被災地の生活を再建するに当たり,仕事の安定は重要な課題の一つである。そのため報告者はこれまで2016年4月以降に発生した熊本地震における産業への被害と復旧過程について検討してきた(伊東・鹿嶋2018,伊東ほか2019)。また2019年の「令和2年7月豪雨」における熊本県球磨川流域の被害(以下,球磨川水害と呼ぶ)について,とりわけ人吉市中心市街地の産業の被害状況を概観し,復興に向けた展望を探った(鹿嶋2021)。これらの経験をふまえて,本報告では災害による地域産業の被害と復旧・復興の過程を捉えるうえでの経済地理学的視点の有効性を論じることにする。
まず熊本地震における地域産業の被害と復興過程の概略をみる。①熊本地震は,県内でも人口と産業が集中する地域を直撃し,一極集中的な県土構造の弱さが露見した災害であった。②産業別の被害額は製造業が最大で,特に大企業の操業停止はサプライチェーンの途絶をもたらし,県外にも波及した。③製造業の被害には地域差があり,活断層への近さや地盤の固さといった自然条件に加えて,立地時期,企業規模,業種などの要因も影響していることが示唆された。④復旧のスピードは大企業と中小企業で異なり,大企業では他地域の人員を大量に動員して急ピッチで復旧を進めたが,中小企業では総じて遅れる傾向にあった。⑤製造業では被災2年後には大半の企業が震災前水準にまで回復するなど,着実な復興を遂げた。 ⑥地域全体では,被災3ヶ月後頃から復興需要が本格化し,建設・製造業が牽引したが,観光業や農業の復旧は遅れた。
次に球磨川水害では,人吉市中心市街地などで広範囲の浸水に見舞われ,観光業・飲食業・商業などの都市型の業種で甚大な被害があった。また市街地以外では農林業の被害が目立った。いずれも大企業は少なく,地元資本の中小零細企業の被害が多かった。被災から約半年を経て仮設店舗での営業再開など徐々に復旧の動きが現れてきたが,本格的な復旧の段階には至っていない。熊本地震と比較すると,回復の遅れが目立つ。その背景として,コロナ禍の景気後退やインバウンドの激減といったマクロ的要因もあるが,被災事業者の零細性や取引連関の域内完結性の高さといった地域産業構造の特質を反映し,さらには感染防止対策によるボランティアや工事関係者の流入制限等の特異な事情が影響していると考えられる。
経済地理学(産業地理学)の立場から災害を捉える上で,次の3点が有効であろう。第1に,産業被害の全体像を空間的観点から重層的に捉える視点である。産業被害は局地的に限定されず,サプライチェーンを通じて他地域と結びついているため,間接的影響が広域に及ぶ。風評被害により被害の空間的範囲が拡大することもある。そのため,「被災地」とその後背地を関連づけて地域構造を理解する必要がある。この視点は大規模・広域的な災害において特に重要であるが,全体像の把握には時間を要することになる。第2に,時間的視点の重視である。被災地は災害後の時間の経過とともに大きく変化していくが,その過程には一定の共通性があると考えられ,その一般化と体系化が求められる。加えて,災害前の地域構造が被害を規定するという側面や,通常であれば数十年かけて徐々に進行する地域の構造変化が,災害を機に瞬時に生じるという,いわば時間を圧縮する面もある。したがって災害前も含めて長期的・通時的に地域を捉えることが重要と言える。第3に,産業の被害は自然条件に大きく規定されるものの,それだけでは説明できず,人文社会条件も十分に考慮する必要がある。これら諸条件を総合的に扱う視点は,すなわち地誌学的視点と言ってよいであろう。