本稿は、日本を開国させるべく二度にわたり来航したアメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・カルブレイス・ペリー提督をはじめとする、遣日アメリカ使節団員を描いた画像を主たる対象として、それらの画像がどのような人々によって制作され、伝播していったのかということを明らかにすることにより、これまでの幕末情報史研究に新たな視点を投じるものである。具体的には、大槻磐渓編《金海奇観》〈早稲田大学図書館所蔵)を分析し、昌平費出身者という共通項で画像の伝達があったことを指摘した。とくに、昌平費関係者である河田迪斎、関藍梁は、幕府全権応接掛林大学頭復斎の配下として、アメリカ使節との応接に参加し、ペリーを実見でき得る立場であったことから、使節団員の原図を描くことが可能であったことを明らかにした。またその一方で、伊沢政義の配下として松代藩御側医高川文筌が応接に参加していた点については、従来知られていた事柄からさらに詳細な事実を示した。