日本地理学会発表要旨集
2025年日本地理学会春季学術大会
セッションID: 634
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フェロー諸島の草屋根民家
*山口 隆子
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抄録

1.はじめに

 北欧には、屋根全体にシバを載せる伝統的木造家屋(以下、草屋根)がある。アイスランドの復元された草屋根は、2011年にユネスコの世界文化遺産暫定リストに“The Turf House Tradition”として登録されている。草屋根は、アイスランドの他、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドなどにもあり、各地の野外博物館で保存されているほか、フィヨルド沿岸部の集落や湖畔の別荘地などに見られることが多い。フェロー諸島(デンマーク自治領)では、首都トースハウンの中心市街地も含め、現在も多くの草屋根が存在し、住居として使用されるとともに、新しい草屋根も増えている。

 本研究では、なぜフェロー諸島でのみ、現在でも草屋根が維持されているのかについて明らかにすることを目的とする。

2.方法

 フェロー諸島の建築について、フェロー国立図書館にレファレンス調査を依頼した結果、3冊の草屋根に関する書籍が紹介された。1冊はフェロー図書館とイギリスの図書館のみの所蔵であり、入手困難であったため、『Det færøske hus i kulturhistorisk belysning』と『Færøsk arkitektur Architecture on the Faroe Islands』の2冊(前者はデンマーク語、後者はデンマーク語と英語併記)を入手し、翻訳を行い、2024年7月中旬に現地を訪問し、草屋根の確認、住民へのヒアリングを行った。

3.結果及び考察

 フェロー諸島は、人口54,648人(2024年11月現在)、公用語はフェロー語である。面積1,398㎢、火山島(玄武岩)で海岸線はほとんどが崖地である。気候は、年平均気温7.0℃、年降水量1,391㎜の西岸海洋性気候であり、曇りや雨が多く、年間降雨日数は260日であり、1日の中でも天気が変わりやすいことも特徴となっている。暖流のメキシコ湾海流が流れているため、高緯度(北緯62度付近)ではあるが、冬季は比較的温暖、夏季は月平均気温が11℃程度と冷涼である。

 フェロー諸島の植物は総数330種だが、植栽したものを除き、高・中木は見られず、草本類とわずかな低木(ヒース等)のみである。主な野生動物は、海鳥であり、春から夏にかけてコロニーを形成している。

 フェロー諸島には森林がないため、最古の時代には、住民は島独自の建築資材、つまり石と泥炭に少量の流木を加えて住居を形成していた。屋内と屋外の両方に石壁と土壁があり、芝生で覆われた屋根が最も一般的であった。

 木材が輸入されるようになり、外壁に木材を使用し、黒や茶色のコールタールが何度も塗り重ねられ、白い窓枠と屋根の芝生の緑は、周囲の風景の色調のリズムと調和し、芝屋根の重みとその下にある樺の樹皮が防水シェルターの役割を果たし、湿潤な気候において気密性を高めることに貢献していた。

 20世紀初頭頃に木製パネルを使用した大きな住宅に置き換えられ、後に波板に置き換えられた。さらに、木造住宅からコンクリート住宅へと変わり、1950年代終わりごろまでコンクリート住宅の建設は続き、その後、木材保存剤の開発により木造住宅が再び人気となった。

 首都トースハウンのティンガネス半島の先端に位置する旧市街は荒廃の一途をたどり、高層建築(7階)の建築許可が下りたことで、市民は旧市街で起きていることに気付き、トースハウン市議会とフェロー諸島政府は、1969年に旧市街の保存と更新計画を目的としたコンペを企画した。北欧諸国すべてから約50の提案が提出され、優勝した提案は地元の雰囲気を生かしたものであり、既存の建物を強調しながらも、独特の建築表現の余地を残す、新しい建築活動のための一連のガイドラインとなった。この時、町の中心部が野外博物館化しないことが最重要課題であったが、2024年現在も官庁や一般住宅として機能しており、その使命を果たしていることが確認できた。

 現在も草屋根にする理由については、フェローの人々のアイデンティティではないかと推測された。

 フェロー諸島は、地形的にも気候的にも高木が生育せず、島内全域が草地となっている。石と土と草しかない状況で住居を作るためには、必然的に草屋根にせざるを得なかった。しかし、21世紀の今日において、草屋根にする理由にはならない。

 フェロー諸島でヒアリングしたところ、皆、口をそろえて、「草屋根であることは普通」、「草屋根にするメリットもデメリットも感じない」といい、また、「草屋根は周りの景観に溶け込むのでよい」、「草屋根はフェローらしい」といった草屋根に肯定的な意見も多くあった。デンマークの自治領という微妙な立ち位置であり、「フェローらしさ」といった心のよりどころをどこかに求めているのではないかと推測された。

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