日本地理学会発表要旨集
2020年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 935
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発表要旨
港湾労働者の労災職業病闘争と「空間の政治」
*原口 剛
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抄録

はじめに

 本報告は,地理学における労働への問いにとって資本と労働の対立が根本的であるとの視点にたち,それが生み出す「空間の政治」の論理を示すことを目的とする。具体的には,神戸港において全日本港湾労働組合神戸弁天浜支部が1970年代以降に主導した,労災職業病闘争を取り上げる。とくに注目されるのは,「港湾病」という病名が労働運動によって提唱され,争われた事実である。本報告では,この名づけがいかなる意義をもったのかを論点の中心に据えつつ,災害職業病闘争の展開過程を検証する。

Ⅱ「港湾病」とは何か

 労災職業病闘争は,1966年の港湾労働法を契機に結成された神戸弁天浜支部がいちはやく繰り広げた闘争だった。同支部は,1974年にアンケート調査を実施したことを皮切りとして,1988年までに13次にわたる労災職業病の申請闘争を展開し,現在もじん肺をめぐる闘争が継続されている.この闘争のなかで,港湾の労災職業病は「港湾病」と名づけられた.その病名は,主として次の症状を包含するものだった.第一に腰痛症や関節症などの全身運動器疾病であり.第二に船内でのチェーンソー利用に起因する振動病(白ろう病)であり,第三に有害物質による粉じん病,なかでもアスベストによるじん肺である.全港湾の闘争は,これらの疾病を段階的に認定させていった.それは同時に,「港湾病」が字義的にも空間的にも拡張されていく過程だった。

闘争の展開過程

(1)「フォークリフト病」から「港湾病」へ

 労災職業病認定闘争が開始された当初,港湾では労働の機械化が急速に進み,労働運動にとって喫緊の課題として浮上していた。この状況下にあって全港湾は,フォークリフトが労働者の身体におよぼす影響,とりわけ腰痛に注意を向け.当初は「フォークリフト病」という病名を掲げた,しかし,弁天浜支部が独自に実施した74年に実施されたアンケート調査と集団検診によって,腰痛症のほかにも,頚椎症,膝関節炎,気管支炎,じん肺など,全身的な症状が広がっている実態が明るみとなった.弁天浜支部は,これらの諸症状を総体的に指し示すべく,新たに「港湾病」という呼称を案出し,提起した.

 だが,第1次・第2次の申請(1974〜75年)の段階では,労災職業病として認定されたのは腰痛のみであり,それ以外の症状は港湾労働との因果関係が否認された.これに対し弁天浜支部は,腰痛以外の症状についても認定を勝ち取るべく闘争を進め,1976年の第3次申請以降には,腰痛のほか頚椎症や膝関節症などの認定を実現させた.さらには,1977年にはチェーンソー使用による振動病への取り組みを重点化し,これについても認定を勝ち取った.

(2)「港湾病」の全国化と港運業者の抵抗

 1970年代後半になると,「港湾病」認定闘争は新たな局面に入った.第3次申請までは,その主体は登録日雇労働者だったのに対し,1977年の第4次申請以降は常用労働者が主体として加わった.また,1978年には横浜港および関門港においても労災職業病認定闘争が開始された.

 このような主体の拡大と他港への波及に対し脅威を感じた日本港運協会は,「このように特定の港にのみ,且つ日雇労働者に多数の認定者が発生していることは……むしろ職業病申請に当って申請者集団の心理的欲求と,組織の指導による特定診療機関の受診がもたらした結果である」との非難を繰り広げた(全港湾関西地本労災・職業病対策特別委員会 1980: 107).このような日本港運協会の言葉は,はからずも「港湾病」という名称がもつ政治的な効果を浮き彫りにしている.すなわち,「港湾」という具体的かつ一般的な地理的概念を冠した病名を提起することで,労働運動は,あらゆる港湾へと闘争を波及させうる状況を生み出そうとしたのだった.

(3)「港湾病」としてのじん肺

 さらに,じん肺をめぐる闘争は,もうひとつの角度から空間的次元の重要性を示唆している.旧来のじん肺法においては,粉じん作業とは「鉱石専用埠頭に接岸している鉱石専用船の船倉内」での作業とされ,この定義により港湾それ自体を粉じん作業の現場とみる可能性は閉ざされていた.全港湾はこれを変更させるべく運動を繰り広げ,1985年の法改正において「鉱物等を運搬する船舶の船倉内」へとその定義を拡張させた.こうして,港湾を粉じん作業の現場として把握し,じん肺を「港湾病」として認定する可能性が,はじめて切り開かれた.

おわりに

 以上の各段階にみられるように,「港湾病」という名称は,闘争の政治的次元とその空間性を如実に表わしている。ずなわち,これら一連の行為に共通して見出されるのは,複数の次元において対抗的空間を生産しようとする,港湾労働者の企図である。

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