日本地理学会発表要旨集
2022年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: P033
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明治期の秋田市における呉服屋の変遷と分布
*市川 聖
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抄録

1 研究の背景と目的

 日本における百貨店の始まりは,1905年にアメリカのデパートメントストアを参考に店舗改革を目指した三越呉服店の抱負を全国紙で広く一般に報道したことが「デパートメントストア宣言」だとされている(藤岡 2006).このデパートメントストア宣言以降,都市部を中心に百貨店が急速に拡大した.さらに日本における百貨店は時代のニーズに合わせながら形態を変化させてきた.近年では急速なモータリゼーションの進展に加えて郊外型ショッピングセンターやロードサイドショップが登場したことで,百貨店が抱える課題は深刻化していった.これらを背景に先行研究では地方都市の百貨店に関する考察を行うために秋田県を調査対象地域とした.田口・松淵(1981),無明舎(1984),秋田魁新報社文化部(1968)などによれば,大正初期の秋田市には県内でも比較的大規模な百貨店があり,なおかつ急速に拡大した様相がみられた.しかしながらその当時,百貨店の廃業には株式会社の脆弱性が要因の一つであることを考察とした. そこで本研究では,秋田市における明治期から大正期にかけての呉服店の経営形態について検討することを目的とした.大正初期において比較的大規模な百貨店が確立した要因の一つに,明治期に呉服店などの百貨店経営の基盤が存在していたと考えたからである.明治期の秋田市の中心地は,呉服屋街を形成し,絹布や木綿,麻などを取り扱う呉服屋が群を成していた.さらにそれらの呉服屋街では幅広い階層に適応する販売形態であったとの記録もあった.以上から明治期おける秋田市の呉服屋の経営形態には,デパートメントストア宣言以降の百貨店経営に結びつく商業形態があると考えた.

2 研究の方法

 本研究は,秋田市における明治期から大正期にかけての呉服店の経営形態について検討するために以下の研究方法を用いた.第一に『秋田市史』(2004)を用いて,秋田市における明治期の呉服屋及びそれに関係する産業の経営形態,店舗の分布,当時の秋田市の経済情勢などの基本的な内容を整理した.第二に,当時の新聞と写真の歴史資料から,呉服屋および雑貨店の経営形態について検討した. これらを総合的に考察し,今後の研究課題につなげた.なお秋田市を対象とした理由には,明治末期から大正初期にかけての秋田市ではデパートメントストア宣言の流れに沿うように,地元の呉服店が百貨店へと変化したことに加えて,多角的な経営形態をとっていたと考えられたためである.

3 考 察

 秋田市では,明治期以降に百貨店へと変化する呉服屋などの経営規模の拡大と店舗の分布があった.それは秋田市が城下町であった江戸期の都市構造を利用するとともに,明治期の発展に見合う販売形態を行っていた.さらに呉服屋や雑貨店の経営者の中には,地方都市から都市圏に劣らない衣類販売の経営を目指した経営者もいた.しかしながら,それは秋田市の大衆消費には適合しない経営形態であったとも考えられた.  今後の研究課題は,デパートメントストア宣言以降の地方都市における百貨店の確立を普遍的に考察するために,他の地方都市における百貨店の歴史的変遷を歴史地誌の視点から考察したい.秋田市では,明治期の呉服屋経営を基盤としてその後の百貨店やそれに準ずる店舗での経営形態がみられるため,秋田市と他の地方都市を比較することで異なる百貨店の様相が明らかになると考えられる.

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