抄録
日本人は縄文時代まで盛んに肉食をしていたが、約2500年前の弥生時代に稲作農耕が始まり、ご飯(主食)とおかず(副食)という食文化が確立し、さらに古代、奈良時代に仏教に帰依して以来、殺生・肉食を忌避し、動物性タンパク質をもっぱら魚介類にたよるようになったが、幕末〜明治になって西洋文化の受容により、肉食に親しむようになったと考えられてきた。私自身も奈良文化財研究所に勤務し、歴史時代の遺跡出土の牛馬骨の報告をはじめたころ、そのように思い込み、散乱してバラバラで出土する動物の骨を肉食伝統の証拠とは結びつけて考えなかった。しかし近年、大規模な国土開発、特に新幹線や高速道路網の建設により、建設予定地の周囲に鋼矢板を打ち込んで、深く長いトレンチを発掘することが可能になったおかげで、地下水に浸され、酸素から遮断されて保存された動植物性の遺物が、全国各地、各時代の遺跡から出土するようになった。そうした動植物性の遺物は、土坑、濠や溝、河川跡など湿地状態から出土することが多く、そこには各時代の台所ゴミも含まれ、その中には食用となったことが明瞭な刃物痕をもつ魚類、鳥類、哺乳類の骨が多く含まれ、いつの時代でも、日本列島に居住した人々は、貴重な動物性タンパク質を無駄にしてこなかったことが明らかになった。実際、牛馬の骨の出土状態は、解剖学的な位置関係を保ったまま埋葬された例は皆無で、ほとんど全ての出土例は皮や肉が取り去られ、頭蓋、胴部、四肢が解体、廃棄され、その結果、溝・河川、土坑から各部位の骨が散乱状態で出土することが明瞭になった。
私自身は学生時代に関東や東北に多い縄文時代の貝塚を専門とし、奈良に勤務してからは西日本に多い弥生時代の集落をめぐる環濠、古代〜中近世の貴族、武士の邸宅や都市住民の台所のごみ捨て場から出土する動物骨を一つ一つ調べ、その動物の骨の種類や部位を同定し、報告書の執筆を重ねてきた。また環境考古学の研究として、湿地に残されたトイレ土坑の土壌を水で溶かして浮遊する種子や昆虫をすくい取るフローテーション法により、消化されずに排泄された種子や花粉、魚骨、糞虫の存在を明らかにし、さらに土壌を遠心分離や薬品処理によってプレパラートを作成し、高倍率による顕微鏡観察を行って、寄生虫卵、食用あるいは薬用となった花粉などの研究手法を開発し、古来、日本人がコイ・フナ類、アユ、サワガニなどを生食か、充分に加熱しないまま摂食し、それぞれ特有の寄生虫の宿主となっていたことや、薬効成分のある生薬を服用していたことも証明した。
今回は自分自身が中心となって30年以上、すすめてきた動物考古学や環境考古学の成果をもとに、従来の文字記録を中心とした、日本人の「肉食を忌避した食文化史」が、「神国日本」といった類の神話であったことを明らかにし、新たに明らかにすることができた食文化史について紹介したい。