2020 年 8 巻 p. 86-96
リスティング広告等のインターネット上のプラットフォームの機能は、個人の選好に従い見聞きする情報を限定させることで、「ビッグデータによる公共圏の断片化」を招いていると指摘されている。この見解によれば、適切なデータの取扱いは人格的発展、ひいては(熟議)民主主義に貢献し、データ保護は表現の自由と共通の憲法上の価値に資するところ、「ビッグデータによる公共圏の断片化」は、「多様な意見を見聞きする人格的に自律した人間」を毀損する。 この見解に対して本稿は、公共圏形成主体の哲学的理解の変遷を辿り、この人間像が民主主義にのみ存在するフィクションではないかとの疑問を呈し、公共圏の形成主体がプラットフォームを通じて新たに獲得したのは「単独・即時の発信可能性」という特徴に留まると結論付ける。この結論から、「公共圏の断片化回避のために、ビッグデータの運用を市場原理から引き離すことは適切か」という問いが導かれる。