人類學雜誌
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頭骨の非計測的小変異からみた日本のポピュレーション•ヒストリー
百々 幸雄石田 肇
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1990 年 98 巻 3 号 p. 269-287

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抄録

縄文人171例,土井ヶ浜を主体とする渡来系弥生人153例,古墳時代人276例,鎌倉時代人220例,室町時代人124例,江戸時代人194例,現代日本人180例および北海道アイヌ187例の頭骨につき,22項目(ただし江戸時代人については20項目)の形態小変異の出現頻度が調査された(表1,表2).これら8グループの資料の出自は,弥生人を除いてすべて東日本である.
まず,鎌倉時代人,室町時代人,江戸時代人,および現代日本人について,形態小変異の出現頻度を比較したが X2検定で有意差が検出されたのは,22項目中わずか2項目においてであった.このことから,頭骨の形態小変異の出現頻度は,骨格の計測的特徴と異なり,日本の歴史時代を通じてほとんど不変であったことが明らかにされた.
次に,20項目の出現頻度に基づいてスミスの平均距離を算出したが,古墳時代から現代にいたるまでの日本人グループ間の距離はいつれも小さく,有意でないものがほとんどであった(表3).したがって,これら日本人グループは単一集団に属すると見なされた.これに対して,縄文人および北海道アイヌと上記の日本人グループとの距離はいづれも明らかに有意であった.
さらに,スミスの距離に対してクラスター分析と主座標分析を行なってみたが,その結果,調査した8グループは大きく2つのクラスターに分割された.すなわち,縄文•アイヌ群と弥生•古墳•歴史時代日本人群とである(図2,図3).後者のクラスター内では,古墳時代から現代までの諸グループは非常に密接に関連しており,現代日本人の人類学的特徴は古墳時代まで遡れることが強く示唆された.渡来系の弥生人も明らかに古墳時代以降の日本人グループに分類されるが,それらとはやや距離を置く傾向にあった.この傾向は,国外の資料も含む12グループについて行なったクラスター分析でも同様に認められた.すなわち,弥生人は蒙古人よりもやや遠い距離で古墳時代以降の日本人グループと結合していた(図4).こあ結果は,渡来系の弥生人が直接古墳時代人に移行したという単純なモデル化は危険であることを示唆しているように思われる.おそらく,弥生時代から古墳時代にかけての日本のポピュレーション•ヒストリーはもっと複雑な様相を呈していたものと考えられる.しかし,本研究の結果から判断する限りにおいては,弥生時代の渡来系の集団が基本になって,古墳時代に現代日本人の原型が成立したと考察するのが妥当であるように思われた.
縄文人と北海道アイヌの関係については,我々の従来からの主張,すなわち縄文人-特に東日本の縄文人のアイヌへの移行,が繰り返された.

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