日本地理学会発表要旨集
2023年日本地理学会秋季学術大会
セッションID: S103
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ドイツにおける教育の本質:
グラフィティ研究の最前線―地理学の教育に芸術の実践を取り入れる
*池田 真利子
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抄録

地理学の祖とされるアレクサンダー・フォン・フンボルトを一例として,地理学(特に自然科学に由来する理学系地理学)とドイツの関係性は強い。兄の言語学者でありプロイセンの内相・教育相であったヴィルヘルム・フォン・フンボルトとは異なる道を歩み,また博物館学者でもあったフンボルトは,数年におよぶ調査旅行を経て,動物学や鉱物学,生理学,化学,民俗学,人口学,様々なディシプリンの研究者・専門家らと交流し,独自の科学ネットワークを構築した人物としても知られる。そのなかには,画家やレタリングアーティストも含まれていた。その知的好奇心が留まることを知らないフンボルトと,詩人であり,哲学者であり,自然科学者でもあるヨハン・ヴォルフガング・ゲーテとの関係性は,30年にもおよぶ。「原型」と「全体」から接近するゲーテと,「要素」と「部分」から出発するフンボルトは,その方法論的違いこそあれ,相互に影響を与えながら,ドイツ,ひいては世界の哲学を含む近代科学を牽引した点は注目に値する。これを異なる視点から見ると,芸術は独立した領域ではなく,人間が人間たる欠かせない要素として存在する側面もある。  発表者は人文・文化地理学者として,これまで広義の芸術に関心をもち,これと都市再編(ジェントリフィケーションや再活性化,再開発)との関連や,記憶と文化遺産,都市景観,都市経済,そしてパンデミックにおける芸術空間への影響と日独の文化政策比較と,研究を進めてきた。この一連の研究において,ドイツの現代社会と日本のそれとを相互参照し,気付いた点は,大きな話であろうが,<ヒト>を育てる教育や環境,そして環境と共生する社会基盤の次元での相違はやや大きいように思える。本発表では,日独の教育システムや地理学の授業方法の紹介を超え,芸術の実践的・学術的な視点から,ドイツ教育の本質にせまりたい。  「グラフィティ研究」は,大学を含む高等教育機関における学術的テーマとなりえど,日本の義務教育(特に地理教育)ではやや扱いが難しそう,との印象が拭えないかもしれない。それは,この言葉がもつ様々なコンテクストが一様にしか理解されていないことに起因する。  まず,グラフィティは世界的に注目される現象であるが,発表者は2000年代後半と2023年の調査経験を踏まえ,この注目される理由を下記4つにあると捉えている;①新しい芸術表現・作品としての新規性と,芸術市場における高い関心,②表現の形成者や作品の作者が不在・不明であること,③地理的コンテクストが反映されるサイト・スペシフィックな作品(特にストリートアート,ステンシルアートやマスターピース等)が多く,作品としての売買や長期保存が前提として困難であり,芸術の「売買」や「所有」そのものに疑問を投げかける特異な芸術表現であること,④特に,表現の種類や地域によっては,公的な芸術施設やハイ・アートから疎外されてきたアフリカン・アメリカンや若者の「文化遺産」であり,リビング・ヘリテージ的側面をもつこと。「違法」や「迷惑行為」として報道される傾向にあるグラフィティを,異なる角度から見ると,そこには景観研究としての価値以上に,上記の可能性を秘めてることが分かる。本発表では,現在発表者らが進める文理融合的研究において明らかとなった萌芽的知見・分析等を紹介する。  高等教育における文理融合時代にあって,学習指導要領が変化を続けるなか,教育地理教育と芸術の融合は挑戦的ながら,その可能性は大きい。地理A・地理Bが融合されたとはいえ,系統地理・地誌の緯糸・経糸における地域の総合理解(地図をベースにした自然環境から社会歴史の「複層性」の理解)という機能的手法の重要性は本質的なものとして変わらないであろう。これにあっては,グラフィティやストリートアートは,地理学的学習をサポートする題材として十分な意味を果たし得る。 他方で,恐らく,地理学や地理教育双方の課題は,地理学からいかにして演繹的手法を発展させるかということである。ドイツ地理学は,アカデミックの領域に加えて,地理学の視野の広さや時刻を含めた国際理解力・展開力を発揮し,空間計画学や文化遺産行政(特に世界遺産や文化遺産等の実務分野では多くの専門家・実務家が地理学の博士号を有する)等,国際機関・地方行政・NGO等多くの現場に地理学の技能・視点をもった人材を輩出する。そうした視野にたち,まずは大学と高等・中学教育の現場をまずは接続し,アカデミックな智と,教育現場の智を創造的に融合させる必要があるのかもしれない。

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