日本地理学会発表要旨集
2024年日本地理学会春季学術大会
セッションID: S608
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阿蘇の草原に刻まれたつながりの痕跡をたどる
多様な「人と自然」の在り方をつなぐための超学際研究に向けて
*伊藤 千尋
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キーワード: 草原, 阿蘇, 自然資源利用, 保全
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抄録

1 はじめに

熊本県阿蘇地域には約2万ヘクタールの草原が広がっている。阿蘇の草原は,そのほとんどが入会地として牧野組合により利用・管理されており,野焼きや放牧,採草といった年間を通じたサイクルにより維持されてきた。そのため,阿蘇の草原は人間と自然がつくりだした「文化的景観」としても広く知られている。

他方,阿蘇一帯では,畜産農家の減少や高齢化が進行してきた。従来のように草原を維持することが困難となるなか,1990年代半ばから草原保全の動きが活発化した。今日では,地域内外からボランティアを呼び込んでいるほか,草原維持のための様々な取り組みが行われている。

本発表は,牧野利用の変遷や,住民の牧野に関する様々な認識や経験を提示し,草原に刻まれてきた人と自然のつながりの痕跡をたどることを目的とする。これを通じて,高精細地表情報の活用と実社会の資源利用や保全の議論との接続について,またそれらが切り開く超学際研究の可能性について検討したい。

調査は2022年から阿蘇市内に位置するA牧野組合を対象として実施した。組合員への聞き取り調査を行ったほか,野焼きなどの牧野の維持管理に関わる作業を観察した。

2 牧野における開発・保全・災害

A牧野組合は,A牧野とB牧野(他の牧野と共同利用)の2ヶ所を利用している。A牧野は放牧地,B牧野は主に採草地として利用されてきた。A牧野組合の入会権者数は1998年に35軒であったが,2021年には11軒に減少しており,同時期の有畜農家数は25軒から3軒に減少した。どちらの牧野も,内部では自然環境の特徴に基づく地名がつけられ,複数の区画に分類されていた。

現在のA牧野における放牧地としての利用は,1950年代の草地改良以降,人工草地として利用されてきた区画に限定されている。この背景には,2018年に発生した熊本地震がある。熊本地震以前は,牧野全体を利用していたが,地震やその後の豪雨による斜面崩壊により,放牧が困難な状態となった。また,A牧野では,草地開発などの影響だけでなく,観光開発とも関わりがみられた。

B牧野は主に採草地として利用されてきたが,放牧頭数が多かった時期には一部で放牧もされていた。しかし,1990年の豪雨では砂防ダムが崩壊するほどの被害を受け,放牧中の牛が流されるという経験があった。翌年,B牧野での野焼き面積は半減され,その後1990年代後半に野焼きが中止された。他方,保全団体等の支援を受け,2000年代に一部の区画で野焼きを再度開始した。

このように,開発や保全などの時代ごとに異なる文脈に影響されながら,また,自然災害という突発的な事象に作用されながら,牧野の土地利用は変容してきた。今後は,住民による環境認識や土地利用の変遷が高精細地表情報としてどのように可視化される(されない)のかについて検討する必要がある。

3 おわりに

現在の阿蘇の草原は,生物多様性や水源涵養などの観点から,その価値が評価されている。他方,「阿蘇の草原」として一元的に語られる範囲のなかには,ミクロスケールでは人為の影響も含めて微細な地形・植生景観が含まれると考えられる。また本発表がその一端を示すように,地域における住民と草原とのつながり方は,牧野ごとあるいは牧野内部においても多様であると考えられる。高精細地表情報の活用は,このような個別的で多様な「人と自然」の関係性に基づいて草原の役割や機能を問い直し,保全のための空間スケールを検討するためのプラットフォームとして機能する可能性を有しているのではないだろうか。

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