主催: 公益社団法人 日本地理学会
会議名: 2023年度日本地理学会春季学術大会
開催日: 2023/03/25 - 2023/03/27
ポルトガルは,主に大航海時代以降,世界に複数のディアスポラを形成してきた。北米では,マサチューセッツ州,カリフォルニア州などに比較的大規模なコミュニティが認められるが,都市単位の人口規模でみると,トロントのポルトガル系移民コミュニティが北米最大である。ポルトガルからカナダへの移住の最盛期は,1960年代〜1970年代であり,1980年代,その数は減少傾向に入り,2000年代以降,一層顕著となった。このエスニックコミュニティは,現在でも社会文化的に一定の凝集性を維持しているが,近年,移民一世の多くは高齢化し,老後(リタイアメント期)を迎えている。
先行研究を整理すると,北半球の環大西洋地域(ヨーロッパと北アメリカ)において,高齢トランスナショナル移住者(transnational senior migrants)は,1)ヨーロッパ内富裕層(Intra-Europe Rich),2)ヨーロッパ内移民(Intra-Europe Immigrant),3)北米スノーバード(North American Snowbird),4)環大西洋移民(Trans-Atlantic Immigrant)の4類型に区分できる。カナダ・トロントのポルトガル系移民高齢者は,4)の環大西洋移民に該当する。
本報告は,移住の受入国(カナダ)と送出国(ポルトガル)の両国において,トランスナショナルな老後生活(transnational later life)を営むポルトガル系移民高齢者を対象とする。主に,家庭状況,多重国籍,社会保障制度といった「家族」と「法」の側面に注目し,トランスナショナルな老後生活を促進・制約する要因を明らかにする。その上で,環大西洋移住のコンテクストに照らし,彼ら・彼女らによるトランスナショナルな実践を議論する。研究目的を達成するため,2016年カナダ国勢調査(25%サンプルデータ)の利用・分析に加え,トロントのポルトガル系移民高齢者に対し,半構造化インタヴューを実施した。
発表者が考案した「トランスナショナル移住のライフサイクルモデル」を導入し,ライフコースに注目した分析をおこなう。このモデルは,トランスナショナル移住に関する,主な4つの一般決定因子(「労働(仕事)」,「健康」,「子ども」,「親」),および移住のより基礎的な条件を形づくる相互に横断的な2つの基盤決定因子(「経済」,「法」)から成る。ライフパスの細かな時空間的変遷,およびその具体的内容は,個々人に固有の環境・価値観・経験などに依存するが,リタイアメント期において,概して人々は,それ以前のライフステージに比べ,労働・子育て・親の介護など,種々の義務から解放される傾向にある。この点において,リタイアメント期は,トランスナショナル移住の実現可能性が高まるライフステージと考えられる。
トロントのポルトガル系移民高齢者(環大西洋移民)は,トランスナショナル移住の季節選好,動機,法的制約を含む,複数の側面において,他の3つの高齢トランスナショナル移住者集団とは異なる特性を示した。彼ら・彼女らの季節選好は,ヨーロッパ内富裕層と北米スノーバードの2つの高齢者集団とは異なり,環境決定論的な説明では理解が難しい。カナダに比してポルトガルが温暖であることは,多くの場合,彼らにとっての移動の主たる動機にはならない。トロントのポルトガル系移民は,クリスマスなどの最重要な日を家族と共に過ごすことに重きを置き,夫・妻や息子・娘が暮らすカナダで冬を過ごす事例が多数派を占めた。また,EUを中心とするヨーロッパ域内で移動する2つの高齢者集団に比べ,カナダ国籍のポルトガル系移民にとって,滞在期間など,法的な制約は大きい。しかし,1980年前後にポルトガルとカナダの両国で国籍法が改正され,多重国籍が認められたことにより,二重国籍者となった移民にとって,トランスナショナル移住の制約は減じた。さらに社会保障に関しては,1960年代〜1970年代を中心に,若年時にカナダへ移住し,そこで長期間就労したポルトガル系移民の多くは,カナダ政府から年金を受給する資格を有している。しかし,カナダ政府が給付する年金を満額で受け取るためには,法制度上,年間6ヶ月以上の間,カナダに滞在しなければならない。この点は,トランスナショナル移住の制約とも理解できるが,翻せば,移民高齢者は,カナダに6ヶ月間滞在しさえすれば,老後の生活を充実させるための経済的資源を最大化できる。
カナダ・トロントのポルトガル系移民高齢者のトランスナショナルな老後生活は,年金受給額を最大化させ,且つ送出国と受入国の両国において生活の質を最高化させることを企図した,ライフサイクルの最終局面における,彼ら・彼女らによる戦略的実践である。