日本地理学会発表要旨集
2025年日本地理学会秋季学術大会
セッションID: S505
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東北地方におけるアイヌ語地名とアイヌによるコメモレイション
*桑林 賢治
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抄録

1.背景と目的 地名は場所の記憶と密接に関わる.場所の記憶を反映した地名が新たに創出されたり,地名を基に地域の歴史が検討されたりする.こうした動きは場所をめぐる人々のアイデンティティのあり方を反映したものであり,それゆえにしばしば政治的な性格を帯びることとなる.これは先住民と地名の関係性を考える上でも重要な論点である.アイヌ民族の場合,アイヌやその先祖にあたる人々が命名したと考えられるアイヌ語地名が,北海道以北では日本の植民地支配の中で改変または消去されてきた.こうした状況に対して,北海道のアイヌ語地名を復興する活動も一部で進められている.これは地名を通じてアイヌをめぐる場所の記憶に光を当てようとする動きにほかならない.一方,報告者は現代のアイヌが北海道内外で建碑や先祖供養といったコメモレイション(=記念行為)を通じて場所の記憶を記念してきたことを議論してきた(桑林 2021, 2024, 2025).これらのコメモレイションのうち,特に東北地方の事例にはアイヌ語地名が関係しているものが見られる.そこで本報告では東北地方におけるアイヌ語地名とアイヌによるコメモレイションの関係性を検討する.

2.東北地方のアイヌ語地名 東北地方はアイヌ語地名が多く見られる地域として知られる.それらはアイヌの先祖にあたる人々によって命名されたと考えられており,東北地方に刻まれたアイヌの足跡の一つとして理解されてきた.今日でも東北地方のアイヌ語地名を探求する動きは続いており,それを目的としたローカルな研究会なども存在する.

3.アイヌ語地名とコメモレイション 東北地方の一部の地域で遅くとも1990年代以降,北海道や首都圏に住むアイヌによっていくつかのコメモレイションが散発的に行われてきた.このうち,2011年に岩手県大槌町吉里吉里で東日本大震災の犠牲者を悼むために実施されたアイヌによる儀式には,その中心となった人物がアイヌ語に由来するともされる吉里吉里という地名に先祖の足跡を見出したことが関わっていた.1995年には岩手県旧松尾村のさくら公園で縄文人をアイヌの先祖として供養する儀式がアイヌによって行われている.これには公園の付近で縄文時代のものとされる釜石環状列石が発見されていたことに加えて,同地の旧地名をアイヌ語で解釈できるとする見方も影響していた.翌1996年には松尾村での儀式の中心となった人物らによって,同県北上市のカムイ・ヘチリコという広場で蝦夷(エミシ)を供養する儀式が2度実施されている.これには広場の隣接地にエミシのものとされる江釣子古墳群があることに加えて,広場の名称がアイヌ語地名に基づいて命名されたものであることも関わっていたとみられる.これらの事例が示すように,東北地方でのアイヌによるコメモレイションの前提として,アイヌ語地名の存在が一定の役割を果たす場合があった.とりわけ,縄文人やエミシをアイヌの先祖とする説を補強する機能をアイヌ語地名は担っていたように思われる.こうした関係性は,東北地方のアイヌの足跡がしばしば曖昧な記憶に基づいて見出されてきたがゆえに生じたものであると考えられる.

本研究は令和6年度山形県立米沢女子短期大学戦略的研究推進費「東北地方におけるアイヌのコメモレイションに関する地理学的研究」を使用した.【文献】桑林賢治 2021.先住民アイヌによる「記憶の場所」の構築――北海道・真歌山におけるシャクシャインの顕彰を事例に.人文地理 73: 5-30.桑林賢治 2024.北海道外におけるアイヌの「記憶の場所」と先住民性.地理学評論 97A: 343-367.桑林賢治 2025.東北地方におけるアイヌのコメモレイション.歴史地理学 67(1): 40-54.

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