抄録
【目的】さつまいもは、本県が全国一の生産地で、青果用、加工用、工業用原料として利用されている。食材も多様化し、地域性が次第に失われつつあるが、食材として、でんぷん以外のミネラル、ビタミン等の優れた栄養機能性もあり、郷土の食文化の原点でもあるこのさつまいもの変遷とその活用を検討する。【方法】鹿児島県農政部及び農業試験場、著者からの聞き取り調査による資料収集、さらに文献(歴史書、専門書、石碑)や生産現地調査を行った。【結果】さつまいもの原産地は中南米で、伝播ルートの有力な説は、(1)クマラ・ルート(2)バタタ・ルート(3)カモテ・ルートである。(1)では紀元前1000年頃から十数世紀に及ぶ伝播であるのに対し、(2)(3)は、1492年コロンブスの新大陸の発見以降であり、急速に伝わっている。日本への伝播は、中国から琉球へ伝えられており、鹿児島へは、1611年、薩摩藩主島津家久が琉球出兵した時、将兵が持ち帰ったのが最初で、1698年種子島の島主久基は琉球王の尚貞王から送られた甘薯を基に栽培を普及した。のちに、久基は、島津の家老となり、農政担当として薩摩全域に広めた。1705年山川の漁師前田利右衛門が琉球より持ち帰り、伝授した説もある。さつまいもは、嗜好品として伝来したが、享保、天明、天保の飢饉の際、救荒作物として農民の飢えを凌いだ功績が大きく、その真価が評価され、全国へ普及した。本県では、庶民の常食から、代用、補給食へと変化し、最近では、多種多様な工業用原料として利用され、一方では、嗜好品としても見直され、青果用も伸びている。