年報カルチュラル・スタディーズ
Online ISSN : 2434-6268
Print ISSN : 2187-9222
「文化戦争」と芸術の自由
登 久希子
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2017 年 5 巻 p. 119-

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抄録

1980 年代後半から1990 年代にかけて、文化の多様性が顕在化するアメリカにおいて「ア メリカ的」価値観を巡る社会的かつ政治的な対立としての「文化戦争(Culture Wars)」が激 化した。本稿はそこでいかなる芸術の自由が求められたのか、そして特定の作品を巡って 何が実際に争われていたのかを考察するものである。芸術分野における文化戦争の発端は 一般的にアンドレ・セラーノとロバート・メイプルソープの作品にさかのぼる。当時、ア メリカの国立機関である全米芸術基金(NEA)は存続の危機にあった。その撤廃を目論む 共和党保守派の政治家たちは宗教右派団体による「冒涜的」な作品の批判を利用し、それ らの作品を支援するNEA を攻撃した。 本稿では文化戦争において保守派の批判を受けた作品について、多様な性的アイデンテ ィティの表象だけではなく、資本主義経済における「もの」の分類が問題となっていた点 を明らかにする。そこで求められる芸術の自由は、ものの存在のあり方にも関わる。まず 第1 節において、メイプルソープの展覧会取りやめとそれに対する抗議行動でみられたふ たつの芸術の自由の言説について考察し、一方が芸術という自律した領域を前提とするも のであり、もう一方は社会に根ざした一市民としてアーティストが持つべき表現の自由を 前提としていた点を確認する。つづいて、セクシュアリティや暴力をテーマにしたパフォ ーマンス・アートを手がけてきたカレン・フィンリーの事例において、個人による表現の 自由の言説がより強調されていく様を追い、フィンリーが公的助成金と芸術の「自由」を どのように関係づけていたのかを確認する。文化戦争において争われた芸術の自由とは主 体の権利としてだけではなく資本主義経済における「もの」の分類をめぐって展開された のだ。

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© 2017 カルチュラル・スタディーズ学会
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