日本地理学会発表要旨集
2023年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 544
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世界文化遺産ベトナム・フエの遺跡群 ―歴史的背景および立地環境を踏まえたチャンハイ砦群の再評価―
*髙村 楓
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抄録

世界遺産条約は,文化遺産と自然遺産を一つの条約下で保護しているため,文化遺産といえども各遺跡の立地環境を踏まえた保全が重要となる.ベトナム中部「フエの遺跡群(Complex of Hue Monuments)」の構成資産である「チャンハイ砦」は,最も海岸寄りに位置する砦のみ登録されているが,BAVH(Bulletin des Amis du Vieux Hué 「雑誌 古都フエの友」, 以下BAVH)には総数17の砦が地図上および文中に記載されている.また,チャンハイ砦には緩衝地帯が設けられておらず,保全状況および遺産の説明が不十分である.そこで本研究では,グエン朝(1802〜1945年)の成立からフランスによる植民地化の過程で,砦の存在意義の歴史的変化と,砦が立地している海岸の砂州やフォン川の河岸地形の変化の視点から,世界遺産としての砦群を再評価することを目的とした.

まず,グエン朝成立以降の砦群の変遷を,ベトナム文化の擁護および遺産保護を目的として発行されたBAVHと,旧版地形図をもとに復元した.1819年はチャンハイ砦のみであったが,友好関係であったフランスとの関係が悪化し始めた1868年には,ホアデュン湖口を取り囲む4ヶ所と河岸6ヶ所に砦が完成した.フランスがフエを占領する1885年までに急増し,反仏運動が続いた1889年には17ヶ所の砦が存在していたが,その後,砦の数は減少した.

次に,チャンハイ砦およびその他の砦の現状と痕跡を,現地調査およびGoogle Earth画像を用いて分析した.その結果,砦は「世界遺産のチャンハイ砦」,「痕跡が残っている砦」,「消滅した砦」の3種類に分類することができた.

最後に,湖口の開閉とフォン川下流部の地形変化より,砦群の立地環境を検討した.湖口を取り囲む4ヶ所の砦は,砂丘と潮流により変化しやすい中州に立地している.一方河岸の砦は,河口部を除いて大幅な地形変化は見らなかったが,土地利用は大きく変化し,大半が消滅している.

フエ京城北東隅に立地するチャンビンダイとチャンハイ砦を含む17の砦は,京城を守るための一連の防衛施設であり,本研究ではこれを「チャンハイ砦群」と定義した.また,この「チャンハイ砦群」の成立と衰退は,フランスによる植民地化や反仏運動などの,歴史的背景の変遷と深く関係している.立地環境の視点からは,地形変化の激しい湖口周辺の砦に痕跡が明瞭に残されており,潮流や潮汐の影響を受けにくい地点が選ばれている.一方,河岸の砦は,砂利採取や埋め立てなどの人工改変や土地利用の変化が激しい.現在,「フエの遺跡群」の構成資産は「チャンハイ砦」の1ヶ所のみだが,本論文で述べたように「チャンハイ砦群」として,歴史的背景と立地環境を踏まえた再評価が必要である.そして,「チャンハイ砦群」とした各砦および痕跡のある地点では,その価値を後世に伝えるために,バッファゾーンを設け保全・管理を行なう必要がある.

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