日本地理学会発表要旨集
2023年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 301
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英語圏の人文地理学におけるリズム分析の展開
*中島 芽理
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抄録

2000年代以降,ルフェーヴルのリズム分析への関心が新たに高まりつつある。リズム分析は,ある空間を構成する複数のリズムの相互関係を特定しようとするアプローチである(Farrington 2021: 941)。加えて,それらのリズムが同期し,安定する過程を捉えようとするのみならず,リズムの齟齬から生じる変化や断絶に着目することで,生成変化としての空間を強調する。このように,近年の研究者はリズムを「分析の道具」(Elden 2004: xii)として使用し,ルフェーヴルの二元論的なリズムの理解に対する批判や,日常的で捉え難いリズムを把握するための方法論を創造しながら,研究を進展させてきた。本報告ではリズム分析 を使用した事例研究 を整理し,そこから得られた知見を踏まえ,今後の展開の可能性について論じたい。1970年代に,地理学において時間的な次元への着目を促したヘーゲルストランドによる時間地理学は,リズム分析の重要な先駆である。しかし,時間地理学における時間と空間は,抽象的で幾何学的な,単なる容器としての理解であった。そこで,時間と空間を出来事が起こるための枠組みとしてではなく,それ自体が出来事であるという理解を促すために着目されたのが,リズム分析である(Crang 2001)。Lefebvre(2004)は労働の機械的な動きから生み出されるような直線的なリズムと,自然や宇宙などの周期的な反復を指す循環的なリズムの2つに区別している。この2つのリズムは対立しながら絶え間なく相互作用を生み出す。また,ある特定のリズムは他のリズムとの関係によって識別されることから,常に複数的であり,相対的なものである(同上: 89)。このように,変化する複数のリズムという視点は,現代都市の複雑さを把握するために有用であった(Smith and Hetherington 2013)。こうして都市は,安定した秩序を生み出そうとする管理的・規制的なリズムと,様々な主体による変則的・即興的な行動から生みだされる抵抗的なリズムが,ときに組み合わされ,ときに衝突する場として捉え直されるようになった(Crang 2001ほか)。リズム分析は都市スケールのみならず,個人の生活を構成するリズムに対しても適用されてきた。そして,リズムを手掛かりとして,日常生活における身体的な経験に伴って生み出される,あるいは損なわれる場所について探求されている。例えば2011年にニュージーランドで発生した地震後の人々の経験に着目したThorpe(2015)によれば,自然災害により破壊された日常生活を(再)構築し,場所との情動的な関係を取り戻していくうえで,慣れ親しんだスポーツや身体的な活動によって生み出された新たなリズムが重要な役割を果たした。また,年齢を重ねるごとに日常生活のリズムが緩慢になっていく高齢者の経験も扱われている。Lager et al.(2016)は「生産性」のある若い人たちのリズムを好ましいとみなす新自由主義的な高齢化の規範的言説は,住み慣れた地域に暮らす高齢者であったとしても,そうした規範的なリズムに同期できないことから「居場所がない」といった感覚をもたらすことを指摘している。一方で,時間の経過と共に変化する農村部の高齢男性のマスキュリニティについて考察したRiley(2021)は,規範的なリズムに同期していないという感覚が,場合によっては自尊心を高めることもあると明らかにした。このように,近年では,規範的な秩序をもたらすリズムとの関係から生みだされる経験が,社会集団や年齢層によってどのように異なるのかといった,権力と不平等を交差的な視点から明らかにしようとする姿勢が重視されている(Reid-Musson 2018ほか)。以上のように,特定の場所や個人の様々なリズムの関係を読み解くことで,流動的・関係的な場所という理解に新たな知見が加えられてきた。第1に,リズムを生成する複数の主体を見出そうとする相対的な視点。第2に,資本主義の規範的なリズムが,日常生活において個人がリズムを生み出すなかで,どのように(再)構成され,また転覆されるのかという重層的な視点。第3に,それらのリズムが時間の経過と共にどのように変化するのかという時間的な視点である。最後に,生活を総体的な視点から捉えつつ,個人の場所の経験をリズムが織り成すプロセスとして捉えていこうとするアプローチは,ウェルビーイングに関する議論とも結びつけることができよう。具体的には,飲酒のリズムと規範的なリズムとの齟齬からアルコール依存症に至る過程や,そこから社会的なリズムを取り戻していくなかで回復していく過程について検証していくようなことが考えられる。

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