Ⅰ 研究の背景と目的
都市計画における規制緩和は、とりわけ21世紀に入ってから大規模な都市再開発を促してきた。その例として、都市再生特別措置法(2002年)による「都市再生特別地区」があげられ、同地区では、既存の用途や指定容積率の制限等を適用除外とする大幅な規制緩和が認められた。既往研究ではこうしたネオリベラルな制度を背景とした人口の都心回帰や居住者属性の社会・空間的分極化、自治体の都市企業家的な関与の実態が議論されてきた。
しかし、これらの議論は主に東京都区部を対象としており、地方圏における分析は不十分である。さらなる研究展開として、地方圏の都市における緩和措置の運用や制約、それに関連する人口構造や共同住宅供給の変容を一体的に検討する必要がある。
本報告では、広島市中心部を対象に、2000年以降における規制緩和型都市計画の運用を跡づけるとともに、それに関連する人口増加や分譲マンション供給の地域的な傾向を明らかにする。広島市は従来都市計画を通して都心居住の推進を主導してきたが、近年は広域中心都市の中でも人口吸引力の低下が指摘される。本報告では、広島市を人口確保・誘導の取組や、関連する規制緩和制度の利用等の諸点に注目し得る一都市と捉え、検討する。
Ⅱ 規制緩和型都市計画の運用とその展開
2000年以前より、広島市は「広島市都心住居地域地区」や「都心コア住居地区」等の広域的地区計画により、容積率割増のインセンティブを通した都心居住を主導してきた。これらの素地を維持しつつも、2000年代には中心部におけるゾーニングの総合見直しが実施された点が特筆される。広島駅周辺や相生通りなどの交通結節点や都心及びその周辺を中心に用途・指定容積率の両面で大きく規制が緩和された。
こうした運用は2010年代に変化を迎えた。この間、総合見直しによる面的な規制緩和よりは、都市再生特別地区等の指定を伴う個別事業に対する規制緩和が注目される。特に、広島駅前に竣工した「シティタワー広島」(514戸、指定容積率上限1100%)は、長年地権者との調整が難航していたが、民間事業者の都市計画提案と行政による迅速な都市計画決定・変更を規定する都市再生特別地区の指定後は事業が迅速に進展した。同地区の指定による再開発事業物件は、その他にも広島駅周辺に2件竣工しており、国主導のネオリベラルな制度を通して都市機能の更新、さらには都心居住が効果的に促されたと考えられる。
一方、市へのインタビュー調査では、同地区の指定をめぐり、大規模再開発の継続性や大手不動産資本による都市計画提案の有無、都心居住機能の需給バランス等の面での不確実性も指摘される。これらの点に、地方圏の主要都市における規制緩和制度の運用とそれに伴う制約の実態が垣間見える。
Ⅲ 人口増加・分譲マンション供給の動向
広島市中心部の人口増減及び分譲マンションの販売戸数には、2000年代と2010年代で異なる傾向が確認される。2000年代には、上八丁堀・上幟町や大手町などの都心及びその周辺地区のほか、宇品西、高須台など辺縁部の地区でも40%以上の人口増加率を示す。分譲マンションはこの間250件以上の販売がなされ、業務用地や民間企業の社宅の放出に伴い、広く分譲マンションの販売が活発化した。
他方、2010年代では、都心及びその周辺において特に人口増加率が高い地区が集中する傾向にある。大型再開発事業が竣工した広島駅周辺の松原町や東白島町、都心南方面の中島町や加古町など、都心2km圏内を中心に人口及び11階建て以上の共同住宅世帯が優位に増加した。分譲マンションの販売件数は2000年代からは減少したが、都心及びその周辺への集中や一件あたり戸数の増加傾向が顕著になった。この背景として、中心部の地価上昇や業務用地・社宅用地の放出減のみならず、都市再生特別地区の指定や都心コア住居地区による容積率緩和物件の増加もあげられる。さらに、都心及びその周辺では、大手不動産資本の「メジャーセブン」による販売物件が大きく割合を高めた一方、章栄不動産等の地元不動産資本の割合は減少した。メジャーセブンの物件は規制緩和措置を受ける場合も多く、販売戸数も大きいため、求心的な人口増加の傾向に寄与したとみられる。
Ⅳ まとめ
広島市では、特に都市再生特別地区や都心コア住居地区の適用を一因に、規制緩和の時間的・地域的な相違を伴いながら、人口の中心部への流入が特に近年促されたと考えられる。一方、規制緩和型の都市計画を巡っては、適用可能性の大小や不動産資本による事業の継続性への懸念等に地方圏の都市の実態がみとめられる。今後は、その他の都市との比較を通して、規制緩和制度の運用と居住地域構造の変容との関連の一般性や含意をさらに検討することが課題である。