日本地理学会発表要旨集
2021年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 368
会議情報

発表要旨
韓半島西岸交易都市唐城(タンソン)の成立と放棄をもたらした自然科学的背景
*鹿島 薫Yang Dong-YoonHan Min
著者情報
会議録・要旨集 フリー

詳細
抄録

唐城(タンソン)は韓半島西岸に位置し、統一新羅時代(AD668-900)において、唐との交易港として繁栄した。港湾とそれを見下ろす城址からなっている。続く高麗時代には港湾は放棄され、その後のデルタ前進に伴い海域と離され、現在は約4km内陸に位置している。

2017年および2018年に韓国地質資源研究院によって遺跡周辺の沖積低地において30地点を越えるオールコアボーリングが掘削された。本研究では、その中から遺跡直下の波止場(TS17-09)から現デルタ前面(TSE18-06)に向けて、沖積層を横断するように6地点を選定し、粒度分析、年代測定(炭素14およびOSL),微化石による堆積環境復元を行った。

 最も海側に位置するTSE18-06においては、沖積層基底から基底泥炭が確認された。その年代はca.13000yBPであり、淡水生珪藻化石が多産した。その後、海水準上昇に伴い、海域は急速に拡大し内湾が形成された。4-5000yBPからは粒度の粗粒化、汽水生珪藻化石の増加が生じ、内湾が閉塞環境となり汽水域となったことがわかった。ただ、海域の最終的な消失は400-200yBPであり、デルタの埋積に加え、沖積低地の水田開発の影響を受けてきた。

 城址のふもとに立地していたと推定される港湾施設において掘削されたTS17-09からは、港湾施設遺構を覆うように5回の高潮波浪堆積層が観察された。ここでは珪藻類に代わって、黄金色藻休眠胞子が急増し、台風などの災害イベントに伴う攪乱と急激な堆積状態が示唆された。この高潮波浪は800-1000yBP以降、高麗〜李氏朝鮮時代に増加し、これらが港湾施設の破壊と遺跡の放棄をもたらした。

著者関連情報
© 2021 公益社団法人 日本地理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top