日本地理学会発表要旨集
2022年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: P001
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北海道内浦湾北岸の北黄金貝塚周辺における縄文海進期の環境
*小野 映介小岩 直人佐藤 善輝
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抄録

北海道伊達市の北黄金(きたこがね)貝塚は内浦湾(噴火湾)に面した舌状の丘陵に立地しており、縄文時代前期(7000年前~5500年前)の貝塚をともなう集落遺跡である。遺跡の貝塚からは、ハマグリ、カキ、ホタテなどの貝類や、マグロ、ヒラメなどの魚骨のほか、オットセイ、クジラなどの海獣類の骨も多く出土しており、海洋漁労に依存した沿岸部の生業の特徴が認められる(青野2014)。当遺跡は、その学術的価値から「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成要素として、世界遺産に登録されている。北黄金貝塚では、出土する貝類や魚類が時代によって異なることから、後氷期の海面変動や、それにともなう海進や海退に応答するかたちで生業を行っていたと推定される。しかし、当地域における海面変動の詳細は明らかにされていない。近年、考古学分野では噴火湾沿岸の縄文文化に関する詳細な物質面での検討がなされているが、それに対応する精度での周辺古環境の復原はなされていない。本研究の目的は、北黄金貝塚周辺の沖積平野を対象として高精度の空間・時間軸で地形発達史を明らかにすることにある。とりわけ、海面変動にともなう海進・海退の様子に注目し、北黄金貝塚における人々の生活の舞台が変化する様子を復原する。本報告では、遺跡周辺で行った機械式ボーリングによって得られたコアの特徴を紹介する。

 北黄金貝塚の立地する丘陵の南側には、開析谷が認められる。開析谷には小河川が流れており、内浦湾に注いでいる。また、開析谷の出口には複数列の浜堤・砂丘が発達する。掘削調査地点は、浜堤・砂丘の東側に広がる湿地で、現在の海岸線から約600m内陸側に位置し、標高は約4.5mである。

 得られた地質コアの全長は10mである。深度9.65mより下位は固結した泥層であり、更新統と考えられる。それを有機物を多く含み黒色を呈する泥層が覆う(深度9.6~8.5m)。この泥層のほぼトップ(深度8.66m)の年代は7260calBP-7155calBP(76.3%)・7120calBP-7062calBP (13.2%)・7055calBP-7021calBP (5.9%)であった。その上位には軽石を多く含む細粒~中粒砂が認められる(深度8.5~6.2m)。それらは有機物を多く含む泥と細粒砂の互層(深度6.2~3.0m)によって覆われており、深度5.51mの炭化物からは6790calBP-6657calBP (95.4%)、深度4.97mの木片からは6786calBP-6656calBP (95.4%)、深度3.33mの炭化物からは3889calBP-3814calBP (40.7%)・3802calBP-3717calBP (54.8%)の年代が得られた。深度3.0~1.7mは礫まじりの細粒砂と泥炭の互層であり、それ以浅は盛り土である。

 地質コアの層相と年代は、縄文海進期に北黄金貝塚の南側の谷が海域となった可能性が高いことを示唆する。堆積環境については、各種分析によって明らかにする予定である。また、約7000年前に2m以上におよぶ砂礫の垂直累重が確認された。北黄金貝塚周辺の環境を激変させた約7000年前のイベントについて、有珠山の山体崩壊(善光寺岩屑なだれ)による間接的影響などを視野に慎重に検討していきたい。

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