主催: 公益社団法人 日本地理学会
会議名: 2022年度日本地理学会春季学術大会
開催日: 2022/03/26 - 2022/03/28
1 はじめに
地図に関心がある人ならば,地図には記号とそれを説明する凡例があるのが普通と考えるだろう。しかし,最終版伊能図は図上に凡例がない。とはいえ,伊能図に凡例がないと結論づけるのは早計であって,文政4年(1821)に地図と一緒に幕府に上呈された『輿地実測録』に記号の説明があることは,小田(2019)で指摘したとおりである。 ところが,話はこれで一件落着ではない。『輿地実測録』の刊行版で,従来引用されることの多かった明治3年(1870)の『大日本沿海実測録』では,凡例が改変されている。また,最終版以前の伊能図の中には凡例が掲載されているものがあるが,『輿地実測録』の凡例と異なるだけでなく,地図相互の間にも違いがある。すなわち,『輿地実測録』掲載の凡例をもって,伊能図の記号がすべて説明できるわけではないのである。最近,永山(2021)は伊能図22舗の凡例を一覧表にし,縮尺別にその特徴を検討しているが,本発表では,作製時期による違いに留意しながら,伊能図における凡例の変遷について検証する。なお,「凡例」とは一般的には書物のはじめに記される編述方針などを指し,伊能図や『輿地実測録』においても,「沿海地図凡例」「大日本沿海輿地全図凡例」のように「凡例」の語が使われる。本発表では混乱を避けるため,「記号一覧」の意味での「凡例」を「記号凡例」と表現する。
2 「沿海地図」の記号凡例
文化元年(1804)に幕府に上呈された「沿海地図」は,第4次測量の後,それまでの測量成果をまとめた東日本(蝦夷東南部~尾張・越前)の地図(中図・小図)であり,同時に,記号凡例を記載する最も古い伊能図でもある。本図は写本が多く,うち小図8舗を比較したところ,複数の写本に違いがあるのは,①楕円の記号が「陳屋」か「陣屋」か,②緑色の面的彩色が「山岳艸木」か「山岳草木」か,③「田畑霞」の面的彩色があるかないか,の3点である。検討の結果,「陳屋」「山岳艸木」型2舗,「山岳草木」「田畑霞」なし型4舗,「田畑霞」型2舗に分類することができ,前者ほど本来の正本に近いと考えられる。ちなみに「陳屋」「山岳艸木」型2舗は幕閣の旧蔵図である。
3 「沿海地図」より後の記号凡例
「沿海地図」より後の地図と冊子については,文政4年の『輿地実測録』以前と以後とで,記号凡例が大きく異なる。『輿地実測録』以降の資料は,「山岳艸木」など4つの面的彩色の説明が記号凡例から抜け落ちている(ただし,『輿地実測録』には文章での説明がある)。また,記号の数も少なく,説明の文言も主に1文字表記に変わっている。すなわち,伊能図の記号凡例の変遷のうえで,最終版伊能図の上呈が大きな画期となっていると言える。最終版伊能図においては,記号凡例を別冊の『輿地実測録』に記し,地図本体には載せなかったことも大きな変更点である。 次に,「沿海地図」以降『輿地実測録』までの8舗の地図を比較すると,特殊な2舗の地図を除き,残りの6舗(中図4舗と小図2舗)の記号凡例はほとんど同じである。むしろ,説明の文言や記号凡例の形式などにおいて,これら6舗と「沿海地図」との相違が目につき,第5次測量後の地図作製(文化4年)が,記号凡例の変遷のうえでもうひとつの大きな画期であったと言える。 最後に,幕末の『官板実測日本地図』は,最終版伊能小図などに依拠して刊行したものとされるが,記号の数や説明は『輿地実測録』と異なる。「沿海地図」以来,原則として同じ形が使われてきた記号自体も変更されている。『輿地実測録』の刊行版と言われる『大日本沿海実測録』も,記号凡例部分は『輿地実測録』と異なり,記号そのものが大きく変わっている。この改変は,明治4年の川上寛著『大日本地図』に反映されている。
4 おわりに
以上,伊能図の記号凡例の変遷を検討してきた結果,1)記号凡例は文化元年(1804)の「沿海地図」に始まり,2)第5次測量後の地図作製(文化4年)に際して変更され,そして3)文政4年(1821)の最終版伊能図と『輿地実測録』の編集時に再度改訂されたことが明らかになった。これを模式図にしたものが下の図である。本発表の詳細は,近刊の『伊能忠敬の地図作製』(古今書院)を参照されたい。