本発表は従来、国内市場を主な販売先としてきた伝統的な地場産業である清酒製造業を対象として、産業集積の知見を参考に、変化する市場環境の中で製品の「ブランド化」、「価値付け」に産地や評価機関がどのように関わってきているのかを明らかにすることを目的としている。
経済地理学では産業集積論の流れを汲む研究として制度や慣習を通じてもたらされる集積の知識創造とイノベーションについての研究が盛んに行われてきた(水野,2011)。一方で、創造された知識が市場との関係においてイノベーションへと結実する仕組みは十分に掘り下げられてはいない。この仕組みを成立させるプロセスを十分に理解するためには、市場や価値の構築といった観点に注目した「価値付け」の研究が必要である(立見,2019)。
これまで清酒の評価は国内の消費者が主体となって行ってきたと考えられてきたが、酒類の消費量低下や海外市場の台頭といった市場の変化が見られる近年においては、従来の消費者に限らない「価値付け」の実態が重要視されている。清酒の「価値付け」に関わる評価機関として新酒鑑評会が挙げられる。これは清酒の品質調査や技術向上を目的として毎年行われる品評会であり、日本の清酒の評価について大きな影響力を有している。そこで消費者により構成される市場に加えて、清酒を実際に「価値付け」する仕組みに注目し、個々の酒造業者、産地や新酒鑑評会といったそこに参加する主体の認識や取り組みについて、国内最多の蔵数を示し、原材料の品質にこだわった酒造りを行っている新潟県の酒造地域を事例として検証を行った。
国内の清酒の消費量は近年減少傾向にあり、製品開発における戦略の練り直しが求められているが、その結果として価格を抑えた安価な普通酒を重視する酒造業者と高級志向の顧客を狙い価値を付与した特定名称酒を重視する酒造業者との分類が可能となってきた。高品質な清酒の製造にあたっては高品質な酒造好適米と高い技術力が必要であるが、新潟県では醸造試験場によって開発された県内産の原材料にこだわった高品質な酒造りが進められてきた。こうした取り組みは新酒鑑評会でも評価されている。
酒造好適米の開発に代表されるような産地の取り組みに対する意識を確認するために新潟県内の酒造業者県内の酒造業者全88社に対して郵送でのアンケート調査を実施したところ、54社(61%)から回答を得ることができた。具体的には製造状況、新潟県内で生産されている酒造好適米およびそれを使用した酒、販売方法、清酒の価値付けと評価の主体、社外関係者とのつながりについて問うた。
アンケート調査の結果と業界誌の記述から新潟清酒をめぐる「価値付け」の構造を分析したところ、新潟県における清酒の「価値付け」の主体としては依然として消費者(市場)の影響が大きいものの特に純米吟醸酒においては、他の要因の働きかけも見られ、複数の要因がそれぞれに影響を与えながら「価値付け」を行っていること、新潟県産の酒造好適米は新潟清酒の「価値付け」を考える上で大きな役割を果たしており、特に酒造業者と鑑評会による「価値付け」に関わっていることが明らかとなった。
文献
立見淳哉 2019.『産業集積と制度の地理学 価値付けの装置を考える』ナカニシヤ出版
水野真彦 2011.『イノベーションの経済空間』 京都大学学術出版会