主催: 公益社団法人 日本地理学会
会議名: 2025年日本地理学会春季学術大会
開催日: 2025/03/19 - 2025/03/21
はじめに 本州中部では,八ヶ岳山麓に分布するチョウセンゴヨウ―落葉広葉樹混交林やヤエガワカンバ林,北関東などに分布する大陸部のモンゴリナラとよく似た形態であるフモトミズナラ林など氷期遺存林とみられるものが分布している.これらは,現在の北東アジアの大陸型落葉広葉樹林で主要な植生とよく似ている.大陸型落葉広葉樹林は,寒冷,乾燥な気候が卓越した最終氷期以前の日本列島に広く分布したものの,その後の気候変動により温暖,湿潤化する過程で分布域を狭めていき,現在のような氷期遺存林として残存するものになったと考えられている.近年では,北関東の丘陵地帯にみられるブナ林のように大陸型落葉広葉樹林とは相反する氷期遺存林も明らかになっている.
ところで,本州中部におけるヤエガワカンバ林の存在については,これまで八ヶ岳山麓周辺にのみ分布すると考えられてきた.しかし近年では,その分布は亜高山帯に至る地域から常緑広葉樹林帯に至る地域までの落葉広葉樹林帯全域に及んでいることや,極相林あるいは土地的極相林として潜在分布することが明らかになってきた.そこで本研究では,本州中部にみられるヤエガワカンバ林に着目して北東アジアの落葉広葉樹林としての地理分布について考察する.
本州中部におけるヤエガワカンバ林のデータ 山梨県乙女高原(標高1653-1670m),埼玉県外秩父山地蕨山(標高1025-1044m),高篠山(標高740-810m),栃木県那須地方(標高1160m)の4地域を用い,本州中部の垂直的,水平的な広がりを網羅できるようにした.乙女高原は林内に複数の成長段階の個体が共存する極相林,外秩父山地は蕨山の山頂平坦面や高篠山の地すべり地形において林冠ギャップの出現に依存する形で林分が形成される土地的極相林として分布している.那須地方については,単木的な個体群がみられることが知られている.外秩父山地蕨山と高篠山(一部),那須地方の林分については,比較的小規模な林冠ギャップに形成された小林分である.
調査方法 本研究では,既往の報告から大陸部の落葉広葉樹林において主要な木本構成種を抽出した.本州中部の4地域のヤエガワカンバ林の木本構成種については,大陸部との共通種(ごく近縁種を含む),4地域のうち複数地域で出現する樹種,日本固有種などのうち林分内の相対優占度10.0%以上となる樹種,それに日本列島の落葉広葉樹林において代表的な樹種となるブナとイヌブナを抽出した.
結果と考察 本州中部4地域のヤエガワカンバ林のうち,乙女高原に出現する樹種は,サワシバを欠くこと,わずかにブナが出現することなど多少の差異はみられるものの,林分の相対優占度のうち,80.0~98.4%がロシア沿海部との共通種であった.外秩父山地高篠山に出現する樹種は,51.3~83.1%がヤエガワカンバを含めた朝鮮半島北部あるいは南部との共通種であった.日本固有種などは,ミズメ,リョウブ,イヌブナなどの出現がみられた.外秩父山地蕨山と那須地方では,朝鮮半島北部あるいは南部との共通種が50.0%未満であった.
本州中部の高標高域の林分については,植物社会学的な手法による既往の研究でも共通性が高いことが明らかにされた.低標高域の林分について,朝鮮半島における林分の情報ではヤエガワカンバを欠いているが,これは本州中部と同様に土地的極相林として局所的な分布をしているためであると考えられる.これを考慮すれば,外秩父山地高篠山については朝鮮半島との共通種が多く,類似性の高い落葉広葉樹林であるといえる.また,低標高域の比較的小規模な林冠ギャップに成立している林分では,優占種となるブナやミズナラなどが侵入しにくい環境下で先駆種の一つとしてみられる.このような条件の林分であることから共通種が少ないと考えられる.しかし,ヤエガワカンバの小林分や単木としての分布は,北関東でも広く確認されており水平的にも広い.これらも氷期遺存林の一部であるとするなら,本州中部における最終氷期以前の落葉広葉樹林は従来考えられているものよりも複雑なものになる.