日本地理学会発表要旨集
2025年日本地理学会春季学術大会
セッションID: S102
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地質学と地理学のはざまで
地図コレクターとしてのJ. W. v.ゲーテと山崎直方
*石原 あえか
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抄録

近代地理学は19世紀ドイツが発祥とされ、創始者としては南米探検で有名なA. v. フンボルト(1769-1859)と1820年にベルリン大学初代地理学教授に就任したC. リッター(1779-1859)の2名が挙げられる。それ以前の地理学は、現在の地質学の前身で、地球の成り立ちを論じる「地球生成学 Geognosie」の一分野にすぎなかった。言い換えれば、19世紀前半に「地質学」から「地理学」が分離・独立するのだが、この背景には、これまで素朴な〈絵図〉として描かれていた世界が、主に軍事的・政治的必要性から18世紀以降実施された測量や地図作製技術の発達により、正確な〈地図〉として表現され、記録・共有可能になったことが影響している。

 さて、日本では詩人としてのみ扱われることが多いJ. W. v. ゲーテ(1749-1832)は、ヴァイマル公国の高級官僚であり、自然研究者でもあった。もっとも実践的で独立した学問としてドイツの諸大学に地理学教室が設置されるのは1870年代であるため、ゲーテのレオポルディーナ版『自然科学論文集』に「地理学」の独立項目はなく、キーワードとしても機能しない。しかし地理学誕生前夜の「地球生成学」をめぐる動向は、A. v. フンボルトとの長い交友関係はもとより、ヴァイマルのゲーテ国立博物館(GNM)所蔵のゲーテ個人コレクションからうかがい知れる。後に山崎が「氷河果たして本邦に存在せざりしか」と問うた氷河理論の黎明期にゲーテが関与していたことも見過ごせない。

 しかもゲーテは、1814/15年の故郷フランクフルト再訪を機に、同地の医師J. Ch. ゼンケンベルク(1707-1772)に因む自然研究者協会の創立メンバーになり、現在のゼンケンベルク自然博物館設立にも貢献した。それから約40年後、1868年に同協会会長となり、1873年にプロイセン政府の要請で来日し、日本の産業と工芸品調査を行った地質学者が、白山市桑島で日本初の植物化石を発見した J. J. ライン(1835-1918)である。彼は帰国後、マールブルクを経て、ボン大学教授に就任するが、このラインに師事したのが他ならぬ山崎直方(1870‐1929)であった。ちなみにラインの死後、ライプツィヒで競売に出された蔵書購入に山崎が尽力した結果、1925年以降、東京大学附属図書館(本郷・総合図書館)は「ライン文庫」を所蔵する。他方、山崎個人の地図コレクションには18-19世紀、すなわちゲーテが生きた時代と重なる世界地図・日本国内の地図なども多く含まれている。

 本発表では、地球の成り立ちの議論が現在の「地質学 Geologie」に変容する過程で、そこから分岐し、18世紀ドイツで近代的な「地理学 Geographie」が確立し、日本へ移入・定着する流れを、ゲーテと山崎、両名の個人コレクションを使って明らかにしたい。

 なお、本発表は2023年度採択の日本学術振興会科学研究費助成事業・基盤研究(B) 「ドイツ近代地理学の成立と日本への定着 ゲーテ、ライン、山崎の個人所蔵資料研究」(研究代表者・石原、課題番号23H00597/23K25294)による成果の一部である。

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