放送研究と調査
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「南方放送史」再考②
現地住民向け放送の実態~蘭印を例に
村上 聖一
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2021 年 71 巻 4 号 p. 70-87

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抄録

太平洋戦争下、南方の占領地で日本軍が行った放送について検証している本シリーズ、今回は、現在のインドネシアに当たる蘭印で行われた放送の実態を探った。 蘭印は、石油などの資源地帯として戦略上、重要だった地域で、日本軍は、占領後、20近くの放送局を開設し、一部を除き、終戦まで放送を続けた。この地域はジャワやスマトラといった島ごとにラジオ放送の発達状況が異なり、また、陸軍、海軍が担当地域を分けて放送を実施した。このため、本稿では、それらの条件に応じて、放送実施体制や番組内容、聴取状況にどのような違いが生じたのかといった点に着目しつつ、検討を進めた。 このうち、陸軍担当地区を見ると、戦前からラジオ放送が発達していたジャワでは占領後、速やかに放送が始まったのに対し、スマトラでは開局が遅れ、放送局数も少数にとどまった。また、海軍担当地域のセレベス・ボルネオは、戦前、まったく放送局がなく、軍が放送局を新設する必要があるなど、放送の実施体制は地域によって大きく異なった。 しかし、聴取状況を見ると、防諜のために軍が受信機の多くを接収したこともあって、いずれの地域でもラジオの普及はわずかにとどまった。そして、現地住民が放送を聴いたのは主に街頭ラジオを通じてだった。番組も、各地域とも、集団聴取に適した音楽演奏やレコード再生が中心となった。 各放送局の担当者は、具体的な宣伝方針が定まらない中、手探り状態で放送を継続する必要に迫られた。放送を通じて占領政策への理解を得るという目標が達成されたか検証できないまま、占領地での放送は終焉を迎えた。

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© 2021 NHK放送文化研究所
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