生物物理
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走化性応答解読による刺激化学物質の推定
田中 裕人曽和 義幸小嶋 寛明川岸 郁朗
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2024 年 64 巻 4 号 p. 193-195

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Abstract

走化性応答で大腸菌の化学刺激に対する判断は“好き”か“嫌い”かのみと考えられてきたが,統計解析により「刺激化学物質の種類情報を保持している可能性がある」ことが観えてきた.本稿では,走化性応答を事例として,入力刺激と出力応答の関係性のみに注目したベイズの枠組みでの統計解析手法を紹介する.

1.  背景と概要

一見単純なバクテリアも,生存戦略の1つとして“好き”な化学物質が濃い場所に向かい,“嫌い”な物質から逃げる走化性を持つ1).走化性応答に関して従来は,化学刺激に対して“好”か“嫌”かのみを判断(二値化)し行動を変化させると考えられてきた.大腸菌は菌体あたり数本のべん毛を(根元のモーターで)スクリューのように回転させて泳ぐ.べん毛が反時計回り(CCW)に回転すると,べん毛が束になり推進力を得て直線的に泳ぐが,時計回り(CW)に回転すると,その束がほぐれ菌は方向転換する.誘引物質を感知するとCW回転の割合は低下し(“好”の応答),忌避物質を感知すると上昇する(“嫌”の応答)ので,菌は試行錯誤的に“好ましい”方向へと移動できる(バイアスのあるランダムウォーク).見かけは“賢い行動”でも,しくみは単純というわけである.しかし,バクテリアは環境を単純に二値化して理解しているのだろうか? この疑問が本研究の出発点である.この疑問に対する我々の答えは,「走化性応答から刺激化学物質種を推定できるため,大腸菌は刺激化学物質の種類情報を保持している」である2).本稿では,走化性応答を事例として,入力刺激と出力応答の関係性のみに注目し,ベイズ統計の枠組みで刺激化学物質種の推定を行う手法を紹介する.この手法は,細胞内部処理を考慮する必要がないため,走化性応答に縛られることなく,様々な生物応答に応用できる点が特徴である.紙面の都合上,詳細にまで踏み込むことは難しいため,エッセンスを紹介する.

2.  走化性応答の数値化

話をわかりやすくするため,本稿では,“好”なアミノ酸,l-グルタミン酸(Glu)とl-システイン(Cys)を刺激化学物質とした場合に話を絞って紹介する.

大腸菌がアミノ酸の種類の情報を細胞内に保持しているか否かの評価に際して,我々は「走化性応答から,刺激化学物質(アミノ酸)を推定できるか?」と問題を設定した.『刺激化学物質が違うと走化性応答が変わるなら,応答から刺激化学物質を当てられるのでは?』というアイデアである.ここで重要なのが,定量的に再現性の良い,走化性応答の数値化データをできるだけ多く取得することである.べん毛モーター回転を比較的簡易に解析するテザードセルアッセイは,約50年前に開発された.要は,1本のべん毛をスライドグラスに付着させて細胞の回転からモーター回転(方向,速度)をモニターするのである(図1b).細胞の回転方向から走化性応答を測定し,細胞の内部状態をモニターする画期的な手法である.ただし,細胞1つ1つ(べん毛1本1本)個別に解析していく必要がある.これではいかに勤勉な研究者であっても上述の要求は満たせない.我々は,マイクロ流路2),3),テザードセルアッセイ,画像処理,を使用することでこの課題をクリアした(図1a, b, c).図1dは,走化性応答を600秒間観察した数値化データの典型例である.我々は数値化データとして,CW biasという走化性研究分野で一般的な指標を採用した.細胞体の回転方向(CWまたはCCWの個数)をカウントし,CW/(CW + CCW)と計算されるCW回転の偏りを表す指標である.その値は,0~1の間の数値となる(0で全てCCW,1で全てCW).

図1

走化性応答アッセイ系とアミノ酸応答の典型例.a.マイクロ流路2),3)(3流路).スケールバー1 cm.b.テザードセルアッセイを使った回転方向観察.誘引アミノ酸による刺激でCCWとなり,適応過程を経て,初期状態を回復する.c.細胞の観察像.スケールバー10 μm.実際の視野は約400 μm × 300 μmであり,数千の細胞が観察される.赤と青の楕円は,前フレームから10ミリ秒後に7.5度以上回転した細胞の位置を示し,赤はCCW,青はCW回転を示す.d.Cys(緑)とGlu(紫)によるCW bias計測波形の典型例.アミノ酸種,濃度により波形が変化する.矢印は刺激のタイミングを示す.刺激濃度はグラフ内の記載を参照.

細胞体(~1000個)の回転を光学顕微鏡で観察し,10ミリ秒間隔で記録された前後2枚の画像から,閾値(7.5度)以上回転している細胞を選択し,その回転方向を記録する.フレームごとに数百程度の細胞回転がカウントされ,1秒間(100画像)の回転方向を合計し,アンサンブル平均CW biasを算出した(図1d).個々の細胞の回転方向を追跡するのではなく,フレームごとで,閾値以上回転している細胞を見つけ,平均したCW bias波形である.600秒間,つまり600の数値で1つのCW biasデータを表現する.こうしたCW biasデータをアミノ酸種,濃度を変えて複数回計測,データ収集し,アミノ酸種,濃度をラベルとした走化性応答データベース構築を行った.

3.  走化性応答から入力アミノ酸種の推定

次は,こうして収集したCW bias波形から,刺激化学物質を当てる統計手法の構築である.種類と濃度の両方に依存してCW bias波形が変化するため,簡単ではない.例えば,図1d上段のグラフ左右を比べてみるとよくわかる.この左右2つのグラフを見比べて,刺激アミノ酸の種類を当てようとしても,Cysの30 μMなのか,Gluの1 mMの応答なのか,識別することは簡単ではない.そこで,我々は,ベイズの枠組みを応用した統計的手法を構築した(後述).

統計処理に入る前に,まずデータの次元(点数)削減が必要となるが,ここでも一工夫した.1つのCW biasデータは600の数値で構成されているが,これでは点数が多すぎる.データから特徴的な数値を抽出し,数値ベクトルの点数を減らす必要があった.特徴抽出に際して,生物学的知見を参考にするなど様々なアプローチが考えられるが,我々は,CW bias波形の幾何学的形状に注目し,これが6本の線分から構成される図形と考え特徴抽出を行った(図2a).6本の線分(L1-L6)から,時間幅(y1),CW bias値(y2),傾き(y3)などの数値を特徴量とし,アミノ酸種と濃度をラベルとした特徴量のデータベースを再構成する.特徴量として何を使うかは任意であり,我々は6本の線分から15の任意成分を作り特徴量として使用した(y1, y2, ..., y15).15の特徴量の詳細は参考文献2)を参照していただくとして,特徴量の一部を図2に示す.図2aのように定義した特徴量の一部(y1, y3)を可視化したものが,図2bである.1つの点が1つのデータを表し,Cysを緑,Gluを紫で,濃度に対してデータ値(y1, y3)をプロットしたものである.データベースというと難しく聞こえるが,図2bのような特徴量と,種類&濃度の関係を記録したものにすぎない.

図2

走化性応答の特徴抽出.a.特徴抽出のために使用した幾何学形状モデルのテンプレート.6本の線分を走化性応答波形にフィッティングし,各線分の図形特性から,特性ベクトルを再構成する2),5).b.Cys(緑)とGlu(紫)の特性ベクトル値の濃度に対するプロット.特性ベクトルの濃度依存性からモデル作成(線形近似).丸印,バツ印は,それぞれ,走化性応答波形からの入力推定に成功したデータ,失敗したデータを示す.

次にこの特徴量から,刺激化学物質を推定する.ここで,我々はベイズの枠組みを応用した.ベイズの定理4)の『事後確率が尤度に比例する』ことを使い,CW bias波形各特徴量{yi}から刺激化学物質の種類s(本稿では1 = Glu,2 = Cys)と濃度x Log[μM]の確率を求めた.実際の手順は,sxと{yi}とを関係づけるモデルを作り,観察された{yi}を同時に説明しうるsxを推定する操作を行う(図2b,黄矢印)2),5)sxの推定とは,ps(x|{yi}),つまりCW bias波形({yi})が観察された条件で,種類がsの濃度xの確率を考えることであり,ベイズの定理を使うと,

  
ps x| yi ps yi |x (1)

と表せる.ここで右辺ps({yi}|x)は,種類sが濃度xで刺激を与えたとき,CW bias波形({yi})が観察される確率である.図2bは2種のss = 1, 2)について,y1y3xに対するプロットであり,濃度依存性が観られる.観測データから,この濃度依存性は線形近似の直線でモデル化でき,sxy1y3を関係づけられる.sごと,yiごとに異なる近似直線となり,モデルfs,i(x)は,

  
fs,i x = as,i x + bs,i (2)

と表される.as,ibs,iは近似直線の傾きと切片である.sx条件下で,観測値yiはガウス雑音を含んで観察されると考えると,yiが観測される確率は,モデルfs,i(x)の周りにガウス分布するため,

  
ps yi|x exp - yi - fs,i (x) 2 σs,i 2 (3)

と表される.σs,iは,ガウス雑音の標準偏差であり,それぞれのモデルと観測データのずれから求められる.式(1)に,式(3)を代入し,{yi}全てを合わせると,

  
ps x| yi i=1 m 1 2π as,i σs,i exp - yi - as,i x+ bs,i 2 σs,i 2 (4)

となる.化学物質種sを推定するには,式(4)を濃度xで積分して,

  
p s | yi i=1 m 12π as,i σs,i exp - yi - as,i x + bs,i 2 σs,i 2 dx s^ = argmax s p s | yi , (5)

s^が推定される.式(4)では,観測値{yi}から予想される濃度xを各化学物質sについて計算する.式(5)では,それぞれのyiから予想されるxの一致の程度を比較して,最も良いss^と推定する.図2bを使って補足すると,ブラインドサンプルにより引き起こされた走化性応答から,黄破線のような観測値が得られた場合,Cys(緑)の方がy1y3において濃度の一致性が高いため,そのブラインドサンプルは,Cysであると推定されることになる.交差検証(leave-one-out cross-validation)で性能を確認すると,正解率0.8という結果が得られた.ランダムセレクト(0.5)と比較して高い正解率であることから,走化性応答から入力(刺激化学物質種)を推定可能であることがわかる.

4.  まとめと展望

走化性応答から刺激アミノ酸種を推定できることから,“走化性応答の過程に,刺激化学物質の種類という情報を保持している”可能性がある.大腸菌がこうした情報を利用しているか否かは今後の課題である.

ここで紹介した手法は,様々な生物応答の解析に応用可能で,気軽に多くのフィールドで利用できるものと期待している.また,生物応答をデコードすることで,細胞そのものをデバイスとして利用可能になる.実際,我々は大腸菌に「各種コーラのテイスティング」をさせるデモンストレーションも行った.すなわち,特定の物質を検知するのではなく,組成が未知のサンプルの判定にも使える新しいタイプのセンサーであり,今後の応用展開が期待される.

文献
  • 1)   川岸 郁朗ら(2006)物性研究 85, 668-684.
  • 2)   Tanaka,  H. et al. (2022) Sci. Rep. 12, 2965. DOI: 10.1038/s41598-022-06732-4.
  • 3)  田中裕人ら.微生物分析装置及び微生物分析方法.特許第6631771号.2016-12-15.
  • 4)  伊庭幸人 (2013) ベイズ統計と統計物理(岩波講座),岩波書店,東京.
  • 5)  田中裕人ら.センシング装置,センシング方法,及び,センシングプログラム.特許第7378788号.2020-7-2.
Biographies

田中裕人(たなか ひろと)

NICT未来ICT研究所総合企画室マネジャー

曽和義幸(そわ よしゆき)

法政大学生命科学部教授

小嶋寛明(こじま ひろあき)

NICT未来ICT研究所総合企画室室長

川岸郁朗(かわぎし いくろう)

法政大学生命科学部 教授

 
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