年報カルチュラル・スタディーズ
Online ISSN : 2434-6268
Print ISSN : 2187-9222
5 巻
選択された号の論文の10件中1~10を表示しています
  • 有元 健
    2017 年 5 巻 p. 3-
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/10/09
    ジャーナル フリー
  • 21世紀はどんな時代か
    吉見 俊哉
    2017 年 5 巻 p. 5-
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/10/09
    ジャーナル フリー
  • 政権発足から最初の100日間
    コンドリー イアン, 栗栖 由喜
    2017 年 5 巻 p. 25-
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/10/09
    ジャーナル フリー
  • 戦間期日本における新マルサス主義
    李 秀珍
    2017 年 5 巻 p. 37-
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/10/09
    ジャーナル フリー
    本稿は、戦間期日本内地における新マルサス主義者の「人口問題」をめぐる言説を分析 する試みである。日本内地では1910 年代末頃から悪化した経済や急激な人口増加を背景に、 人口を政治・経済的な問題として規定し、その解決策を模索する議論が社会改良主義者や 知識人を中心として広がっていた。本稿では、日本で初めて産児調節(産児制限)を提唱 した「日本産児調節研究会」(1922 年5 月発足)と新マルサス主義運動を先導した石本静枝 (加藤シヅエ, 1897-2001)や安部磯雄(1865-1949)の議論に注目し、戦間期日本で展開され た新マルサス主義の人口問題をめぐる言説構成を検討する。特に本稿では、新マルサス主義者の優生学に対する認識は彼らが人口を量と質の問題として規定する言説構成にどのよ うな影響を与えたのか、また、当時内地の人口を問題化した新マルサス主義の言説はいか なる帝国主義的要素を内包していたのか、という「優生学」と「帝国主義」に関する二つ の問題に着目し、政治史及び思想史の視点から戦間期日本における産児調節運動の言説構 造やその歴史的意義を再考察する。
  • Arthur C. Clarke, Childhood’s End、三島由紀夫『美しい星』、 冷戦期反ユートピア主義
    宮永 隆一朗
    2017 年 5 巻 p. 59-
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/10/09
    ジャーナル フリー
    本稿はアーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』(1954) と三島由紀夫『美しい星』(1962)の比較分析を通じて、リベラリズムのイデオロギーによって囲い込まれた私たちのユートピア的想像力の限界とその外部の可能性を省察する。50年代SFを代表する『幼年期の終わり』とそれに対する応答として書かれた『美しい星』は、共にユートピアに対する強い懐疑を特徴とする。本稿は両作品が共有する反ユートピア主義を、自らを脱イデオロギー的なものであると提示する冷戦期リベラリズムの文化的・心理学的ロジックの現れであると位置づけ、これを同時代の文化社会批評、知識人/大衆という感情構造、心理学、第三世界言説、SF作品の文学化=心理学化という複数の領域の絡み合いから分析する。『幼年期の終わり』においては、冷戦反ユートピア主義はリベラルで安全な反植民地主義として現れる。だが実のところ、植民地主義を構造的搾取ではなく文化の問題に還元することで批判する本書は、アメリカを第三世界が真似すべき健全な成長を遂げた兄と表象するようなリベラルな第三世界言説と共犯関係を取り結んでおり、その意味でリベラリズムのイデオロギーを規範化しその外部の可能性を否定するものである。『美しい星』においてもユートピアの可能性はナラティヴの二重性というテキストの形式によってアイロニー化される。しかしテキストは同時に、「七北田村」という執筆当時既に存在していない地名を用いることで、近代における内的衝突の場としての入会闘争の歴史性を不在の形で刻み込む。これによりテキストは、アメリカによる戦後日本の地政学的再配置を批判すると同時に、私たちが辿った近代化の道のりの内的な裂け目を衝突の形でテキストに差し込み、ある種の未来へと拓かれた「歴史」を私たちに提示する。
  • L. マスターマンのメディア教育論との比較から
    時津 啓
    2017 年 5 巻 p. 79-
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/10/09
    ジャーナル フリー
    本稿は、メディアと生徒の関係に注目し、バッキンガムが抑圧/自律の二元論をいかに構成し、それが学校教育論としていかに応用されていったのかを検討した。さらに、バッキンガムの展開から二元論が有する両義性を明示し、その学校教育論としての可能性を考察した。バッキンガムは、マスメディアのイデオロギー性(メディアの特性論)をめぐってマスターマンと論争を行い、メディアの特性と子どもへの影響を結びつける。そしてメディアと生徒の関係を抑圧/自律の二元論で捉える。その後この二元論は、授業実践における教師の役割と結びつけられ、マスターマンを批判するために利用された。さらには、メディア批判の教育論/メディア制作の教育論、読むこと/書くこと、受動的知識/能動的知識などの教育方法論へも応用され、新たな二元論を生み出すことになった。デューイやイリイチとも連続性を有するこの二元論を、本稿は、同時代の社会状況、とりわけメディア教育のカリキュラム化(制度化)と照らし合わせた。 バッキンガムとマスターマンの理論展開に注目すると、両者はメディア教育のカリキュラム化(制度化)内部でメディアと生徒の関係を捉えるようになる。具体的には、抑圧/自律の両義性を強調するようになる。本稿は、この展開からマスターマン(「解放の教育学」)とバッキンガム(「参加の教育学」)の学校教育論としての妥当性を検討し、次のことを明示した。マスターマンの試みは抑圧関係を前提とする「解放の教育学」のため、抑圧/自律の両義性と矛盾する。それに対してバッキンガムの試みは、生徒が授業参加を通して身体レベル、物質レベルにおいて漸進的にメディアとの関係を構築していく可能性がある。本稿は、制度と「知」の関係を模索するメディア教育学者バッキンガムの理論展開から、「解放の教育学」から「参加の教育学」への転換の必要性を明らかにした。
  • ポスト文革期の前衛芸術グループ「星星画会」を事例に
    陳 海茵
    2017 年 5 巻 p. 97-
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/10/09
    ジャーナル フリー
    本論文は、毛沢東時代の終焉と改革開放という決定的な政治的社会的転換期1970 年代の 中国現代アートを対象に、それが「政治当局に抵抗する芸術」あるいは「欧米の後を追う芸術」 という立場をアプリオリの前提にするのではなく、(1)作品創作、(2)展示活動、(3)語り、 といった個別具体的な場面で、「政治」、「社会」、「芸術」の間にどのようなせめぎ合いが行 われたのかについて考察する。ここで念頭に置かれるのは、西欧社会の文脈から発展して きた「社会を志向する芸術実践」やアート・アクティビズムの動向である。共産圏国家に おいてアートがいかなる意味とやり方で連帯を創出しうるのかについて明らかにし、中国 現代アートの一事例をグローバルな同時代性の中に接続することを試みる。 ここでは事例として文革直後に結成された「星星画会」というアマチュア芸術家集団を 取り上げる。彼らは政府に無許可で展覧会を開き、その活動は最終的には「政治の民主化」 や「芸術の自由化」を求めるデモへと発展した。「星星画会」の芸術家たちは独自のやり方 で自分たちの正当性を主張した。一つには、民主化運動の拠点だった「民主の壁」を始め とする公共空間を展示空間に作り変えることで排除ではなく包摂の政治を要求した。また、 政府御用の芸術が持つ「技術」や「伝統」に対して、現代アートにおける「思想」と「現 代性」を指摘し、「自己表現」というプライベートな領域を開くための概念を強調すること で、それまで社会に奉仕するための道具でしかなかった社会主義的な「個体」を脱構築した。 ここでは近代個人主義ではなく、自由、民主、多様性といった反・文革的な文脈性やメッ セージ性のもとで「自己」を捉え直すことへと注意を向けさせようとしていたのである。
  • 登 久希子
    2017 年 5 巻 p. 119-
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/10/09
    ジャーナル フリー
    1980 年代後半から1990 年代にかけて、文化の多様性が顕在化するアメリカにおいて「ア メリカ的」価値観を巡る社会的かつ政治的な対立としての「文化戦争(Culture Wars)」が激 化した。本稿はそこでいかなる芸術の自由が求められたのか、そして特定の作品を巡って 何が実際に争われていたのかを考察するものである。芸術分野における文化戦争の発端は 一般的にアンドレ・セラーノとロバート・メイプルソープの作品にさかのぼる。当時、ア メリカの国立機関である全米芸術基金(NEA)は存続の危機にあった。その撤廃を目論む 共和党保守派の政治家たちは宗教右派団体による「冒涜的」な作品の批判を利用し、それ らの作品を支援するNEA を攻撃した。 本稿では文化戦争において保守派の批判を受けた作品について、多様な性的アイデンテ ィティの表象だけではなく、資本主義経済における「もの」の分類が問題となっていた点 を明らかにする。そこで求められる芸術の自由は、ものの存在のあり方にも関わる。まず 第1 節において、メイプルソープの展覧会取りやめとそれに対する抗議行動でみられたふ たつの芸術の自由の言説について考察し、一方が芸術という自律した領域を前提とするも のであり、もう一方は社会に根ざした一市民としてアーティストが持つべき表現の自由を 前提としていた点を確認する。つづいて、セクシュアリティや暴力をテーマにしたパフォ ーマンス・アートを手がけてきたカレン・フィンリーの事例において、個人による表現の 自由の言説がより強調されていく様を追い、フィンリーが公的助成金と芸術の「自由」を どのように関係づけていたのかを確認する。文化戦争において争われた芸術の自由とは主 体の権利としてだけではなく資本主義経済における「もの」の分類をめぐって展開された のだ。
  • 「在日朝鮮美術会」を中心に
    白 凛
    2017 年 5 巻 p. 137-
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/10/09
    ジャーナル フリー
    本稿は50 年代の在日朝鮮人美術家の活動の背景に焦点をあて、彼らの美術作品やグルー プがいかなるものであったかを明らかにするものである。特に在日朝鮮人美術家が組織し た初めての本格的なグループである「在日朝鮮美術会」に着目した。冒頭では、これにつ いてこれまで直接的に論じたものがなく本稿で初めて扱うことになるため二つの留意点を 述べたうえで本稿の目的を述べた。第一章では調査状況について述べた。第一節では美術 作品の調査について美術館や博物館、個人蔵のものも含めこれらの管理状況に触れた。第 二節ではこれまでに発掘した一次史料、第三節では聞き取り調査について、それぞれ本稿 で扱う史料を中心に簡潔に述べた。中心となる第二章では1950 年代の彼らの活動について いくつかの事例を挙げて論じた。第一節では美術家たちが個別の経験を積んでいた1940 年 代終盤から1953 年までの活動を整理した。第二節では在日朝鮮美術会の結成を後押しした 金昌徳を中心とした美術家たちの活動について述べた。第三節では彼らの表現方法につい て白玲の制作を中心に論じ、続く第四節では彼らのテーマ制作について一次史料をもとに 分析した。50 年代の彼らの作品は、いかに描くべきか、何を描くべきかについての模索の 末に生まれたことを明らかにした。第三章では、彼らの作品の発表の場と反響について述 べた。第一節では「日本アンデパンダン展」、第二節では「日朝友好展」、第三節では「連立展」 を取り上げた。最終章では、本稿でとりあげた在日朝鮮人美術家が、植民地や戦争に人生 を翻弄されたという共通の境遇と、解放民族として堂々と生き表現したいという共通の希 求を持っており、朝鮮人美術家としていかに生き表現するかについての答えを共に模索す る美術家が必要であった点を明らかにし、ここに集団の必然性があると結論付けた。最後 に今後の課題を提示した。
  • SNSを介した「出会い」の場を事例に
    ケイン 樹里安
    2017 年 5 巻 p. 163-
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/10/09
    ジャーナル フリー
    近年、着実に多文化社会へと移行しつつある日本社会において、「ハーフ」と呼ばれる 人々への社会的関心が増大している。呼応するように、特定のルーツおよびルートをもつ 「ハーフ」が直面する諸問題や支配的なメディア表象の変遷に着目した研究が登場しつつあ る。だが、いずれも端緒についたばかりであり、より経験的な水準で、「ハーフ」が直面す る問題状況やメディア表象と関係を切り結ぶ日常的な実践に照準した研究が求められてい る。そこで、本稿では、すぐれて現代的な現象であるSNS を介した「ハーフ」たちの「出 会い」の場に着目し、多様なルーツ/ルートをもつ「ハーフ」たちが織り上げる相互行為 秩序の様態に迫ることで、上述の課題に部分的に応えることを目的とする。具体的には、 SNS を介した「出会い」の場において、しばしば見受けられる「生きづらさ」を「笑い飛ばす」 実践とその実践をめぐって生起する成員の序列化と排除という出来事を中心的に取り上げ、 M. セルトーの「技芸をなすことArt de Faire」概念を手がかりとして考察を行う。一見する と、相互行為秩序の規範をめぐる普遍的な出来事であり、いかにも現代的な若者文化らし い特徴を備えた振る舞いだとして素朴に解釈され、見過ごされかねないほどきわめて「平凡」 な振る舞いが、実際にはマイノリティの社会的身体に密接に関連した緊張をはらんだ技芸 にほかならないことを示す。現代日本社会において生起する多文化状況における、コンヴィ ヴィアリティのありようを批判的に探索するためには、マイノリティの技芸とそれがもた らす序列化と排除の機制に照準した経験的研究の蓄積が必要であることを、本稿を通して 示唆したい。
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