1.はじめに
人生の最終章を自宅でと希望する高齢者は多い。飯田市が2023年1月に行った高齢者等実態調査でも、居宅要介護・要支援認定者においてさえ「施設等への入所(入居)を希望しない」との回答が54.4%を占める。その一方で元気高齢者は「介護が必要となった場合、介護を受けたい場所」を問う質問に対して、40.3%が「よくわからない」と回答している。前期高齢者が今後の健康状態を予測するのは困難で、まだ決められない状態にあることが窺える。ではこの問題に直面する90歳代に絞るとどうなのかを明らかにしようとした。
2.調査概要
調査対象地は長野県飯田市上久堅地区である。典型的な中山間地域であり、2023年10月1日現在、人口1168人のうち高齢者数552人(高齢化率47.3%)である。地区内に高齢者施設はなく、施設入居の場合は他地区に移動しなければならない。
当初の計画では、予備調査として近隣に在住する3人の90歳代女性に非構造化インタビューを行い、その後、地区全体を対象に構造化インタビューを行う予定であった。しかしコロナ感染拡大により地区全体の調査は断念した。やむなく3人に対して、短いインタビューを2019年6月から2023年8月まで継続して行った。そして彼女たちの発言について、裏付けを取る・時代背景を探ることを目的に、文献資料あるいはそのことを知る第三者にヒアリングを行った。
なお報告者の立ち位置は、高校卒業時の1977年3月に地区を離れ、2019年4月にUターンした住民である。
3.考察
調査対象者に限らず地区の高齢者から「ここがいっとういいに。」という発言を異口同音に聞く。このことは、その発言に至った共通の経験があるのではないかと推測された。そこでライフヒストリーから居住地移動に関する共通項目を抽出した。その結果、①製糸/紡績女工 ②満州開拓移民 ③女子勤労挺身隊の3項目を挙げることができる。「極楽浄土とか言っとったってなあ、他所のどっかに天国のような所なんかありゃせん。ここがいっとういいに。」という発言が示すように、いずれも移動後の生活は「ここ」よりずっと過酷なものであった。したがって「ヘタに移動すると酷い目に遭う」という共通の経験知を得て、居住地移動に対する拒絶的反応が内在化していると考えられる。
さらに3人は共通して40歳代以降、地区の短歌・川柳サークルに参加し、長期にわたって活動を継続した。自身の生活や環境を見つめ作品として発表してきた経験を持つ。地区の有線放送で作品が毎週放送された効果も大きい。その過程で大都市への人口流出が続いた社会状況においても、「ここ」への場所愛着を強めていったと考える。
【付記】
元飯田市歴史研究所調査研究員 齊藤俊江氏には関係資料のご教示をいただいた。記して感謝します。
【文献】
上久堅村誌編纂委員会 1992.『上久堅村誌』
千代村役場 1943-45. 女子勤労挺身隊関係綴
田原裕子・神谷浩夫 2002.高齢者の場所への愛着と内側性.人文地理 第54巻第3号