1.人吉市のアニメツーリズムの経緯と特徴 本研究では,緑川ゆき原作のアニメ作品『夏目友人帳』(以下『夏目』と略記する)のロケ地である熊本県人吉市を事例として取り上げる。原作の漫画では架空の「日本の,とある田舎」が舞台となっているが,漫画内に書かれた緑川のコメントから,緑川の出身地とそこでの経験が作品に大きく影響していることが伺える。そのため『夏目』がアニメ化される際,アニメ制作スタッフたちは緑川の出身地である人吉市およびその周辺をロケ地として緻密な取材を行い,その風景をアニメ作品の中に反映させている。 『夏目』のアニメは2008~17年の間に6期分がテレビ放送され2018年には劇場版映画が上映された。いずれのシリーズにおいても人吉市の新たな風景がアニメ作品に追加され,市内の『夏目』ロケ地スポットは増え続けてきた。これらのロケ地を目的に「聖地巡礼」を行う『夏目』ファンは多い。その一部は繰り返し人吉市を訪れるなかで地域住民やファン同士と交流を持ち,人間関係を構築している。このような中核的なファングループが形成されたこともアニメツーリズムの長期継続に繋がっている。 人吉市のアニメツーリズム持続性の要因は,地域の特色や取り組みにもある。近年の他の「アニメ聖地」の場合,作品の描く世界観の再現やイベント等に注力した「テーマパーク化」を志向する傾向がみられる。しかし人吉市の場合,作品で描かれた人吉の自然と社会を未加工のままファンに体験させることに力点がおかれている。『夏目』作品自体が豊かな自然とゆったりとした主人公たちの日常生活の描写を特色としているが,人吉市の取り組みはそれに沿った形で自然体の地域性を強調している。 2. 熊本県による新たな取り組み 人吉市は長期にわたりロケ地を現状のまま維持し,必要以上に『夏目』聖地であるとして特別扱いしない基本方針を取り続けてきた。しかし2020年7月の豪雨災害からの復興という転機を迎え,新たなアニメツーリズム戦略も受け入れざるをえない状況になってきている。 熊本県は豪雨災害で甚大な被害を受けた人吉球磨地域の観光復興を推進しており,2021年からはアニメ作品『夏目』を全面的に押し出した人吉球磨地域の観光PRの取り組みが次々と開始されている。2021年4月の『夏目』を用いた人吉球磨の特設観光サイト設置および観光PRアニメ動画の公開を皮切りに,2022年3~5月には人吉球磨地域の『夏目』スタンプラリーの開催,同年10月からは人吉市鍛冶屋町通りで夜間に『夏目』影絵のライトアップを実施,2023年1月からは『夏目』ロケ地を巡るタクシーツアーの運行が始まっている。 3.考察 熊本県の介入による『夏目』アニメツーリズムの取り組みは「アニメ聖地のテーマパーク化」的な方向性である。このプロジェクトによる観光環境の整備や各種イベントの集客効果等により,アニメファン来訪の増加が期待される。しかし新規来訪のライトなファングループが地域とどういう関係を持つのか,中核的ファングループとの関係がどうなるのか等々,予断を許さないものがある。 このように現在は2重のスキームのせめぎ合いの下で分岐点に立つ人吉市の『夏目』アニメツーリズムであるが,調査研究を継続しつつ変容過程を捉えていく所存である。 文献 小野澤泰子 2023. アニメツーリズム聖地の持続性に関する考察―『夏目友人帳』ロケ地としての熊本県人吉市の事例―.尚絅大学研究紀要55.