1.はじめに
矢守(1974)は,日本の大都市の過半は城下町を母体にしていることを指摘しており,その成立と発展の基礎を,戦国末から江戸初期に建設された城下町に置くものが多くある.そして,城下町の空間構造を探る研究研究成果が多く挙げられており,特に,近世に発達した近世城下町の空間構造の解明をめざした研究については,膨大な蓄積がある.例えば,城下町の構成要素である「侍町・町人町・寺院地」のうち「侍町・町人町」は城郭の防備や経済発展と町割りの変遷,街道と町人町などの観点から,その配置が検討されている.しかし,「寺院地」については,寺院集積地が城下町における防御の役割寺町を担っていたことに触れられる程度である.城下町には寺院集積地に属さない寺院の分布に関する研究や城下町の寺院分布の変化に関する研究は多くない.城下町の空間理解には,その構成要素である「寺院地」についてもその配置の歴史的変遷を考察する必要があると考える.
そこで,本研究は寺院地の分布を藩主の治世ごとに分析し,その歴史的変遷を示すことで,寺院地が城下町に果たした城下町の建設や改造における寺院地の位置づけを明らかにする事を目的とする.そのために,福井城下町と会津若松城下町の2つの城下町を比較・検討し,その共通性等を明らかにする.
2.研究地域の概要と研究方法
城下町の立地・規模・プランに影響を与える城下町における藩領に対する政治的・経済的位置づけは,藩格や所領の規模,将軍家との親疎関係,藩政の変遷によって変化する.そこで,これらの要素を加味した上で研究地域を選定した.研究地域である福井城下町(32万石)と会津若松城下町(32万石)は,徳川家康の男系男子の子孫が始祖である親藩の中でも20万石以上の所領をもつ大藩である.また,両城下町共に平城であり,城下に山など地形的な制約がない.そして,親藩が当該藩に入国する以前に,他の大名が城下町整備を行っており,それを引き継いで城下町を整備してる点も共通している.
研究方法は,まず,各城下町の寺院に関する地誌資料から寺院の建立年代や移転状況等を調査し,城下絵図を基にそれらの寺院の位置をGoogle Earth上に藩主の治世別に分けてプロットした.以上のような方法で作成した図をもとに,寺院の粗密や立地とその変化,藩主による寺院建立数の違いなどの視点から分析した.
3.発表内容
本発表では,まず,各城下町における寺院の歴史的変遷の事例を紹介する.つぎに,分析の中で明らかになった寺院配置の歴史的変遷の特徴,その共通点や差異点を示す.
【参考文献】
矢守一彦『都市図の歴史 日本編』, 講談社, 1974, p.227