抄録
アメリカ合衆国の芸術家・写真家・批評家のマーサ・ロスラー(1943-)の1960年代後半から1970年代の時期の作品は、同時代のコンセプチュアル・アートや自伝を構成要素とするタイプのフェミニズム・アートと異なる実践であることが指摘されてきた。しかし、先行研究においてはなぜ彼女がコンセプチュアル・アートや自伝的アプローチをとるタイプのフェミニスト・アートと重ならない作品を創ることができたのか、その理由が十分に説明されることはほとんどない。本論は、ロスラーの作品と政治的立場の特殊性を、彼女の社会主義フェミニズムの思想を精査することによって明らかにしようと試みる。ロスラーは1960年代後半から社会主義フェミニズムの団体に所属し活動していたが、この運動の思想が芸術家に与えた影響もまた詳細には論じられてこなかった。これは、社会主義フェミニズムの運動と思想そのものが1980年代以後の合衆国におけるフェミニズムの歴史記述のなかで忘却されてきたことと関係していると思われる。本論では、1970年代当時の社会主義フェミニズムの歴史と思想を掘り起こしながら、その思想を基盤に書かれたロスラーの芸術理論を当時の芸術と社会運動の文脈に照らして再読する。これにより本論前半部ではロスラーの実践の基礎となるフェミニズム的思想を浮き彫りにするが、この作業によって、彼女の考えは近年理論化が進められている「社会的再生産論」の主張と連続するものとして現れてくる。本論は、この社会的再生産論を経由してロスラーの政治的立場を理解することで、これまで「アイデンティティ・ポリティクス」的側面や「マルクス主義」的側面としてばらばらに対立し合うと捉えられることのあったロスラー作品における諸要素が、実際には資本一般に対する再生産の領域からの批判として統合的に解釈しうることを明らかにする。