日本地理学会発表要旨集
2024年日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 505
会議情報

展望台からの地理掌握とその批判的検討
*淵上 瞬平西川 祐人平野 竣祐鈴木 康揮早川 凌矢
著者情報
会議録・要旨集 フリー

詳細
抄録

Ⅰ はじめに

1970年代以降,ポストモダン地理学やフェミニスト地理学は,地理教育の基礎学問である地理学の伝統的な知の探究方法やそれによって生みだされた地理学的知が男性優位主義的であると批判してきた(加藤 1999など).こうした伝統的な地理学的知への批判を地理教育がじゅうぶんに引き受けていないのではないかという問題意識を,報告者たちは共有している.そこで本報告では,男性優位主義的であると批判されてきた「高みからの地理把握(掌握)」に焦点をあてて,地理学者ではない市民が,いかにして地理を掌握しているのか質問紙調査によって明らかにし,もって,高みから地理を掌握する/させることの過不足を検討する.

Ⅱ 展望台からの地理掌握

調査地は,主要な旅行雑誌5誌で「展望」がうたわれている岡山県内の施設(以下,展望台)のうち,「晴れの国おかやま景観計画」における「備中圏域」に位置する3つの展望台(阿知神社,鷲羽山展望台,備中松山城)である.高みからの掌握の実態を明らかにするために,質問紙では,訪問者がどこからどの頻度でその展望台を訪れ,そこで何をし,何をどの程度「理解」したのか尋ねた.まず展望台への訪問理由をみると,阿知神社と鷲羽山展望台では「風景を見るため」が,備中松山城では「(城が)有名な施設であるため」が最多であった.展望台の魅力には,「風景をみせる施設としての魅力」と「訪れたいと思わせる施設としての魅力」の2つがあると示唆される.とりわけ「風景をみせる施設としての展望台」において,4割弱の訪問者が「地図的な記憶の行為」をとっていた.ここでいう「地図的な記憶の行為」とは「風景から(特定の)施設を探す」や「パノラマ写真を見る」,「地図を見る」といった行為のことをさす.こうした行為をとったか否かで,地理の理解度を集計すると,地図的行為が「地形」や「自然」,「位置・配置」の理解を促進する一方で,「人の動き」や「交通」の理解を妨げることが示された.つまり,展望台における地図的行為が鳥瞰的な理解をもたらす一方で,実際の生きられた空間への理解を遠ざけると解釈できる.ただし,その掌握性は風景への愛着(訪問回数と居住地)によって変化する.すなわち,みせられる風景自体が訪問者にとって「生きる空間」であるとき,掌握のもつ支配的態度が見受けられない.

Ⅲ 場所を理解する地理教育にむけて

さて,地理教育では,地図や統計値を重視して地理を捉えさせる方法が従来重視されてきており,そのような伝統的地理学的知を再生産する教育を批判的に捉える論は少ない.それにくわえて本報告によって,市民が展望台において地理を支配的に把握=掌握していることが明らかにされた.この2点から,地理教育が男性優位主義的な知の再生産に陥らないために,地理教育研究は伝統的地理学的知への批判を引き受けていかなければならないといえまいか.とりわけ,Ⅱで述べた風景への愛着による掌握性の変化は示唆的である.この事実から,地理教育では,地図や統計値などをもちいて地理を空間的にのみ理解させるのではなく,そこに生きる人々の意味をあわせもつ空間,すなわち「場所」への理解をあわせて目標とするべきであると結論付けたい.なお,そうした場所への理解をめざす教師の立場・態度や教材の研究は,今後の課題とする.

文献

加藤政洋 1999.ポストモダン人文地理学とモダニズム的「都市へのまなざし」――ハーヴェイとソジャの批判的検討を通して.人文地理51-2:164-182.

著者関連情報
© 2024 公益社団法人 日本地理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top