを開通させた。この近畿日本鉄道の積極的な観光開発は、それまで別府観光における大きな県外資本が、関西汽船のみであったため、地元観光業界に大きな衝撃を与えた。これらのことから、中央政府による観光構想が、戦後期別府の発展を方向づけたと言えるだろう。

 別府法制定の目的の1つは、日本を代表する温泉資源を活用した外国人観光客の誘致である。1950年代後半に別府を訪れた外国人観光客は、約10,000人であった。別府法制定によって別府国際観光港と九州横断道路が整備された結果、1963年には32,686人に増加している。この増加を見ると、外国人観光客の誘致を目指した別府法に一定の成果があったことがわかる。しかし、外貨獲得を通じた戦後復興への貢献という本来の目的が達成できるほどの成果を得たとは言い切れず、あくまでも日本人観光客の観光行動を促すものに留まっていたと考えられる。つまり、国際観光振興における成果は、限定的なものであった。

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