世界の地理学習は1970年代まで小学6年で行われていた。それが1977年学習指導要領改訂でなくなり,1980年代以降今日まで,義務教育を通して世界についてのまとまった学習機会は,中学1年地理的分野での「世界の諸地域」学習に限られる.世界に関する事象を扱うのは社会科だけではないし,世界の学習は教科等の枠組みでのみ行われるものでもない.2017年改訂で小学5・6年に新設された外国語の教科書には,外国の日常生活や習慣,文化などに関する文章や図版が随所に登場し,ほぼ必ず国名と国旗が掲げられる.国語の教科書には「世界の風土や文化などを理解し,国際協調精神を養う」教材が,各学年一つは収載される.「総合的な学習の時間」の探究課題例には,「国際理解」が「情報,環境」等と共に示される.道徳でも,各学年の「内容」に「国際理解,国際親善」が掲げられる.このように,小学校では社会科以外の教科等で外国の諸事象が教材として数多く取り上げられている.ただ,それらの背景となる国や地域と関連付けて扱われることはまずない.そのため,生活や文化の多様性の理解や国際協調の態度育成には繋がるとしても,多様性を生み出した舞台である国や地域,それらの集合体である世界や国際社会への興味や関心,理解には結びつきにくい.一方で,年度末に学習を振り返る調査で,5年社会では「もっと学びたい」事項として「世界の国々」が突出して高いという調査結果がある.輸入食料,国際交流など,「産業や現代社会」の項目等で日本との特定の「関わり」で断片的に世界の国や地域に触れる箇所は増えているが,子どもが「もっと学びたい」としたのは「世界の国」そのものではないか.中学校段階での世界の学習にも課題はある.1980年代以降,改訂のたびに社会科の中でも特に地理は,事例学習,調べ学習,主題学習と新たな方法が加わり,内容知から方法知への傾斜を強めてきた.とりわけ1998年改訂のいわゆる「ゆとり教育」の時期に教育現場に浸透した「地理は調べ学習」という指導スタイルは,定着したまま揺らがない.歴史的分野では世界の歴史が拡充方向にあるが,小学校で世界の地理的学習がない上に,1年に置かれた世界地理が州別の主題学習であるため,国単位,或いは地球規模での世界像の形成はむずかしい.公民的分野では国家間の連携や紛争などが出てくるが,それらの国に対する知識もイメージもないままでの課題の考察は,表層的で深まらない.高校で地理が必修化されたことから,中等教育における地理学習の観点からも検討を要する.世界や外国,環境に対する子どもの意識が変化している.「第一に考えるべき」は「世界全体よりも日本のこと」「地球環境よりも人間のこと」とする小・中学生の回答がここ20年で増加している.旅行先は海外より国内を好む傾向も強い.そもそも「行きたい国がない」とする小学生が5割を超え,その3分の2が理由に「興味がない」「特にない」と答えるデータもある. 子どもの内向き思考が強まっている.1989年改訂の方針には「国際理解教育の充実」が掲げられた.2002年には,日本が提唱してESDが始まった.2006年教育基本法改正で新設された「教育の目標」には,「他国を尊重し」,「国際社会の平和と発展」「環境の保全」に寄与する態度を養うことも掲げられた.内向き思考の背景に時代や社会をあげることはできるが,こうした施策に基づく教育は無力だったのか.学校教育で何が足りなかったのか.世界に関する断片的,トピック的な情報は日常に溢れているが,子どもにはきっかけ,働きかけが必要である.学校教育にはその役割がある.初等教育は「子どもがまず出合うべきことは何か」という教育の原点に立ち戻って内容を構成するべきではないか.地球が多様な自然環境と多種多様な動植物からなること.人類は,様々な環境のもとで多様な文化・生活を築いてきたこと.そして世界には幾つもの国があり,それぞれ個性をもつ対等な存在であること.これらの事実との出合いが,世界や外国についての共感的理解の土台を築き,持続可能な社会の担い手を育成する第一歩となろう.社会科地理は自然と人間との関わりの視座から,様々な教科等の学習過程で扱われる世界に関わる事象を空間的枠組みにおいて関連付け,地域的特色として再構成することができる.ローカルとグローバルとを併行して多元的に地域を理解する地理学習を積み重ねていくことが,世界像の形成,そして世界的視野の獲得につながるだろう.初等教育においては,社会科のなかでも地理がプラットフォームになり,他教科等との連携を図りながら進めていく越境型「世界の学習」カリキュラムを具体化していくことが望まれる.