1.はじめに
都市においてゲイビジネスやレズビアンビジネスの集中がみられる地区は同性愛地区(gay district)と呼ばれる.今日の同性愛と都市をめぐる議論においては,同性愛地区がいかなる要因によって存続するか,あるいはしないかに焦点が当てられている.その点で,2020年代前半に世界的に発生した新型コロナウイルス感染拡大は,バーやクラブを中心とするゲイビジネスやレズビアンビジネスの経営,ひいては同性愛地区の存続を脅かす事象であったと考えられる.各国が同ウイルスの感染対策に苦慮するなか,台湾については特に2020年の感染対策が成功したと評価されている.
そこで,本研究では台湾最大の都市である台北市を対象として,コロナ禍においてゲイビジネスおよびレズビアンビジネスがいかに経営を維持させたのかを明らかにすることを目的とする.対象地域である台北市において,ゲイビジネスが集中するのは西門紅楼広場周辺および林森北路地区である.両者はどちらも繁華街的な性格を有しており,西門紅楼広場が位置する西門町は若年層向けの商業施設が建ち並ぶ観光地にもなっている.本研究では,衛生福利部疾病管制署のウェブサイトにて公開された行政の感染拡大防止に関する政策の内容を収集した.加えて,台北市内のゲイビジネスおよびレズビアンビジネス経営者に対し,コロナ禍前後の店舗経営についてインタビュー調査を行った.
2.行政による規制と支援
台湾では2021年5月に感染者が急激に増加したことを受けて,台湾政府は5月11日に全国を対象に警戒レベル2を,同月15日には台北市・新北市のみに警戒レベル3を発令し,同月19日には警戒レベル3の対象地域を全国に拡大させた.レベル3の下では飲食店での店内飲食が禁止され,テイクアウトのみが許可された.また,娯楽施設は閉鎖された.台湾のこれらの措置は拘束力を持つ規制であり,日本の「要請」とは異なる.これらの措置は7月27日に警戒レベルが2に引き下がるまで続いた.ただし,バーやクラブは警戒レベル2の引き下げ以降も感染拡大の恐れがある施設として営業停止が継続された.規制が継続する中で厳しい経営状況にある飲食店や娯楽施設に対して,2021年6月に経済部は正規雇用の社員一人当たり4万台湾ドル(約19万円)の支援金支給を開始した.ただし,台湾政府からの支援金は限定的であり,アルバイト従業員はこの支援金の対象外であった.
3.経営戦略
金銭面においては,政府の支援金を活用するほか,一部の経営者は大家と交渉しテナント料を減額させていた.また,ゲイビジネスが集中している西門紅楼広場は政府所有の土地であるためテナント料が比較的安く,このことは経営者の金銭的な負担を軽減させた.ただし,政府の支援金が十分ではなかったと感じる一部の経営者は,アルバイトを含めた従業員への給与を自費で負担せざるを得なかった.金銭面以外では,経営者同士の情報共有があげられた.ゲイビジネスおよびレズビアンビジネスを中心とする組織がない台北では,主に個人間のつながりに依存して政府からの支援や営業に関する情報を共有していた.また,顧客との継続的なつながりを維持するため,営業停止期間にオンラインツールを用いてライブ配信を行う経営者もいた.
4.考察
ゲイビジネスやレズビアンビジネスにおける経営戦略は自助的な側面が強い.その背景には,政府からの金銭的な支援が限定的であったことも関係している.ただし,政府所有地にゲイビジネスが集中していることは偶発的ではあるにせよ,店舗の存続にとって有利に働いている.