日本地理学会発表要旨集
2025年日本地理学会春季学術大会
セッションID: S602
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新潟県十日町市における雪を活用したイベント存続の地域的意義
*小島 大輔
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キーワード: イベント, まつり, , 松代, 十日町
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抄録

1.研究目的

 本研究では,新潟県十日町市旧十日町市における現代雪まつり「十日町雪まつり」および同旧松代町における雪上レース「のっとれ!松代城」の二つの事例について,その成立・展開過程を検討し,イベント存続の地域的意義を考察することを目的とする。

2.「十日町雪まつり」の成立・展開過程

 第1回の雪まつりは,「雪国の生活を明るくする運動」として町の文化協会により発案され,1950年に雪像制作,雪具供養,仮装民踊,スキー駅伝などで構成されたレクリエーション・イベントとして開催された。第8回(1957年)より,地域の特産品である織物組合の青年部が「雪上カーニバル」を開始し,以降第69回まで十日町の織物の宣伝や,全国的な集客の役割を果たし,地域の主要なイベントとしてメイン会場の大規模化や企画の多様化が進んでいった。

 他方,第1回から継続する「雪の芸術展」は,地域住民が制作した雪像を作品とした芸術展であり,開始当初から審査が実施されている雪像の芸術性を競う特徴的な企画である。雪まつりの焦点が「雪上カーニバル」に移り雪像制作団体が減少した際は,第17回(1966年)より学童部門を設置して住民参加の促進を図るなど,雪まつりと地域住民を結びつける企画として機能してきた。第25回(1974年)以降は,昭和の大合併以前の十日町の行政域外へも雪像制作団体が広がり,メイン会場以外にも旧十日町市域各所に地区会場が開設されるようになる。現在,雪像は各地区会場内に設置するよう実行委員会より協力が求められ,地区会場の重要な構成要素となっている。実行委員会が編成したメンバーが行う「着想」,「技術」,「努力」の観点からの審査は雪まつりの開会前夜に実施され,雪まつり当日来場者は掲示された審査結果とあわせて雪像を見学する。  

 「雪の芸術展」は,芸術作品としての審査を目的とした「芸術部門」,鑑賞のみを目的とした「特別部門」,児童・生徒により制作される「学童部門」で実施されている。開始当初の趣旨が続く「芸術部門」には,旧十日町市内の様々な地域に関連した団体(自治会や部会など)が多く参加している。構想から完成まで約2カ月が費やされる雪像制作においては,他の地域の団体よりも良い作品を制作してより上位を目指そうとする「対抗関係」によってその意義が生み出される。その結果,制作期間中,それぞれの制作団体に関連する地域住民から制作団体に対して陣中見舞いとしての支援がなされる。他方,「特別部門」では,雪像制作への参加継続そのものに意義を示す団体などがあり,多様な動機からのイベント参加も担保されている。

3.「のっとれ!松代城」の成立・展開過程

 「のっとれ!松代城」は,松代総合体育館グラウンドから城山山頂に至る総距離2~3km,高低差約100mの雪で作られた障害物コースを走破した着順を競う雪上レースである。これは,59豪雪を経た1980年代半ば過ぎ,豪雪を嘆くのではなく全国屈指の豪雪地として雪国をアピールする必要性が叫ばれたことを端緒とする。すでに後発の雪活用イベントであったため,独自性の高さを志向して創出された。このレースは,毎年3月中旬に2日間開催されるイベント「越後まつだい冬の陣」のメイン企画として実施され,両日合わせて2万人の来客を迎える松代地域最大のイベントとして30年以上継続している。

 開始当初の数年の試行的時期は「戦国」というテーマはまだ一貫しておらず,イベントの副題も近隣自治体で盛況を博していたイベントを意識して「雪まつり」とされていた。そのため,参加者の多くは地域住民であった。しかし,参加費を有料化して賞品などが設けられると,集客数が確保された発展的時期に入る。この時期,参加定員は倍増し,コースは複雑化し,観客も3倍増するなどイベント規模が拡大し,レースではイベントのテーマである「戦国」が定着し集客は安定化していった。この間,実行委員会を「幕府」と称して地域全体を巻き込んだ組織化が図られ,文化活動の発表会,集落対抗の競技会,他地域との交流活動などが付加された。このように,「越後まつだい冬の陣」は「のっとれ!松代城」を中核として,それまでの地域が持っていた機能や諸行事を「置き換え」る様々な機能を持つ地域のイベントに変容していった。

付記:本研究はJSPS科研費23K21815の助成を受けたものである。

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