抄録
大正時代の糸偏の産業には、女性工場労働者の存在は非常に大きな意味を持っている。特に愛知県尾西市は、日本でも有数の織物産業の一大拠点であった。そのため工場法が実施された大正5年の時点で、労働者の健康の基礎となる食に関しての調査が実施されている。本研究で中心に扱ってきた資料は、愛知県工場會が行なった調査の基礎資料の一部であったことが、明らかになった。現存する資料としては唯一の資料である。さらに尾西市が織物城下町の様相を呈していた関係から、地域が一帯となって共同炊事場を経営することになっていく。この共同炊事場が初期の栄養学に果たした役割と、工場法による制度上の観点から考察していく。