近年,地域社会とともにあり続けた寺院が消滅していくとする指摘がなされている。一般に,寺院はそれを支える「檀家」の家族に対する葬祭や日常生活のケアに対応することを通じて地域住民に向き合ってきた。しかし,過疎地域といった人口減少地域を中心に家族は大都市圏へ他出子を輩出して空間的に分散居住し,成員相互の社会関係に変化を生じさせているため,「墓じまい」などの諸事象が出現している。それは潜在的にも,顕在的にも檀家の減少をもたらしており,やがて寺院の統廃合を惹起させる事態に至る。こうした事態は現代家族の変化を反映するものであり,寺院の動向を追究することによって地域社会や家族をめぐる地域問題の特質に迫ることができると考えられる。本報告では,人口減少が継続的に進んでいる過疎山村における寺院の統廃合に注目して,寺院が消滅することへの地域社会の対応とその要因を検討する。
発表者は,中山間地域など人口減少地域に分布する寺院をとらえる枠組みを,住職の存在形態に基づいて時系列で4段階に区分し提起している。住職の有無に注目するのは,住職の存在が寺檀関係(寺院と檀家との社会関係)の維持に作用し,寺院の存続を決定づけるからである。
第Ⅰ段階は専任の住職が常住しながらも,空間的分散居住に伴い檀家が実質的に減少していく段階である。第Ⅱ段階は檀家の減少が次第に進み,やがて専任住職が代務(兼務)住職となり,住職や寺族が寺院に居住しなくなる「無居住」の段階である。第Ⅲ段階は,代務(兼務)住職や在村檀家も高齢化等により当該寺院の管理を担えなくなるなどして放置され,建造物が老朽化して「荒廃化」する段階である。そして,第Ⅳ段階は荒廃の状態が長らく続き,建造物も朽廃して「青空寺院化」し「廃寺」となる段階である。
このうち,本報告では第Ⅳ段階にある「青空寺院」から「廃寺」となった寺院を対象とする。現代の山村においては宗教法人の煩雑な解散手続きまでには至らずに,少数かつ高齢となった檀家による管理が滞り,建造物や境内が荒廃し放置された青空寺院が増加し続けていると考えられる。こうした青空寺院は不当に法人格が取得され,悪用される危険性がある。宗教法人を管轄する文化庁においても,包括法人である宗派組織に対して青空寺院の管理を徹底するよう求めている。こうした中で,島根県石見地方の山村を事例に,檀家集団たる地域社会がどのように青空寺院と廃寺の問題を処理してきたのか,そして新たに檀家集団を再構成したのかを検討したい。
資料の得られた浄土真宗本願寺派・曹洞宗・日蓮宗における寺院(宗教法人)の統廃合の実態を確認する。比較可能な1980年代以降をみると,2010年以降,解散や合併に至った寺院が顕著に増加していた。地域的には,80年代から過疎の進行した地方圏で目立っていたが,2000年以降は大都市圏にまで拡大している。ただ,宗派によって寺院の分布は異なるため,寺院が集積する地域ほど統廃合件数が増える傾向にある。
事例として取り上げたA寺は同町上田地区にあり,1988年に住職が死去後,後継者も確保できていなかったことから,自動車で1時間離れた親族が代務住職に就任し,未亡人とともに運営されてきた。しかし1997年には未亡人も死去して無居住化し,代務住職も高齢でA寺との往来に困難が生じたため,同地区のB寺住職に交代した。その間にも大雪や野生動物によって本堂などの建造物は損傷し,修復費用の捻出も困難なために放置され朽廃化が進んだ。年中行事は集会所を利用するなど維持が図られたが,2013年にA寺は解散となった。ただ放置された建造物はそのまま残存していたため,元A寺門徒の人々が共同で機材を持ち込んで解体し,跡地に記念碑として鐘楼を建立した。また寺檀関係については,集落単位で組織される「化教寺(けきょうじ)」の所属が問題となったが,元A寺総代の働きかけもあって全戸がB寺へ移行し,ローカルな門徒集団の維持が図られた。
対象地域の旧羽須美村上田地区では,営農組合を組織して高齢者農家のサポートを担ったり,棚田の保全活動を実践して都市住民との交流を展開するなどし,高齢社会化は進んでいるものの,地域社会は相対的にも活発に機能しており,A寺のアーカイヴや門徒集団を維持するための取り組みが進められた。
門徒集団を構成する地域社会が維持されているにもかかわらず,A寺が廃寺になった背景を検討すると,後継者の確保や代務住職の選任のありかたといった寺院側に依拠した要素が作用していると考えられる。前者は浄土真宗寺院における住職後継システムの問題,後者は宗派内の寺院間関係の問題が指摘され,地域性に加え宗派性の問題が浮き彫りとなった。